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犬たちの挽歌

まえがき

私のベット頭上の棚には、犬たちの骨壺が並べられていた。納骨された錦織の袋は格調高く、高貴な風情をなしていた。

犬たちは骨壺という有形を借りて、25年経た今もなお息継ぎ、私たち家族の生きざまを俯瞰していた。

ペット霊園の合同納骨堂塔に葬るか、霊園の集合納骨棚に安置するかの二択を選ばず、わが家で供養することとした。日常の生活空間に彼らの存在を、意識したかったからである。これらの骨壺が消える時は、私の骨の行先と共にすることを、子供達には明言している。

わたしは犬への後悔の念を担っていた。

私の6歳から20歳までの成長期を共にした「ジョン」という名の犬への謝罪である。彼は家族の誰よりも、私といる時間を嬉しがりどこへ行くにも連れて行った。
だが私は思春期になると、単独行動が多くなり、ジョンと戯れる時間が少なくなっていた。

高齢になったジョンも、体力の低下が見られ、蹲っていることが多かった。 あの日帰宅すと、ジョンが朦朧とした意識で激しく喘いでいた。兄は私の顔を見るや否や、「お前が彼氏にうつつを抜かして遊んでいる間、ジョンは苦しい思いをしながら待っていたのに!」と一喝された。末期を迎えるかもしれないジョンの傍に居ず、浮足立って遊びに行ってしまった。看取る時間もなくジョンは逝ってしまった。この時のことがいつまでも悔やまれた。

数年後、私たち家族は家屋を購入するとすぐ、犬の存在を求めた。それから35年の間、犬たちはそれぞれの気質と独自の表現方法で 多くの思い出を残してくれた。

3匹の犬たちは、家族が掛かる災難を共に味わうことになった。

家族の危機を眼前にした、陰鬱な雰囲気の最中であっても、犬たちはいつも純な瞳を向けて、瞬時に私たちに笑顔を誘った。笑顔が出れば、深刻に悩んでいる現状がバカらしく思えて、ふっと気が抜けるのが不思議であった。犬たちの無心の姿は、悲劇のストーリーに浸る自分を、泰然に構えることの余裕を気付かせてくれた。

私や子供たちにとっても、いままで創り上げて来たこの住環境は、捨てがたいものであった。まして、いつも私の人生を傍観し、共に行動してきた犬たちの事も考えると、短絡的に家を出るわけには行かなかった。
それほど、犬の存在をないがしろに出来ない大きな位置を、彼らは占めていた。今、こうして犬たちを懐古すると、挽歌を送ったあの時の心情が思い出される。

I ロッキーのこと(オス、没10歳)

彼はシェットランドシープドック、名前の由来は、映画「ロッキー」で一躍スターになったシルベスタスターローンの目尻の下がった、細い顔が似ていたからだ。

ロッキーは名前通り、フットワークが抜群で、リードを外しても私の傍から離れない賢い犬であった。

私の犬への方針は「自由であれ!」と、犬の本能を大事にしたかったからである。もちろん!その前提には飼い主の責任を踏まえてのことである。幸いにも排泄など、しつけの苦労は皆無であった。
近所から、犬ならではの苦情も上がらず、飼い主への仁義を弁えていた。と言っても、本能がどこで作動するか分からないので、予想できる防御は図り、健康にも注意した。ただ、人間の判断を強制せず、犬らしく生きて欲しかった。

食事は私たちのメニューとほぼ同じで(味付けなし)食材の美味しさを共有した。敷地をフェンスで囲み、気儘に走り回れるよう、環境作りをしたことで、脱走を試みることはなかった。人間の行動範囲を制限すれば、それを破りたい欲望に駆られる心理が、犬も共通するという私の勝手な理論である。

とにかく、「犬にも感情がある!」これが、私の独善的基本考えとなっていた。

穏やかな日常生活に、暗雲を呼び起こすのが夫であった。酒乱に怯える子供と逃げ出す時、それをいち早く察知し、車に乗り込もうと行動するのが、ロッキーだった。険悪な事態を目の当たりにしても、ロッキーの姿が、子供たちに一瞬の和みをもたらした。

そんな問題の多い父親ではあったが、年に一度、大がかりな家族旅行を企ててくれた。一週間の長い遠出となり、労力の費やすキャンプ旅行ではあったが、子供たちとはしゃぎ回るロッキーは、行く先々で人との和を広げ、楽しさを倍増してくれた。

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Ⅱ チャンプが来る(オス、没16歳、雑種)

