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俳句の勉強会を終えて

 俳句を月1で見ていただくことになり、今日まで毎日作ってきました。下手なりに1日1句をノルマとしてきたわけですが、いろいろご指導いただいて、このやり方で続けてよいものか迷いが出てきました。とりあえず、教わったことの覚え書きです。

1 客観写生の大切さ。見たままを写生しても、とらえ方に作者の視点が感じられるものである。頭に浮かんだことを作っていても、そのうちに進歩がなくなり、自己陶酔の句や深みがない句になる。

2 1の考え方がある一方で、自分の暮らしの中で見聞きしたことを句にすればよいという考え方もある。俳句はその日の日記になる。

3 寺社の行事などに俳句仲間で出かけてその時の様子を俳句に作ると勉強になる。吟行(ぎんこう)という。吟行したら10句は作る等、目標を決めるとよい。

4 口語で作ったり文語で作ったりはよくない。どちらかに統一して作る。文語の方が中だるみした表現になりにくい。

5 切れ字の「や」は上と下をつなぐ働きをする。無関係のものを取り合わせるが、両者がかけ離れすぎても、連想できすぎてもよくない。

6 「かな」は上から下にのびてきて最後を止めるときに使う。

7 「〜て」の「て」は、散文的になるのでなるべく使うなといわれている。

8 句の終わりを終止形にすると、そこで動きが終わる。ここで終わりたいと思う時は、終止形がよい。連体形にすると、一連の流れの中の一つの動作という感じになり、詠嘆の意味も含まれる。

9 漢字の熟語を音読みにするか訓読みにするかは、五七五の調子で判断する。

10 人の共感を得る句と、そうだねと、さらっと流される句の違い。俳句が評価される時は、一人の選者の体験にちょうど重なって選ばれるということもあれば、10人の共感を得てということもある。自分は句にしなかったが、この人はそれを俳句にしていてすごいということもある。

11 俳句の三多といわれているものがある。1は多読、2は多作、3は多捨という。特に最初はいろんな句を読むのが勉強になる。何でも句にするが、ものにならなければいつまでもこねくり回さずに潔く捨てる。

12 説明しないとわからないような俳句はダメ。誰がどのようにしたのかという情景を、一つの語の働きでわかるようにできれば、すごくよくなる。

13 二百字練習帳に人の句を書き写すとすごくよい勉強になる。二百字帳だとどの句も1行でおさまる。作り始めたばかりの頃はどういうふうに作ればよいのかわからないので、書き写すことがとても勉強になる。

 ご指導いただいて思ったのは、俳句をタイトルにして、その句を作った時の状況を400〜500字で添える、というのが当初考えたコンセプトでしたが、そもそも状況説明が必要な俳句はいけないんだなぁということ。だんだん状況説明のはずが、日記化してもいました。いちいち説明を添えていたら、17音で自分の気づきを伝えきる力はつかないのではないか。今の気持ちを例えるなら、ハイキング感覚で歩き始めた道が登山道だった、というような感じです。装備は変更必須ですし、それが本当に自分のやりたいことだったのか、考えなければなりません。

 考えた結果、俳句は続けますが、これまでのような説明は止めます。ちゃんとやろうと思います。それとは別に、小説を書いてみようと思います。誰でも一生に一冊は書けるそうです。今まで書いてみたいなと思ったことはありましたが、書ける気はしませんでした。飽きっぽいからです。しかしnoteで1ケ月毎日書いてみて、案外やれるかもと思いました。ちょっとした楽しみにもなりましたし。詩よりは散文の方が書いていて苦にならないんですよね。

 というわけで、一日一句の日記はおしまいです。読んでいただき、スキやコメントをいただいて、とてもうれしく、励みになりました。ありがとうございました。

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