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フォスの時間

「フォスフォレッセンス、フォスフォレッセンス、フォスフォレッセンス」すらすら言える。

「フォスフォレッセンス、フォスフォレッセンス、フォスフォレッセンス」何度だって、私はすらすら言える。ちょっと得意な気持ちである。

初めて東京三鷹にある「古本カフェ・フォスフォレッセンス」を訪ねたとき、店への行き方を道行く人に何度も聞いた。しかし、「フォスフォレッセンス」とすらすら出て来なくて、「フォスなんとかっていう古本屋さん」と言っていた。

その後も、なかなか「フォスフォレッセンス」という言葉が覚えらなかったのだが、ある日、突然、「フォスフォレッセンス」とすらすら言えるようになっていた。不思議だ。

私の場合を例にとっていうのならば、私は、一日八時間以上眠って、夢の中で成長し、成熟した。フロイト先生のように夢という潜在意識を自覚し、この社会と、全く切りはなされた別の世界で生きている数時間を自在に持てるようになったから、かも知れない。(なぁんてね、)

「古本カフェ・フォスフォレッセンス」の店名は、太宰治の作品のタイトルからきている。小説『フォスフォレッセンス』は戦後に発表された太宰治の幻想的な短編で、店主の駄場みゆきさんによると「この短編の読後感に似た、夢と現実のあわいのような浮遊感のある時間を過ごしていただきたいという想いを込めた」*1 そうである。

店でおこなわれる読書会に参加し、太宰の物語世界に入いり込んでいるときに、絶妙なタイミングでお店にあるアンティークの柱時計がボーンと鳴る瞬間が好きだ。不意に現実に覚醒するのだが、ああ、今、私は物語の中に入り込んでいたんだと確認できてうれしい。そういう時間を私はひそかに「フォスの時間」と命名している。

読書会の後に、店から三鷹の駅まで歩いていくのも好きだ。みんなで話したことや太宰のことを反芻しながら、風に吹かれて夜道を歩いていく。夢からひとつづつ醒めていくような、たゆたう感じでふわふわと歩く。

2019年6月19日桜桃忌の記念すべき夜も、私は読書会の後、ひとり駅へと向かっていた。ふと、そういえば来るときに、お寺近くの中央通りに見事なクチナシが咲き誇っていて、私は足を止め、花の匂いを嗅いで来たことを思い出した。私にとって小説『フォスフォレッセンス』に出てくる花はクチナシがイメージ。せっかくだから、クチナシに挨拶してから帰ろうと思った。

しかし、私は、八幡神社沿いの三鷹通りにロマンチックな思い出があり、帰りは必ずここを通ることに決めているので、神社の横を通りすぎてから、ひょいと右に曲がってクチナシのある中央通りに出ることにした。

と、そのとき、再び「フォスの時間」となった。

曲がった先は住宅街で、その瞬間、私は若いころの自分の幻影を見たのだ。
そうか、ここだったのか!

初めて桜桃忌に参加したのは、だいぶ前で、私にとってはすでに昔話に近い。若いだけが取り柄の田舎娘は、東京の太宰治のお墓に行ってみたいと思い、かなりの覚悟を持って三鷹へやってきた。まだ「古本カフェ・フォスフォレッセンス」もなかったし、グーグルアースもスマートフォンもない時代の話だ。

東京のガイドブックを見ながら、お寺を目指したが迷子になった。公衆電話から、NTTの番号案内でお寺の電話番号を聞き、お寺に電話をかけて行き方を尋ねたが「自分で調べなさい」と言われてガチャンと切られ、私は、電話ボックスの中で大泣きした。その後、市役所の電話番号を調べ、市役所の人に訊ねてみたが、電話に出た人が太宰治のことをよく知らないようで、詳細を聞くのにかなり時間がかかった。(今とは全く違いましたね)

市役所の人からなんとか行き方は聞いたものの1時間以上歩いても目的地にはたどり着けなかった。今ならなんでそんなに迷ったか不思議なくらいだが、気づけば私は住宅街で佇んでいた。その日は、梅雨晴れで暑く、袖から出た手がじりじりと焼けるのを感じていた。汗だくで、熱中症寸前で、泣きべそだった。

そのとき、住宅街でおじいちゃんと小学4年生くらいの男の子が道端で座っているのを幻のように見かけた。東京で人に何かを尋ねることが怖くなっていた私だったが、法要の時間に間に合わないと思い勇気を振り絞って、座っているおじいちゃんに話しかけ、迷子になっていて困っていることを訴え、助けを求めた。涙目だったかもしれない。じっと私の話を聞いていたおじいちゃんは、隣にいた男の子に「お寺まで案内して連れて行ってあげないさい」と言ってくれた。その時の男の子の誇らしい顔は今でも記憶にある。子どもながらに「俺に任しておけ」という頼もしさであふれていた。これが成人した青年だったら、私にも「太宰婚」のチャンスはあったのかもしれない(笑) 

私は男の子の後をついて行き、無事、寺につくことができた。最後、ふたりで見合って、丁寧にお辞儀をしあったことは忘れまい。

その後、三鷹には何度も行くようになったが、おじいちゃんと男の子に会った住宅街がどこだったか、ずっと分からないでいた。実際に探したりもしてみたが見当すらつかなかった。それなのに、期せずして、同じ桜桃忌の日に偶然わかるなんて!とても素敵な夜になった。

あのときの男の子に思いを馳せる。彼は、もういい年齢だろう。今も三鷹のどこかに住んでいるかも知れない。いや、もしかしたら、すでに父親になっていて、小学生の子どもがいるかもしれない。太宰治の小説は読んだかな。好きかな。私のことなんてもうすっかり忘れているだろうな。

そういえば、その時参加した桜桃忌には、元編集者の野原一夫さんがいらしていてどきどきした。野原一夫さんは、太宰の『フォスフォレッセンス』口述筆記を目撃していたひとりだ。

さて、中央通りに戻ってクチナシの花をさがしたが、なぜか見つからなかった。確かに「現実」で見たはずなのに。おかしいな、、、。

私のフォスフォレッセンスはいったいどこにいってしまったのでしょうか。


※1 駄場みゆき著『太宰婚 古本カフェ フォスフォレッセンスの開業物語』パブリック・ブレイン 2019年

※青空文庫 太宰治著『フォスフォレッセンス』1947年7月初出