見出し画像

ヒープリ映画のキーパーソン「我修院サレナ」がプリキュア5を間接的に召喚していたという考察。

このブログ記事には『映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』のネタバレ情報が含まれます。ご注意下さい。



こんばんは。藤本ヒロシです。

先日、ついに公開された『映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』皆様ご覧になられたでしょうか。大迫力の戦闘シーン、感動できるストーリー、プリキュア5とのコラボなどなど、本当に豪華で盛り沢山で最高の映画であったと思います。

本当に最高でした。大満足です。この文章を打ち込んでいるのは3月22日ですが、27日から始まる「映画上映中に楽しめるプリキュア5キャストによる副音声ボイスドラマ」を楽しむ為にもう一度映画を観に行こうと考えてるくらいには最高でした。

そんな最高の映画なのですが、個人的に、あくまで個人的に、少しだけ、気になってしまっている事があります。最高の映画と評価しておきながら作品にケチつけるような導入で申し訳ありません。めんどくさいオタクの戯言だと聞き流して頂ければ幸いです。

その気になっている事というのは


「なんでプリキュア5が登場したのか?」という事です。


は?と思った方もいるかと思います。自分でも何言ってんだって思います。めんどくさいオタクですいません。だってこのヒープリ映画はプリキュア5とのコラボ映画なんだから当たり前なんです。メタい話をすればもうすぐそこに20周年という節目を控えているプリキュアシリーズを更に盛り上げてガッポガッポする為に東映アニメーションのお偉いさんがシリーズの中でも特に人気作であるプリキュア5を新作映画に出して一度離れてしまったかつてのプリキュアファンをもう一回抱き込もうぜ!って感じなのかなーって妄想したりもしてます。
でも違うんです。いや違わないんだけど。映画を観た方ならわかると思うんですけど、今回の映画、めちゃくちゃプリキュア5を公開前から猛プッシュしてる割にはプリキュア5の存在感がそこまでじゃないですか?いやそもそもヒープリの映画なんだしプリキュア5がサブ的な扱いなのも分かるしプリキュア映画は基本的に短い尺なのでいわゆる「尺の都合」だったのかな…というのも分かるんです。でも、それでもなぜヒープリチームがピンチの時にプリキュア5が唐突に助けに来てくれたのかの理由は何もわからなかったし、なぜプリキュア5がヒープリチームを知っていたのかも分からなかったし、正直腑に落ちないのです。言葉は悪いですが「集客の為にプリキュア5をダシにした」様に僕は少し思ってしまいました。先述した「プリキュア5キャストによる副音声ボイスドラマ」でそのあたりの答え合わせができる可能性も大いにあるのですが、それでも映画本編の中でもう少しプリキュア5の活躍が見たかったのです。何度も言いますがあくまでこの映画はヒープリの映画であり、この映画は文句のつけようのない最高の映画なのです。でも、それでも僕の中のめんどくさいオタクの心がこのモヤモヤに整合性を求めてしまっているのです。



で、やっと本題なのですが、そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら色々と映画の内容を思い返していて、自分の中でひとつ納得できる答えを導き出すことが出来ました。ただあくまで藤本ヒロシという一人のめんどくさいオタク個人の考えなので、数ある考えの一つであるとご理解いただけますと幸いです。

さて、今回の映画、キーパーソンとして「我修院サレナ」というキャラクターが登場します。

寺迫麿さん

今回の映画で主人公、のどかたちが訪れる「ゆめのまち」というテーマパークを作り、思い描いた夢を実体化出来るアイテム「ゆめペンダント」を開発した人物です。作中、数秒でしたが我修院博士の過去の回想が映り込みました。