ある日、娘から電話が掛かってきた。

「お母さん!飼い主を求むと、張り紙をされた子犬が箱に入れられているの。ねえ、可哀そうだから飼おうよ」その日から我が家には犬が2匹になった。子犬は「チャンプ」と名付けた。この名も映画「チャンプ」からの拝借。ボクシングが好きだからという理由ではなく、人気を博したヒューマン映画の感動が事あるごとに表出し、犬たちまでその余波を被った。

雑種のチャンプは見る見る大きくなり、ロッキーを見下ろすまでになっていた。それまで家族の関心を独り占めしていたロッキーはチャンプの存在が気に入らない。その日も食事の遅れを取ったロッキーの前を通ろうとしただけで、威嚇と同時に飛びかかった。だがその勇ましさに反して、TKO負けをしてしまった。歯牙の欠落しているロッキーの噛みつきは、ダメージには程遠いものであった。若くフェザー級並みのチャンプの反撃のひと噛みで、ロッキーの顔面は血だらけになった。ロッキーはそれでも怯まず、応戦しようとしていたのを私は引き離した。

その傷ついた姿は、負ける試合に果敢に挑んだ映画「ロッキー」のクライマックスさながらであった。私は顔面の血を拭きながら、あのテーマソングを歌わずにはいられなかった。そしてセコンドのように敗け犬ロッキーを讃えた。

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Ⅲ ロッキーの死

年末の夜のこと、2匹を遅い散歩に連れ出した。車の往来もないので、私はロッキーのリードを離した。ロッキーは私たちを振り返りながら先導していた。

家に帰る道筋を知っているロッキーは、道路を横切ろうとした時、スピード出した車が眼前に迫っていた。「ロッキー!!」と叫んだがすでに遅く、ロッキーの体は宙に舞い上がり、ドーンと地面に叩きつけられた。「キャーン!」の声もない一瞬時の悪夢であった。車そのまま走り去った。道路のロッキーの体は微動だもせず、即死状態であった。私は突き上げる感情で、声はワナワナと震え、足が萎えて立っていることが出来ず、座り込んでしまった。

やっとの思いで門扉に辿り着き、金具を叩きながら「誰か来て!」と声を絞り出した。私の異常さに気づいた子供たちが、飛び出して来た。

ロッキーの突然の死に、泣き叫ぶ子供たちをなだめ、「お母さんが一晩中ロッキーの傍にいるから」と説得しベットに戻るよう促した。

ロッキーを車の助手席に横たえた。私は添い寝をするように体を撫で続けた。フロントガラスから見えるオリオンは冷たい空気の中で、ひと際輝きを放っていた。遠くで瞬く星が悲しみをいっそう深めた。

ロッキーの徐々に消えゆく体温が指に感じ、死という現実を認めざるを得なかった。心臓は最後まで温もりを残していた。このことが脳死であっても、身体機能の全停止の確認をもって、初めて死を納得する気持ちとは、このことなのだと理解した。

霊園の煙突から立ち上がる煙の行方を追いながら、共に暮らした10年を愛おしく、胸が張り裂けそうだった。


Ⅳ 放浪犬モコ(メス、没15歳、雑種)

娘が茶毛の子犬を抱いて、ソファに座っていた。私は「また捨て犬を拾ってきたの?」と呆れて聞くと「チャンプが物置の下をくんくん嗅いで離れないから、覗いてみたらこの子がいたの!怯えて手を噛まれたけれど、引っ張り出したわ」見れば娘の手には絆創膏が貼ってあった。「かなり汚れていたのでシャンプーすると、黒いゴマが散らばるようにダニが這い出し水面で藻掻いていた」とのことであった。小さな体で怖さと闘いながら、安住の地を探していたのであろう。茶色の長い毛はふわふわした柔らかさを取り戻した。体を丸めている姿は、毛糸玉のようなのでモコと名付けた。空腹の放浪生活だったろうと、食べ物を置くと、慎重に臭いを嗅いだ後、女の子らしく優しく食べ始めた。チャンプの隣に用意した毛布の寝床で、安心したのか直ぐに眠りに就いた。

だがモコは放浪生活の中で身に着けた自己防衛と、人間不信が払しょくできなかったのか、何度かトラブルを起こした。

散歩中に、人とすれ違いざまに足を噛むのである。威嚇行為なのか傷にならない程度の噛み方ではあったが、通りすがりに不意を突いて噛むのだから、許しがたい犬である。

このようなことが二度あり、どちらも傷に至らなかったこともあり、菓子折りを持って謝罪訪問で済んだ。

だが三度目は大事件となってしまった。歴代の犬のマナーの良さから,うっかり門扉の閉め忘れをしたところ、モコは脱出してしまった。庭に居ないことに気づき、周辺を見回すと、悠然とした足取りで戻って来るではないか。

