【ショートショート】内縁の妻
携帯の呼び出し音が鳴った。
画面をスライドさせると、聞き慣れた声がいう。
「現在、23時33分です。夜にコーヒーを飲むのはよくないです」
「うっ」
ポットを押しかけていた手が止まる。
「そうはいっても仕事が終わらないんだよ。今日は徹夜だから」
「徹夜は効率がよくありません。たとえ数時間でも体を休めましょう」
言い合いをしている時間ももったいない。私は通話を切った。
「朝ですよー」
「……ほっといて」
「〆切に間に合いませんよー」
「いいの」
「よくないです」
「おまえは編集者かコラ」
言い合いをしているうちに目が覚めた。ああ、大変だ。あわてて仕事を再開する。
「目、充血してますねー」
「仕事をしている証拠」
「facebookに逃避するのは楽しいですかー」
くそー。
「さびしくないですかー」
ぎくっ。そういえば、ここ何ヶ月も携帯としか話をしていない気がする。
「駅前の飲み屋にあなた好みの美女がいますよー」
「なんでわかるんだよそんなこと」
「彼女はちょっと酒癖が悪くて、飲むと口が軽くなっちゃいます。話し相手がほしいなーなんて思っていたりして」
結局、のせられて飲み屋に出かける羽目に。
すると、携帯に向かって愚痴をたれている女がいた。たしかに好みかも。
あっ、さては携帯同士で情報交換しやがったな。
「そんなわけでさ、結婚したのはいいけど、女房の尻には敷かれるは、携帯には監視されるはで、もう息苦しくてどうにもならねえ」
学生時代の友人と会って話すと、彼もうんうんと頷いた。
「オレもだよ。昔の二倍は息苦しいよなあ。腹をたててコイツをゴミ箱に叩きこんでやろうかと思うこともあるんだが」
と青色の携帯を取り出した。
「ひょっとして離婚して一人ぼっちになっちまうかもしれないと思うと、捨てられないんだよなあ」
呼び出し音が鳴った。
「そろそろアルコール摂取量、限界です」
私の携帯も鳴った。
「財布にお金が足りません。タクシー代を借りてください」
「じゃ、そろそろお開きってことで」
あー、うざってえ。便利なんだか不便なんだか、ぜんぜんわかんねえ。
(了)
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