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柔らかな春光 父の声を聴く

 普段はほとんどやりとりのない兄からの着信に、胸騒ぎを感じながら折り返しの電話を入れると、年末に母と一緒に施設に入った父が、今朝救急車で運ばれたので、今向かっている途中とのことでした。慌ててどこの病院に運ばれたのか聞くと、病院名と、取りあえず自分が行って病状や今後のことを聞いてから連絡する、と言って電話は切れました。入試の真っ最中だったため、そのまま仕事を続けましたが、昼に兄と電話で話すまでは気が気ではありませんでした。

 父は脳出血を起こしていました。これまでに2度脳梗塞を起こしていて、少し滑舌が悪くなっていましたが、今回の出血箇所も言語を司る場所らしく、障害の残る可能性があるそうです。話好きだった父にはどんなに辛いことか…。それでも命があったことに感謝しなければなりません。今回の出血がもし自宅にいる時だったら、認知症の母では救急車を呼ぶことも近所の人に助けを求めることもできず、父は死んでしまっていたでしょう。

 昨年末にいろいろあって両親一緒に施設に入居しましたが、父はまだほとんど身の回りのことはできたので、施設での生活に退屈し、母を連れて自宅に帰りたいと何度か電話が来ました。お父さんだけなら大丈夫だけど、お母さんは難しい。お母さんの年金では施設のお金が足りないから、お父さんの年金を足さないといけなくて、そうするとお父さんの生活費が足りなくなる、と話すと、じゃあここで我慢するか、また電話して愚痴を言ってもいいかと言うので、いいよと、電話もかけ放題プランに変更したばかりでした。面会で興奮してまた血圧が上がると危ないとのことで、病院まで行った兄も父には会えずじまいで、私にも、今できることは何もないから来なくていい、自分が念のため実家に数日いて、容態が急変した時はすぐ知らせるから、と。

 昼休み、外に出ると、春の柔らかな光に何もかもが包まれ、輝いていました。花は咲き、鳥は歌い、風さえも私に優しい。お父さん、まだ愚痴を聞いてないよと、心で父に語りかけました。娘のこと、仕事、やることはたくさんあるけれど、優先順位はそこではない。でも、今は他に何もできない。あの日から心にはずっと父のことがあります。まだ会えていません。言葉はほとんど出ないそうです。後悔…いや、命があったことに感謝して、面会できるようになったら、父の言葉にできない愚痴まで聴こうと思います。

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