1年間『eスポーツ』にどっぷり浸かって思うこと #01 この20年で変わったことと、変わらないこと
この連載を始めたきっかけ
はじめまして。eスポーツプラットフォーム「Adictor」プロデューサーの藤澤と申します。
Adictor : https://adictor.jp/
「日本初の全大会賞金付きeスポーツプラットフォーム」といいつつも、今のところスポンサー様がつかない大会の分はまだまだ自腹で払っております。毎月が背水の陣という投資家さんも絶句なビジネススキームで、業界に風穴を開けることを狙っています。
さて、今回この連載を始めたきっかけですが、上述の通り「Adictor」が描くアプローチは恐らく他のeスポーツ事業者さんとはかなり異なります。マネタイズの確立までもそうですし、そこからスケールして業界全体の底上げとなるまでには、多くの関係者の方のマインドチェンジも必要だと思っています。
そのためにはいろんなメディアで啓蒙活動をしていく必要があるのですが、残念ながら今の私にはそうしたタレント力が足りないので、とりあえずnoteに書いていくことにしました。
また、いわゆる正攻法ではないのでもちろん大爆死するパターンもあり得ると思っています。その場合にはDEAD ENDになる前に速やかにピボットを図るかもしれませんが、いずれにしてもその途中過程を文章としてしたためておくことで、今後参入したい事業者の方に向けた爆死事例としてお役に立てればこれ幸いです。
「風穴を開ける具体的な方策」についても今後の連載の中で書いていければなと思いますので、ぜひスキ・フォローなどなどお願いします。(今すぐお願いします!)
どうもこんにちは、ゲーム脳です
さて私のビジネス的な経歴はおよそ華々しさとは無縁です。どちらかというとまず谷底に転落します⇒「死ぬこと以外はかすり傷」とか言えないくらいの重傷を負います⇒地獄の釜の底からちょっと復活という雰囲気の、賭博黙示録的な仕上がりになっておりますので今回は割愛させていただきます。
その代わりに現在33歳の私が、これまでゲームやコミュニティとどう関わってきたかということを、当時のエピソードたっぷりに思い出話形式でリフレインさせていただきます。アラサー(もうすぐフォー?)ホイホイとして当時の郷愁を一緒に振り返っていただければ幸いです。
始まりはTCG、そしてMMO沼へ…
私は昭和のラストイヤーに生まれた「ゲームネイティブ」です。
小学校入学と同時にスーパーファミコンが爆誕、マリオカート、ポケモン、スマブラと任天堂のすばらしきコンテンツに時間を溶かし、高学年になると遊戯王、デジモンカード、MTGのTCG沼にどっぷりとハマっていきました。
「黒単コントロールこそ至高。赤単とか雑魚乙」「MTGは運ゲー。デジモンカードがTCGで一番深い。限りなく運要素を排除したデッキ20枚のシステムが完成してる」という感じで早すぎた中二病を発症し、イキリ散らかしたところ、「お、、おう」という感じで友達との温度差は順調に拡大、インターネットに助けを求めました。
はじめにレンタルサーバーを借りてカードゲームの対戦相手を募集する掲示板とチャットを作りました。チャット上のテキストだけで東京と大阪でリアルタイム対戦をするというのは今考えるとかなりハイテクです。このとき小学4−5年生くらいだと思うので、23年前くらいの話です。
>チキさん 「ドローします。」
>pikoさん 「ドローどうぞ^^」
>チキさん 「準備フェーズ、レベル3伏せます、進化なし、オプション2枚セットします」
>pikoさん 「後攻手札2枚、OP1枚捨ててドロー、レベル3伏せ、オプション3伏せます」
>チキさん 「進化フェーズ、秘めたる力の発現使ってブイモンからマグナモンです」
>pikoさん 「ひめちかは「進化条件無効」なので融合条件のマグナモン出せないですよ」
>チキさん 「融合条件じゃないほうのマグナモンです」
>pikoさん 「スターター版の方ですか?ステータス覚えてないのですが書いてもらっていいですか?」
>チキさん 「Aタイプ、450,370,310、特殊能力は〜です」
>pikoさん 「わかりました、こちらはDタワーでひめちか止めます。レベル3はインプモンです」
>チキさん 「フィールドってそのタイミングで使うのありでしたっけ?」
当時のチャットのイメージ(pikoは私のHN)
