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大河ドラマ「麒麟がくる」は信長の人物造形に注目

日曜日に放映中のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、ようやく明智光秀が歴史の表に出てきた時期になり、わかり易くなってきました。

やっと歴史の表に出てきた光秀

最初は光秀が主役で物語になるのかと思っていましたが、よくわかっていない人物であることを逆手にとって、歴史の転換点の至る所に登場させたり、この時代の主役たちである斎藤道三や信長、家康などに影響したりするように絡ませて、ユニークなストーリーが築けているように思います。

第31回は浅井長政の裏切りで苦境に陥る信長を助ける光秀と、殿(しんがり)を務めたいと懇願する木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の話が面白かったですね。第32回は筒井順慶との出会いの場に、やはり架空の女性である駒さんが同席したり、この駒さんもあらゆるところに出入りしてますが、大河ドラマならではの狂言回しというか、ストーリーのための役柄ですね。

途中、コロナ禍による撮影中断もあって、放送時期が延びているわけですが、前半の布石が回収され始め、ようやく佳境にかかってきたという感じがします。

その後、新型コロナウイルス感染症の世界的流行に伴う感染拡大防止対策として、4月1日に発表された収録の一時休止が長期化したことから、5月15日には第21回(6月7日)を以て放送を一時休止することが発表された。放送再開までの間は特集番組「麒麟がくるまでお待ちください」などを編成する。
6月9日、収録再開が同30日の予定であることを発表。あわせて、主演の長谷川による「全44回、何とか放送していきたい」とのコメントが公開された。7月22日には、8月30日から放送を再開することが発表された。
10月21日になって、放送回数を当初の予定通り全44回とし、2021年2月7日に最終回を放送することが発表された

あと3ヶ月。12回ということは、残り3分の1。面白い時期ですね。

光秀を描くために大事な人物とは

「麒麟が来る」は明智光秀の物語です。

当然、光秀の人物造形が重要なわけですが、その光秀を輝かせるには、周りの人物がどういう風に描かれるかというのも重要なわけです。

光秀が、15代将軍足利義昭と織田信長をつなぎ、その間で苦慮したことは歴史の時間でも習う話ですが、それだけに、この二人がどんな人物だったかは物語を築く上で重要な鍵になります。

また、光秀と対置する藤吉郎(秀吉)は、幾つもの物語がありますし、そこでの対立というのも知られていますので、当然、人物としてきちんと描く必要があります。

その意味で、光秀に対する、これらの人物の解釈というのも、今回の見どころだと思うのです。そこをちょっと考えておきたいと思います。

例えば、義昭ですが、足利義昭といえば、第15代将軍で室町幕府最後の将軍であり、誰もが名前を覚える歴史上の人物です。でも、どんな人だったかまでは覚えていません。

今回、滝藤賢一さんが演じる義昭は、今のところ、僧門に長年いた弱さと優しさが前に出ています。

滝藤さんによると義昭は「とても孤独な人。頼る人がいません」で、「義昭を将軍にしておけば好き勝手できるとみんながそう思っている中で、唯一本音で話してくるのが光秀(長谷川さん)と駒(門脇麦さん)だけで、義昭も本音を言えるのはその2人だけだと思っています」と役の気持ちを代弁。

信長と対立する強さがいつ出てくるのか気になるところですが、前回三河に戻る家康が光秀に向かって「食えないお方です」と告げるシーンがありました。義昭と武田信玄との呼応を称していったのですが、この辺りの「食えない感じ」が、今後出てくるだろうというのはやはり滝藤さんという役者さんの雰囲気からして、このままいい人の覚慶さん(僧だった時の名前)では終わらないだろうという気がするからです。

義昭は、このあと信長に負け、京都を追放され毛利を頼ったりしますが、そのあとはどうしたんだっけと思っていました。

信長が本能寺の変によって横死した後も将軍職にあったが、豊臣政権確立後はこれを辞し、豊臣秀吉から山城国槙島1万石の大名として認められ、前将軍だった貴人として遇され余生を送った。

結構しぶとく生きているんですよね。この辺りも「食えない」感じがします。

麒麟がくるまで待っていたら思い至った

そして、光秀を描くには、やはり、最後に本能寺の変を起こすに至るまでの信長との関係が最も重要になるでしょう。

それだけに、信長をどういう人物として描くのかが、光秀を描くための肝であり、いわば、光秀を照らす光として信長を描くのか、光秀を浮き上がらせる影として描くのかではないかと思うのです。