その日の夕方、4人の男性の訪問を受けた。警察官が市役所職員、保健所職員そして被害者の面々を引き連れて来た。厳めしい雰囲気が事の重大さを想像させた。トラベルメーカーモコの起こした、事件の事情徴収であった。

訴えられた事件とはこうであった。

被害者M老人が散歩していたら、通りすがりの犬が、突然足を噛んで逃げたとのことであった。M老人はすぐ最寄りのクリニックで治療を受け、その足で警察に届けたことによる、行政関係者を手配しての訪問であった。罪状は、飼い主の放し飼いへの訓告と謝罪並びに、慰謝料を含む治療費負担と、始末書の記名である。加害犬モコに行き着いた情報の収集は、近所からの聞き出し調査と考える。

被害者に謝罪し、夫々の行政が出す再犯防止の同意書らしき書類にサインした。それが済むと警察官からは、脱出劇の現場検証を細部に渡って行われた。最後にカメラを向けて「奥さん!写真を撮りますから犬を抱いて下さい」シャッターが切れる数秒間、私は犯罪者のように、卑屈な表情をしてしまった。「これで私の顔写真が、前科リストに載ってしまったか」と、妙な錯覚に襲われ、抱いている主犯のモコを恨めしく眺めた。

被害者のW老人には、治療費と菓子折りを持って再度謝罪訪問した。その時「この犬は性質が悪い!どうせまたやるんだから処分したほうが良い」と、言葉を荒げて指示された。私は飼い主の犬の管理徹底を約束し、どうにかモコの保健所への一里塚は免れた。

その事件から1ヶ月過ぎた頃、地区の訃報回覧にM老人の名があった。心筋梗塞による死去であったらしい。死の処分を望まれたたモコが生存し、ご自分が急死してしまった出来事に、人生の皮肉さを感じたものであった。

あれから私の管理の杜撰さはあっても、モコはトラブルも起こさず、チャンプと仲良く毎日を過ごしていた。


チャンプとモコの死

高齢になったチャンプは、好きだった散歩に消極的になっていった。動くことを億劫がり、食事量も少なくなってきた。

いよいよ水も飲まなくなり、別れる日が近づいていると、覚悟を決めなければならなかった。

出勤前、「チャンプ頑張ってね!」と声掛けしたその日、異常な様態の連絡があり早退した。チャンプの脇に長座布団を敷き、昼夜看取りをする態勢に入った。深夜、チャンプは懸命に立ち上がろうとしているではないか。水を飲もうと、最後の力を見せてはくれたが、歩かずして倒れてしまった。私は綿に水を含ませ、チャンプの口中に絞り注いだ。

夜明けにチャンプは、喘ぎを止めて逝ってしまった。

モコはチャンプの死によって、行動が変わっていった。誰もいない2階に上がり、部屋の中で、1日中過ごすことが多くなっていった。

そんなモコがその日は珍しく、階段を下りて来た。不可解に見ていた私たちの前で崩れるように倒れた。その数時間後、看取られながら静かな死を迎えた。

チャンプの魂がまだ浮遊する中陰のさ中に、モコも後を追うように逝った。

モコは高齢ではあったが、老衰症状は表れず、まだまだの生命力は感じていた。しかし、人間の老夫婦のように、伴侶の死によって失意し、生きる気力をなくし、後を追うように死でいく事例が、犬にもあったのかと思うほど、あっけない死であった。

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あとがき

現代における人間の生老病死は、施設か、病院で迎えるのが慣例しつつある。

病院で生が始まり、老いて体力の限界を感じれば施設へ、病気になれば施設系列の病院へ入院する。そこでターミナルケアとなり、死を看取ってもらう。

「生老病死」という人生の重要ポイントに家族の関りは希薄となり、「一連の場所」がその役割を果たしてくれている。

私たちは、命の尊厳に関わる機会を失ってしまった。実感がない中で「命の尊とさとは・・・」と、説いたところで、押しつけの詭弁となってしまう。

この現実が、命を軽んじる現代の様々な事件を生んでいることの要因になると、危惧しているのはわたしだけではないと思う。

私は犬の生き死に関わり、命の在り方を考え、その存在の敬虔さを体得して来た。

社会の動向に背を向けよと放言しているのではない。失われていく情意の豊かを取り戻す何かを考えたい。

失くしてはならない大事なことは、小さき命の存在を慈しむことが、すべての生命への賛歌の連鎖になると信じたい。

こうして執筆している傍で、2匹の犬が寝ている。この犬たちは後日、紹介したいと思う。


読んでいただきまして幸せです。ありがとうございます。