昔のチャットサービスって画像添付できなかったので(そもそもカメラ付きケータイがない)、100%テキストオンリーです。頭の中で棋譜を描くヒカルの碁的な振る舞いで、更に超絶時間をかければプレイすることが可能でした。ちなみにこのやり方は私が発見したわけでもなく、既に文化として存在していました。
※イメージできない方は電話でトランプの「スピード」を1ターンずつやるのを想像してください。
この暇を持て余した神々の遊びについては、時間がかかりすぎることもあり次第に頻度が下がっていったのですが、ここのチャットを通じて仲良くなった方々とのかけがえのない絆は残ります。カードゲームチャットから雑談チャット化を経て、年齢も顔も名前も知らないカード仲間と一緒にMMORPGを始めました。
MMORPGとは、Massively Multiplayer Onlineの頭文字をとったもので、日本語だと、「大規模多人数同時参加型オンライン」という意味です。24時間365日、サーバーメンテ時間以外はいつどんなときでもその場にいる誰かと一緒に遊べるというのはビッグインパクトで、これまでの私のゲーム観は根底から覆されました。
RPGなので一人で遊ぶこともできるのですが、レイドボスや攻城戦などの大きなイベントは複数人で協力することを前提としてデザインされています。前者はPvE、後者はPvPですね。
ゲーム内(バーチャル空間)でコミュニティを作るという意味では、まさに現在話題になっている「メタバース」のプロトタイプでしょう。
今から20年以上前の話ですが、土地や家を買う、生産して販売する、結婚するという要素は完成しており、(甚だグレーですが)ゲーム内で獲得したレアアイテムをリアルで売買するサードパーティのプラットフォームまでありました。
しかも1日20時間以上インしているユーザーが普通にわんさかいたので、グラフィック面以外は今以上にメタバースしていたと思います。仲良くなった人とかにプライベートなこと聞こうものなら「私にはこっちがリアルだから」とかガチで返ってきましたからね。
時は「ラグナロクオンライン」や「リネージュ」の黎明期。大体の家庭のPCでは遊ぶことがままならなかったのですが、私は幸いにも父がITに明るい仕事をしていてPCには困りませんでした。
学校から帰ると明け方までレベル上げ、素材集め、bot刈り(RMT目的の自動運転プレイヤーを見つけてやっつけること)や、クランの運営方針について議論などしていました。人間関係のいざこざはときに熾烈を極め、色恋沙汰の仲裁をしたこともあります。あとは旦那さんの愚痴に付き合うとか、進路に悩む高校生もいたし、パソコンのスペックについて相談を受けたこともあります。
彼らにとってはクランマスターですが、まさか中身が小学6年生だとは思っていなかったことでしょう。当時はVCを使える人が限定的で、身分を隠したいネカマさんなどの存在もあり、テキストコミュニケーションが主流でしたから、私に限らずそれなりにあることだったように思います。
ちょっと寄り道)メタバースの行方
改めて、昨今『メタバース』に注目が集まっています。Metaはここに1兆円の投資をすると発表しましたし、それ以前にOculus Quest 2はVRの世界の幕開けとなりました。3万円ちょっとの金額でWi-Fi接続でもそれなりにきれいなゲームがサクサク遊べるというのは「バーチャルボーイ」世代にはかなり胸に来るものがあります。
後もういくばくか重量が軽くなり、5GなどによってPCと接続するアンビリカルケーブルスタイルが廃絶され、私のようなメガネのギーク達への配慮が行き届けば、「1日中、360度ゲームの世界にいる」ことが現実になると思います。
ただ、私にとって20年前に既に完成されていたのです。小6の陰キャは『追放天使のギルドマスター』のガワを被って、0と1の世界に没頭していました。
※厨ニっぽいですが追放天使は実際のゲーム上の職業です
100円を溶かしまくった高校時代
中学2年生くらいになると、急に「モテたいぞ」ということでパタッとMMOを卒業しました。中二病が4年くらい早く来た弊害(?)です。とにかくモテたいが、スポーツは壊滅的にセンスがなく今からサッカーを始めるのもな。。ということでギターをはじめました(安直)。MMOやTCGのことは話すと女の子が引いてしまうので記憶の彼方に封印することにしました。
急にギルドを放置して迷惑をかけたメンバーに今更ながら謝りたいところですが、封印の効果によりギルド名すら思い出せません。最後にいたのはREDSTONEで本垢ウルフマンのギルマスです。珍しいので心当たりのある方はお知らせください。
