モノクロの記憶

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 チャイムが鳴り、玄関のドアを開けると、虚無僧が立っていた。
 頭にかぶっている深編笠は天蓋と呼ぶらしい。
 天蓋の奥から、
「バックアップし申す」
 というくぐもった声が聞こえた。
「はい?」
「消したくない記憶を話すがよろしい。拙僧がいつまでも語り伝えましょうぞ」
「そういわれてもなあ」
「なにか、あるであろう」
「父の話でもいいですか」
「もちろん」
「まだ会社に勤めていた頃、社内に写真部というのがあって、父はときどき撮影旅行に出かけていたんですよ。もちろん休日にですがね」
「ふむ」
「ある時、家族同伴でもいいってことになりまして、母と弟と三人で興福寺に連れていってもらいました。その時の写真で父はコンテストに入賞したんですが、最優秀賞をもらった写真というのが、ただの土塀なんですよ。モノクロの土塀。どんな瞬間を捉えたのか、人っ子一人いない寂しい道で」
「いただきました」
 と虚無僧は言い、尺八を吹きながら去っていった。
 その音色が、私には
「土塀、土塀、人っ子一人、姿も見せず」
 と聞こえた。
「寂しい音でチュー」
 と横で聴いていたびすが言った。
 
(了)

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