大義でなく純愛

『どうすれば愛し合えるの:著,宮台&二村』→『劇場版 呪術廻戦』乙骨憂太「純愛だよ」夏油傑「ならばこちらは大義だ」→ストンと付き物が剥がれた→書き残す


目の前の、1番近く、隣にいる人。
愛する人の幸せを願う。

それが普通の人間である自分の唯一磨く事ができる才能ではないか。そのためなら何でもする、その構え、つまりは利他性。
>>>安藤優子さんの才能についての言葉想起

"動機"がそこにあらず、情報接種が先に始まり問題点を多数知っていく(そこに快楽に似たもの=承認欲求?を感じており、その構えであればメタバース&ドラッグとなんら代わりない)。
その後、恋人が出来たが"動機の構え"が無い状態のまま時間が過ぎ、その自己矛盾に気づく事ができず一緒に居られなくなった(正確には自分から逃げ出した)。つまりは自己防衛、神経症的な単なる条件反射のあらわれ。「そんな状態だから関係を切られると無意識に感じていた」という状態だから自己矛盾に気付けない、劣等性そのものの振る舞いだった。

この性愛の失敗をしたからこれに気付けた。「こうしていれば」のシュミレーションで内省するのと、単なる後悔を混同しない事が大切。それが付き合った彼女への敬意と想うことにする。

これで優先順位、パラフレーズすると"最低限これだけは必要なものごとの価値観の整理"を間違えないよう努めようとする構えの入口に辿り着いた。僕は人間だから、女の翼に頼らなければ飛べない男だから、これからもたくさん間違えるだろうが、その度一つずつ積み重ねていく。

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