さて、高校生になると不真面目大爆発で、学校をサボりまくりいかがわしい方面のバイトなどに夢中になりました。そもそもとして、遊ぶ場所が近そうという理由だけで渋谷の学校に進学したので、ある意味ストイックに目的を達成していました。
学校で寝て夜はバイトとバンド活動。だいたい夕方頃2時間位暇ができることが多く、丁度いい時間つぶしの場としてバイトの先輩とゲームセンターに毎日行ってました。
これまでのオンラインのコミュニティではなく、今度はバチバチにオフラインです。しかも体育会系で怖い先輩と一緒にゲームをやるわけです。これまでの「エンタメ」としてのゲームとは一線を画す、「処世術」としてのゲームです。
新宿の水商売で働く(ギリギリまでぼかします)お兄様方のストレス解消にお付き合いすることで、バイト中にヘイトを向けられなくするという効果を期待していました。そう、ギリギリで負ける接待プレイです。
意外に思うかもしれませんが、陽キャのパリピ界隈はゲームにのめり込む人多かったです。(今は知りませんがたぶんApexとかやりこんでそうですよね)で、普通に上手かったです。
当時は「ギルティギア」と、「鉄拳」シリーズが人気だったので、キャラの相性とかをネットで調べたり、コンボ表を印刷してあげたりしてました。THE・小物ですが、これが私の処世術です。
そのお陰なのかはわかりませんが、結果的に大きなトラブルに巻き込まれることなく水商売は卒業しました。ゲームとゲームセンターに大いなる感謝。
そして時代は巡る
そんな私ですが8年前に子供が出来てからしばらくはめっきりゲームをする機会が減りました。
唯一20代のときも引き続きやっていたのは「サドンアタック」というタクティカルシューターですが、激貧で自宅にPCもなかったのでもっぱらネットカフェです。
ただ、この時はネカフェでVCもできなかったので野良オンリーです。称号はたくさん取った気がします。
その後20代なかばになると完全に仕事中毒になり、すべてのプライベートを捨てて24時間働くタフマンの権化となっていました。「サドンアタック」もいつの間にかサービス終了しており悲しい気持ちになったことを覚えています。
PCやコンソールからは離れたものの、「遊戯王デュエルリンクス」はリリース初期から3年ほどハマりまして、クランに入ってWebサイトを作ったりしました。
毎月20回以上団体戦に参加し、負けた場合は反省文を提出するという掟があるガチクランで、メンバーには日本サーバーで200位以内に入る猛者がたくさん所属していました。
私は家庭があったので参加できませんでしたが、KCカップという公式のゲーム内大会期間中は皆さんクラマスの家に集まって24時間ぶっ通しでランクマッチをやるという感じです。
毎日団体戦で腕を磨き、構成やプレイングを相談する日々。誰かとゲームをするってこんなに楽しいことなんだ、と10代の頃を思い出したりしていました。
ここ2年位はeスポーツを仕事にするぞ!と完全に覚悟完了したので、eスポーツタイトルを中心にありとあらゆるジャンルのゲームを最低限かじるくらいはやっています。
変わったことと変わらないこと
さて、ここまでおっさんの思い出がたりを長々としてきたわけですが、「ゲーム」、「ゲーマー」そして「コミュニティ」について、変わったことと変わらないことがあります。
まず変わったことです。時代が変わりました。デバイスに革命が起こりました。通信環境が1,000倍になりました。モバイルやフリーミアムモデルによって参入障壁がほぼなくなりました。グラフィックも、何もかもがアップデートされました。
周辺のツールも進化しました。2chがTwitterになり、ヤフーチャットがDiscordになり、ICQがパラレルになりました。
リネージュやラグナロクオンラインなどのPvEよりも、シューターやMOBAなどPvPが受け入れられるようになりました。更にストーリーや1人プレイ、キャンペーンなどを限りなく削ぎ落とした競技性の高いゲーム、eスポーツが誕生しました。
一方で、20年前も今も、ゲーマーと、ゲームを中心とした「コミュニティ」自体は大して変わっていないことがわかりました。
私は「コミュニティ大会」を起点としてサービスを作っているのですが、この1年間で100人くらいの「大会主催者さん」や「コミュニティリーダー」、「大会配信者」さんと夜な夜な1on1でお話をさせていただきました。仕事のリサーチ半分、趣味半分です。
