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俳句の勉強会4月報告(2)

 昨日は娘の家へ様子見に行きがてら、一月に亡くなった夫の叔父宅へ線香を上げに立ち寄りました。叔母はようやく落ち着いたところだと、亡くなった時のことやその後の暮らしについて話してくれました。いつお会いしても本当に仲の良いご夫婦だったので、突然先立たれた悲しみはいかばかりであったことか。私たちには話を聞くことしかできませんでした。今までは二人でしていた庭仕事を一人でこなし、家にいてばかりではいけないと、かつて叔父と訪ねた場所へ出かけてその日の会話を思い出したりしていると語る叔母は、昔のままの、聡明で芯の強さを持つ叔母でした。急に伺って申し訳なかったですが、お会いできてよかったです。

 その後は娘宅へ。夜は祝えなかった誕生日の埋めあわせで天ぷらを食べに行きました。みんな胃もたれするほど食べ、離れて暮らしている実感もわかないほど、いつも通りにおしゃべりしてくつろいで、寝ました。一か月ぶりでしたが、元気そうな様子でした。ゴールデンウイーク後半はバイトとレポート作成で終わるそうです。朝はラジオで起きていると。家では何度も起こさないと起きない子だったので、遅刻していないというだけで上出来です。なんとかやれているようで、ほっとしました。

 さて、昨日中断した俳句添削の続きです。

11 春愁や言葉を交わす人もなく
  →言葉交はす人なき一日春愁
 転勤して辛い今のあなたの状況を知っている人なら理解できる中七と下五だが、それは「春愁(しゅんしゅう)」と少しニュアンスが違うのではないか。「春愁」とは、辞書で引くと「ふと物思いにふけったりする軽いぼんやりとした憂鬱な感覚。そこはかとない憂い、悲しみ。」とある。原因がはっきりわかっている深刻な辛さは「春愁」とは言わない。いい季語だと思っても、季語の説明や例句を見てから使うことが大事。(添削後は、特に何があったというわけではないが、誰とも話さないまま一日(ひとひ)が終わったことをぼんやり寂しく思う句になっている。こういうのが「春愁(はるうれい)」か。)

12 春暁に音なく雨の降りしきる
 「降りしきる」は強い雨を表しているのに「音なく」とすると矛盾が生じる。「春暁や」と切って、「音なく」よりは「静かに」としてはどうか。ただ、形容詞・形容動詞はあまり使わない方がよい。

13 海風に銀の穂揺らす茅花かな
  →海風に銀の穂波の茅花かな
 「揺らす」だと茅花(つばな)が自分で穂を揺らしていることになる。風で揺れるのだから「揺れる」とすべき。ただ、茅花は一本だけではなく、一斉に風で動くもの。(自分が詠もうとしたのもそれでした。)そうであれば、やはりたくさんの茅花の穂が波のうねるように動く様子を表現したい。「茅花」といえば、自分の好きな季語に「茅花流し」というものがある。これは夏の季語で、「流し」とつくので雨のことだと思っていたら、風だった。茅花の穂綿が銀から白に変わってほころぶ頃の、雨の気配を含んだ南風を「茅花流し」という。(素敵な季語だなぁ。使ってみたいけど、ちゃんと調べないと、またトンチンカンな句になりそうだな…。)

14 道半ば引き返す猫草若葉
  →踵返す車道半ばの子猫かな
これは取り合わせがよくない。「草若葉」は晩春の季語で、夏の草ほど猛々しくはないが、どういう状況?(国道のガードレール下に猫がいて、道路をこちら側に渡りたいようで途中まで出てきたが、やはり危ないと思ったのか引き返して、ガードレール下の草むらの中に潜り込んでいる様子です。)どこかへ行こうとして途中で引き返したのかと思った。上五・中七・下五でそれぞれ別のものを詠むことを三段切れといい、してはいけない。上五と中七か、中七と下五が関係があるように詠む。「道半ば引き返す」は俳句の言い方なら「踵返す(きびすかえす)」で短く言える。残りの音で状況説明をするとよい。(十二音使っていた所が五音で言えてしまった!)

15 春雨や歩かぬ犬と引き返す
  →春雨や進まぬ犬を抱き上ぐる
 これはどういう状況?(雨の日の散歩の途中、濡れるのを嫌がって犬が動かなくなり、仕方なく十キロ近い犬を抱えて引き返すことになったという夫の話を聞いて作りました。)雨に濡れるのが嫌で抱っこをせがむ犬に焦点を当てる。「引き返す」では説明不足なので「抱き上ぐる」としては?

16 噛むたびに眠気の覚める花菜漬
  →噛みしむる母の手製の花菜漬
 「花菜漬」でなぜ眠気が覚めたのか?(実際は青高菜漬だったのですが、春の季語に「花菜漬」というのがあったので。)それはちょっと。季語の持っているよさを表現しないといけない。「花菜漬」なら鼻にツンとくる辛みだろう。「覚める」も、文語体で詠むなら「覚むる」。力のある俳人で、季語を季題と呼ぶ人がいる。季語そのものがいろいろなテーマを含んでいるからだ。俳句は文学だから、事実を表現しないといけないわけではない。「噛むたびに」を「噛みしむる」として、「母の手製の」とでもすれば、句になる。(そうか、とは思ったが、私の母は認知症で今は施設にいる。フィクションだとしても辛くなるので、句としてはよくてもこれは詠みたくないなぁ…。)
 
以上です。説明が長くなってしまってすみません。

 転勤してから寂しく過ごしているもので、この日は師匠にも元同僚にも励まされて、泣きそうでした。負けるな、とか言われてね。私、本当によい同僚に恵まれてきたのだなと改めて思いました。また来月の勉強会に向けて、少しずつでも俳句を作っていきたいと思います。

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