事故現場、もしくは災害現場を前に絶望する我修院博士、そして「2007年」の文字。

恐らくですが我修院博士は2007年に大きな事故、もしくは災害が原因で大切な人を失ったのでなないでしょうか?それは家族だったのか、友人だったのか、恋人だったのか…それは分からずじまいでしたが、その出来事がきっかけで科学者であった我修院博士は「人々を救いたい」と考えるようになりました。その純粋で大きな想いが作中の鍵となる奇跡の花に届き、そしてその奇跡の花の精霊であるカグヤと出会いました。

画像4


そして我修院博士はカグヤ、奇跡の花の研究から「奇跡の花を開花させれば願いが叶う」とこを突き止めます。開花させる条件は人々の心にある「夢に対する想いを集める」こと。その為に研究の成果であるゆめペンダントの開発、ゆめのまちというテーマパークを作り、来場者のゆめアール体験からその想いを蓄積させいずれは奇跡の花を開花させるという計画を立てました。

誰にも害が及ばない完璧な計画であると思います。
ですが、そこでこの計画を破綻させる出来事が起きます。カグヤ消滅の危機です。ゆめアール体験を行う事で奇跡の花は確実に、少しずつ開花へと近づいていきます。しかしその力を使えば使うほどカグヤの存在は薄れていってしまう。これは仮説ですが、奇跡の花は本来ならもっと、もっともっとスローペースでカグヤという奇跡の花の精霊が夢に対する想いをゆめアールの力で少しずつ集めて開花させるものだったのかもしれません。気の遠くなる長い時間をかけてカグヤは「夢に対する想い」を少しずつ集め、奇跡の花の開花と同時にカグヤの存在意義は無くなり、文字通り役目を終えて消滅する…少しこじつけかもしれませんが、救いのない別れという点でかぐや姫の物語とリンクするところもあるのかなと思いました。

これも仮説…というか妄想ですが、我修院博士が開発した「ゆめペンダント」はカグヤのゆめアールの力を増幅させるもので、より効率的に「夢に対する想い」を集めることが出来るアイテムなのではないでしょうか。しかしそれは同時にカグヤの存在が消滅するまでの時間、言わば寿命を削ってしまっている…しかしそれを我修院博士はもちろん、我修院博士に育てられたカグヤは知る由もありません。

この時点で我修院博士はカグヤに対して研究材料、実験に使う生物としてでは無く一人の人間、それ以上に一人の娘として大きな愛情を注いでいます。その為、我修院博士は本来の目的であった「人々を救いたい」という夢を捨ててまで「カグヤを、娘を救いたい」という願いを叶えるため、人々の心の中にある「夢のつぼみ」を奪い、奇跡の花に大量のエネルギーを与えるという暴挙に出ました。


ここで疑問に思ったのですが、この時の我修院博士の願いは、
本当に「カグヤを救いたい」という願いだけだったのでしょうか?


元々2007年にあった大きな事故、もしくは災害をきっかけに我修院博士は奇跡の花に導かれる程に「人々を救いたい」という純粋な夢を叶えたいと思うようになりました。だがその願いを叶えるために行っていた行動が原因となり、カグヤは消滅の危機に晒されてしまいました。もちろん、母親である我修院博士は人々の幸せよりまず第一に自分自身の娘の幸せを願いました。これは人の親として(厳密にはカグヤは人ではありませんが)当然の判断であったと思います。ですが、その願いを叶えるためには、今まで自分が叶えたかった夢と全く逆、人々を不幸にしなければならないという結末が待っている事を認めなければなりません。

仮に自分自身が我修院博士の立場で、この二つの夢が天秤にかけられた時、どう思うでしょうか。僕なら「どちらも救いたい。なんとかなる方法は無いのか。」と考えると思います。僕だけではなく、そう思う人間は多いと思います。当然我修院博士もその方法を考えただろうと思います。だがダメだった。ダメだったからこそ作中で苦悩の顔を浮かべながら「娘を救う」という計画を実行しました。ですがここで思い出して欲しいのは、我修院博士が研究し、長い年月をかけて開発したものです。それは何か。