コロナ禍で大河ドラマが中断し、「麒麟がくるまでお待ちください」という番組を放送していました。

過去に放送した戦国時代を舞台とする大河ドラマの人気作品を取り上げ、名場面や出演者が語るエピソード、大河ファンのゲストとのトークなどを放送。
司会は高橋英樹(『国盗り物語』主演:織田信長 役)、川島明(麒麟)。ナレーションは桑子真帆。

この時に、歴代の戦国時代ものの再放送を見ながら、特に「秀吉」で信長を演じた渡哲也のカッコ良さに見惚れたものです。

秀吉はご存知のとおり竹中直人。史上最高に汚い秀吉でした。そして、その汚い秀吉と対した都会人・光秀は村上弘明。この配役で、光秀の困惑が見えました。

芯が強く真面目すぎるがゆえに思い悩む…そんな従来のイメージ通りの光秀像を見られるのが本作です。知的な美青年という外見も相まって、歴代大河ドラマの光秀の中でもハマリ役だという声があるようです。光秀は秀吉の良きライバルとして登場し、謀反に至るまでの経緯も詳しく描写されています。謀反の理由は信長からの冷遇および家康・千利休による陰謀説が採用されており、村上弘明さん演じる悲劇的な光秀が見どころとなっています。

配役とそこに描かれる人物造形が、歴史の見えない点にスポットを当て、見るものに共感を呼ぶわけです。この村上・光秀は、知性と都会性が、秀吉や信長と対立していくんだなと思わせるものがありました。

信長と光秀

信長といえば、極悪非道な感じがするのか強さ、スタイリッシュさが先立つ配役が多いように思います。

秀吉における渡哲也は、その両方が際立っていました。他にも錚々たる方が信長を演じています。

歴代最高と言われるのは、高橋幸治だそうですが、私は見ていないのでなんとも申し上げられません。高橋英樹とか杉良太郎なんかも演じてますね。

信長が主人公だった「信長 KING OF ZIPANGU」では、緒方直人でした。若い信長でしたが、この時の光秀は、マイケル冨岡でした。

光秀の若さが目立つ印象もある本作ですが、彫りが深く日本人離れした光秀は、その外見だけでも従来とは一線を画す存在感がありました。また、この作品では光秀の謀反の理由も見どころの一つ。天下への野望ではなく「信長の期待にプレッシャーを感じノイローゼになった」という戦国武将らしからぬ理由で主君を討っています。これは過労死が社会問題となった当時の世情ともリンクするもので、時代背景を考慮するとさらに楽しめるかもしれません。

全体に欧米色というかルイス・フロイスの目から見た脚本の作りもあって、不思議な作品です。

今回の「麒麟がくる」で、キャスティングと物語が相まって、見えてくる世界観が斬新であるということで言えば、注目すべきは、やはり信長・染谷 将太ではないでしょうか。

染谷は、「信長を誰が演じるのだろう、と人ごとのように楽しみにしていたので、まさか自分が演じることになるとは思ってもいませんでした。制作陣の皆様が“新しい信長を、革新的な信長を一緒に作って育てていきたい”とおっしゃってくださり、こんな贅沢なことはないと本当に光栄に思っています」と語り、光秀役の長谷川も「信長役が染谷さんと聞いたときは、まったく新しい信長像を作り出してくださると感じました」と応えた。

信長・染谷 将太に注目したい

今回の染谷・信長ですが、これまでの信長像とは一線を画したものがあります。

一つは若いこと。まだ28歳です。長谷川博己さんより15歳も下です。ただ若いだけならば、緒方直人は25歳でしたし、他にも20代で信長を演じた人はいます。しかし、その誰よりも染谷さんは幼いイメージがあります。丸顔で、背が小さくて、大人びた子供みたいな感じがします。

「聖おにいさん」の仏陀ですからね。

これまでの信長像は、背がスラリと高く、手足が長い人が多かったことを思えば、ずいぶん見た目のイメージが違います。

だから当初は違和感を持ってみた人も多かったと思います。私も最初配役を聞いた時は、首をひねりました。

でも、見るたびに引き込まれるんですよね、彼の演技に。

第10回の放送が終了すると、SNS上でも染谷が表現した信長に対して賞賛のコメントが溢れた。特に過去の信長を演じた俳優と比べ、染谷のビジュアルが“おだやか”から入っていたため、母親からの愛情の欠落による狂気さや冷徹さといった、落差に魅了されている人が多かった。