話した内容はいろいろですが、なぜ大会を開くのか、なぜ配信をするのか、今後どうしたいのか、何が嬉しくて、何が悲しいのか、などです。
多くの方が、最初から大会主催とかをしていたのではなく、「一度はゲームにのめり込んで勝つことを追求していたが、プレイヤーとしての限界を感じて転向した。」ということでした。
あ、、そうか。同じなんだ。と。
私も元々はいちプレイヤーでした。
カードゲームが好きで、同じ志の仲間にもっと楽しんでもらいたくて、ホームページやチャットを作りました。
小学生で、1日20時間など使えるプレイヤーには到底太刀打ちできないけど、輪の中心に入りたくてギルドを運営する側になりました。
先輩の役に立ちたくて(そして怖いので)、情報を調べてシェアしました。
家庭の都合でやり込む時間が取れないから、Wixでクランのホームページを作ったり団体戦のスケジューリングをする係をやりました。
たぶんチームのマネージャーさんとかも同じだと思うのですが、ゲームのコミュニティにおいて、「プレイヤーではなく裏方として関わりたい」という根本的な承認欲求は、時代によって変化するものではありませんでした。当然といえば当然ですが、これだけインターネット周辺の環境が変わっても、人と人との交流というベースの部分は「変わらない」ということです。
ちなみに、大会参加者に対して大会主催者さんは割合にして100人に1人しかいません。弊社運営サイトのAdictorに登録している10,000人のユーザーのうち、主催者ユーザーは100人ちょっとくらいです。
前述の通り、私自身はすごく気持ちがわかるのですが、大局的に見るとすごく少数派なんです。貴重なんです。
確かに周りから見たら、持ち出しで賞金を払ったり、サイトを作ったり、スケジュール管理をしたり、ドタキャン対策をしたり、ときには皆から文句を言われたりしながらも皆のために大会を開く人、というのは結構異端ですよね。
そして、いわゆるゲーマー自体の「民度」なるものも昔から全然変わっていません。アツくなるあまり暴言を吐いてしまう人、プライベートの問題でいざこざを起こす人、観戦中のプレイヤーに対してつい上から目線で言っちゃう人。匿名を盾に誹謗中傷してしまう人。20年前から変わらんなー、と思います。そのような方を相手に大会運営をするのはやっぱりけっこう大変です。
昨今は「eスポーツ」も「スポーツ」ということで品行方正が求められるようになりましたが、コミュニティやユーザーの性質自体が、私の考える通り対して変わっていないとするならば、(スポンサーが付く前に)ある一定の情操教育は必要なんだろうなとかは思います。
ただ、プレイヤーとしての成長を諦めた身としては、常にストイックに上を目指す超タフなメンタルを持って一線級で活躍しているプロeスポーツ選手の方々は心から尊敬しています。
まとめ
そんな感じで、変わったことと変わらないことを振り返ってみました。
我々は、コミュニティ大会に「観客」と「賞金」を提供することで、身内のゲーム大会を「エンターテイメント」に昇華することを目指しています。競技シーンの盛り上がりとコミュニティの盛り上がりは両輪で追求していくべきだと思いますが、後者にフォーカスしている会社はあまりなかったので、そちらをやっています。
大事にしていることは、とてもマイノリティな「大会主催者」の方が、少しでも気持ちよく大会運営を継続していただけるように色々な仕組みを作ること、そして金銭的な負担を減らすことです。
ゆくゆくは「大会主催者」がeスポーツの新たな職業として成立するよう、価値の証明(エビデンス)と、スポンサー探しに奔走しています。
自分自身も初心を忘れないよう、常に主催者ユーザーさんと向き合い、対話をしながら、この無秩序で混沌としたコミュニティにおいて、界隈を裏から盛り上げる「大会主催者さん」にスポットライトをばっしばし当てたいと思い今日も頑張っています。
ということで興味のあるゲーム会社さんやスポンサーさんがいらっしゃいましたらDMバシバシお願いします!
画像引用元
*1 https://www.4gamer.net/games/001/G000189/20190619042/
*2 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4
*3 http://seventhsupplybase.web.fc2.com/dr1.html
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?