「ゆめペンダント」です。

思い描いた夢を実体化出来るアイテムです。しかもその願いは強ければ強いほどその力は増します。ひなたが軽い考えで思い描いたスイーツたちはすぐに消えてしましたが、ちゆが、そしてちゆの為に皆が思い描いた「満員の国立競技場」の存在は強く残り、作中でも見所の一つとなりました。我修院博士は無意識の内にゆめペンダントに願っていたのではないでしょうか。


「自分ではどうにも出来ない。
  だが人々も、カグヤも、どちらも救いたい」と。


そして我修院博士の「人々を救いたい」という大きな夢の根底にあったのは2007年の事故、もしくは災害です。2007年、その年はまさにプリキュア5が誕生した年です。我修院博士のその強い思いにゆめペンダントは、我修院博士が2007年(プリキュア5誕生)に願った「人々を救いたい」という願い、そして本来この映画が公開される予定であった2020年(ヒープリ誕生)に願った「カグヤを救いたい」という二つ願いに反応し、奇跡の花が開花するそのタイミングに合わせてその願いを現実のものにできる可能性のあるヒープリチームとプリキュア5チームを東京に引き寄せたのではないでしょうか。

ですがゆめペンダントが生み出す「実体化した夢」は本物ではありません。あくまで実体化した夢なのです。だとすればこの考え方には矛盾点があります。作中に登場したプリキュアたちは紛れもなく本物です。ですがその矛盾点が矛盾点では無くなるキーワードが一つ、作中に存在します。


「夢のつぼみ」です。


人々の心の中に存在する、人が夢見る為に必要不可欠なもの。
そしてその夢のつぼみの大きさには個人差があり、大きければ大きいほどその人の夢見る力は大きくなる…作中でその夢のつぼみが特に大きいと描写されていたのが、キュアグレースこと花寺のどか、キュアドリームこと夢原のぞみ、そして我修院博士です。物語終盤でエゴエゴとの問答によって我修院博士の夢のつぼみも実は大きかった…という描写があったかと思います。人並外れた大きさ、輝きの夢のつぼみを持っている人間とゆめペンダント。この二つが揃えば、その願いによって他人の運命をも操作できることは可能なのではないでしょうか。その無意識の内に願った我修院博士の「夢」はヒープリチームとプリキュア5チームを東京に呼び寄せた…

そしてその結果、我修院博士は表向きには人々を不幸にしその代償にカグヤを救う、という行動をしながら自身の願いによって呼び寄せたプリキュアたち、厳密にはに人並み以上の大きさの夢のつぼみを持ったキュアグレース、キュアドリームふたりの力によってドリームキュアグレースが誕生したことによってその計画は頓挫し、人々が不幸になることは止めることができ、そして更にカグヤグレースフォームとなったキュアグレースはカグヤを消滅の危機から救いました。

画像3

これは僕の予想ですが、最終的にカグヤは人間として転生したのだと思います。カグヤの最終的なビジュアルは髪型、服装ともに大きく変わりました。これは「もうカグヤは奇跡の花の精霊ではない」という表現なのだと僕は受け取りました。なぜカグヤは人間となったのか、それはキュアグレース、キュアドリームをはじめとしたプリキュアたちの夢に対する想いによって開花した奇跡の花が、我修院博士の「カグヤを救いたい」という願いを叶えたのだと思います。

画像4



ここまで長々と駄文を連ねて来ましたが、
こう考えると僕は先述したモヤモヤを解消できた気がしたのです。我修院博士の願いというワンクッションがあると、プリキュア5の登場は多少不自然であっても納得ができるものになると思うのです。こうまでして考えないと納得できない自分自身のめんどくささに若干引きますが、ですがこう考えることでよりこの映画が好きになったことも事実です。ここまで読んでくださった皆様、オタクの妄想語りにお付き合いいただき本当にありがとうございました。ご意見、ご感想を頂ければ幸いです。


2021.03.22 藤本ヒロシ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?