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平井堅ではありませんが(2024.3.28)

・武田砂鉄の『父ではありませんが 第三者として考える』を読了。
武田砂鉄は『わかりやすさの罪』を最近読みだして、『芸能人寛容論』でその辛辣な悪口のセンスにすっかりファンになった。
分かりやすさや断言とは距離を置き、余白を残す語り方が不思議と毎回深く印象に残る。

ボードゲームの代表格「人生ゲーム」では、入学・就職・結婚・出産などが人生のターニングポイントとして存在しているが、人生というのはああやってわかりやすく転機が存在しているものではなく、「なんだかよくわからないけど、どうも最近ぐったりしているので6マス戻る」とか、「あれがこうなるとは思わなくて、そのあれが何かっていうのはまだ言えませんし、言う必要もないのですが、ひとまず8マス程度は進めるような事態だと思っています」とか、そういうものの積み重ねである。世の中が決めてくる、極めてハッキリとしたライフステージの変化のみを成長と捉える向きはいい加減やめなければいけない。

武田砂鉄『父ではありませんが 第三者として考える』p198

20代半ばになってくると結婚、出産を選択する同級生がチラホラ出てくる。
私自身は他人様で起こっているそういったビッグイベントに対して自分との無縁さを感じており、また碌な支援もないまま出産を啓発してくる社会を見ていると何が起きても意地でも子供を産むかという反発心が膨らんでいく。
現状維持すら難しい今の世の中で、結婚出産が一つの成長として見られることに確かな息苦しさを感じていたので、上の一説を読んで気持ち深く呼吸ができるようになった気がする。

個人的には、自分ひとりでも生きるのがやっとなのに子供を産み育てることを選択した人に対しては大尊敬の念しかない。
これからも母親にはならないであろう自分が、あらゆる場で子育てをされている人に最大限何ができるかを考え続けなければいけないだろうな。(結果何もできないのかもしれないけど)

次は一緒に買っておいた『マチズモを削り取れ』を読む。楽しみ。


・夕方は唐突にMISIAの『Everything』の歌詞を思い出していた。

筆者のブルースカイ

そもそもやまとなでしこのストーリーを踏まえて制作された曲かも定かではないから完全に憶測なんだけど、たまにJPOPの歌詞についてこうして雑に考えるのが好き。無駄な時間を愛している。
一番定期的に思い出しては考えるのは平井堅の『POPSTAR』。

歌詞がこれ。

なんぼ読んでも語り手と『君』の関係性が一切見えないし、なんならパートごとに視点が変わっている気すらする。
近頃頻繁に消費される推す⇔推される関係性にも見えない。
何を思いながら平井堅はこの歌詞を書いたのか。
よく見たらPVの信号機平井堅3人衆も意味が分からない。何かのメタファーなのか。
その真意は平井堅のみぞ知るのだろうが、それでも拙い想像力で思いをはせる。

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