Where Is My Mind ?

映画は好きかと問われると容易に返答することができるのにも関わらず、最も好きな映画作品を尋ねられると、口元をゴニョゴニョと緩ませながら、「難しいな~」「え、一つだよね?」などとのたまい、尻込みした風を装う人は多い。

ここで、回答を先延ばしにされるからといって、質問者はその質問を反故にしてはならない。
問1で「はい」を選択した人間は、皆、この質問に対する解答権を得られたことが嬉しくてたまらないのだ。

回りくどい言い方をするのは自身がこの会話の上での主人公でいる時間をできる限り長引かせるための手法であって、決して回答をうやむやにするために口ごもっているのではない。

ご多分に漏れず、私もこの質問を受ける、より正確にはこの恩恵を享受できる文脈を嗅ぎつけた時点で、昂る思いを抑え込み、息を潜める。
獲物を目前にした猛獣なる顔つきで、己にスポットライトが当てられた瞬間に対する入念な準備を始めるのだ。

如何にして、作品の魅力、ひいてはそれに準じた自分自身の魅力を伝えられるかを企むのである。

しかしながら、私はこの演説において、あるハンディキャップを抱えている。
初めてデートをする恋人候補に、あるいは今後苦楽を共にすることになる仲間たちとの決起集会の中で、この映画のあらすじを伝えることが出来ないのである。

作品を語るうえで欠かすことのできない、とある会合での第一、及び第二のルールで、「クラブのことを口外するな」と定められているからだ。


作品のメイン・キャラクターである、タイラー・ダーデンの好きな台詞がある。

「ワークアウトは自慰行為だ 男は自己破壊を」

タイラー・ダーデン ー『ファイト・クラブ』より

ジムの中吊り広告を目にして、タイラーが口に出した台詞だ。

ここでいう「自己破壊」は、何も映画の表面だけを掬い取り、「己の身体を傷つけ、退廃的な生活を送れ」というメッセージでは決してない。

世間の、そして世間に影響を受けた自分自身の固定観念を疑い、一から創造し直す精神的な度胸を持て。
この台詞から、そして、作品全体を通して伝えられていることだ。
私は、そう捉えている。

物語の終盤では、主人公が自分自身、そしてタイラーとの関係性を見つめ直し、真実に辿り着くことになる。
タイラー側からすると苦い展開になるのであるが、この未来を引き寄せたのもまた彼自身なのだ。

己を疑う好機をもたらす。
それこそが、タイラー・ダーデン、そしてファイト・クラブの存在意義なのではないだろうか。

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