世間の反応も私と同じようだったんですが、この記事はまだ前半での反応ですから、その声も静かな驚きという感じですが、今は、もう新しい信長像がハマり切っています。驚きだけではなく膝を打つ感じもあります。

最近の「麒麟がくる」は半沢直樹ばりにアップだったり、声の大きい対峙シーンが多い気がするのですが、そうした寄りの絵が多い時には特に染谷さんの背の小ささが気になりません。信長のステータスが上がっていくにつれ、座っているだけだと、最近は、大きく見え出しました。これも演技力の賜物ではないかと思います。

彼自身が、信長の成長と合わせて進化しているかに見えるのです。

光秀は、そういうステータスの変化による成長という役柄ではありません。割と誰に対しても変わらない感じがあり、それが、美濃の斎藤道三の配下から周辺が誰になっても光秀らしさをキープし、いろんな人と付き合える人として広く人脈を持ち、重要人物の間を繋いでいく緩衝材の役割を果たしていくのだなと感じさせるものがあります。

一方で、尾張の地大名の息子から跡取りとなり、三河を手に入れ、桶狭間で勝ち、さらに美濃を抑え、京に入り、と成り上がっていく信長の姿は、このドラマのもう一つの主役であり、出世物語としての大河ドラマの王道を抑える役どころとなっているように思います。

それだけに、静の光秀と動の信長が邂逅して、義昭を擁し、天下取りに入っていく現在進行しているあたりは、実に見応えがあります。

「いいね」が欲しいだけの信長

そして、今はまだ信長は、第六天魔王でも破壊者でもなく、ひたすら称賛されることに喜びを感じる若者として描かれています。

公方様(義昭)に、帝に、妻・帰蝶(濃姫と呼ばれてきたこの人を帰蝶と呼び続けているのも、この物語の新しいところではないでしょうか)に、褒められると嬉しい、褒められたい、それが信長のモチベーションなのです。

当初から信長は、理解はできないが皆が喜ぶからそうする、というセリフが出てきます。彼は、両親から拒絶されてきたが故に人一倍「承認欲求の強い人物」となってしまったという描かれ方をしています。

その承認欲求の強さが、天下取りに対しても出ているというのが、これまでの自己顕示欲や独占欲の強さがモチベーションとなっている信長像との決定的な違いではないでしょうか。

いわば「いいね」が欲しくて派手なことをやってみせるYouTuberのような若者として、信長の突拍子のなさや、行動の急峻なことを描いているのです。

これは、知性と理性の男である光秀にも、道理と平穏を愛する義昭にも、平凡と鬼才の間でゆれる藤吉郎にも理解できない、信長の持つ不思議な現代性となって現れます。

しかし、商人が喜ぶからと楽市楽座を作ったり、茶席を重視し、茶道具を褒賞としたりすることも、この承認欲求を重視している信長の考えの反映からだと考えるとフィットしてくるかも知れません。

もともと小さい時から神仏を信じていないことは、バチが当たるか試してみた話や、二条城の築城で墓石を使ったことなどに示されてはいますが、これから比叡山の焼き討ちなど仏門との対立の中で、さらに顕著となっていきます。でも、それは人間からの現世での称賛=いいねが欲しい信長にとっては、死後のことなど何も意味がないからできることなのです。

ひたすら現世での称賛を求める信長が、どこまでそのモチベーションのままで天下統一を図るのか、そこも興味があります。世の中のみんなから褒められたくて天下布武を称したのかも知れませんからね。

今後、染谷・信長が、どう成長するのか、変化するのか、彼の中で何かが壊れ第六天魔王になるのか、それとも承認欲求の権化として終わるのか、その辺りも、「麒麟が来る」を見る上で楽しみな点になっています。

歴史秘話ヒストリアも押さえておきたい

あと最近、「歴史秘話ヒストリア」が、「麒麟がくる」のサイドストーリー満載な感じがするので見逃せないことも付け加えておきます。

 11月18日放送のNHKの歴史番組「歴史秘話ヒストリア」(総合、水曜午後10時半)は、同局の大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」で女優の芦田愛菜さんが演じる(役名はたま)ことでも話題の、明智光秀の娘「細川ガラシャ」を取り上げる

芦田愛菜の細川ガラシャというのも知性派な感じですね。

「真田丸」で橋本マナミが演じていて驚きましたけどね。

まだまだ「麒麟がくる」から目が離せません。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。