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短編小説「のっぺらぼう」(諸橋隼人)

ついに追い詰めた。
ネットで匿名の誹謗中傷を繰り返していた犯人・梶山(かじやま)は今、このネットカフェに潜伏している。
身分証を偽装し、徹底した匿名性を確保してまで、なぜ誹謗中傷などを繰り返したのか。
昔気質の警部・綿貫(わたぬき)には到底理解できない。
そんなことは、これからたっぷり、本人の口から語らせればいい。
人気アイドルを死に追いやった「顔のない男」はもう、目の前に迫っているのだ。
被害者であるアイドルは、綿貫の娘・小春と同じ、16歳の女の子である。
希望にあふれた彼女の未来は、薄汚い30過ぎの男の、心ない言葉によって奪われた。
これは、言葉を凶器にした殺人だ。
何としても、梶山には罪を償わせなければならない。

綿貫と後輩刑事の乙部(おとべ)は、受付スタッフに確認を取り、ブースに向かう。綿貫は一度立ち止まりブース番号を確認すると、その扉を叩いた。
「梶山だな? 出てきなさい」
声をかけると、梶山は抵抗するそぶりを見せず、素直に扉を開けた。しかし、男の変わり果てた風貌に、綿貫と乙部は言葉を失う。
「どういうことなんだ……?」
姿を見せた梶山と思しき人物の顔には、そこにあるはずの目も鼻も、口もない。
顔のない男が、ぬぼーっとただそこに立つ、圧倒的に異様な光景……。
「か……梶山なのか?」
男が問いかけに答えることはない。答えられないという方が、正確なのかもしれない。
綿貫は戸惑いながらも、男を連行する。
従順な「のっぺらぼう」は、驚くほど穏やかな様子だ。
乙部に野次馬たちを制してもらい、簡単に連れ出すことができた。

捜査本部で、滑稽な取り調べが行われる。
「お前が繰り返した誹謗中傷を苦にして、被害者は死を選んだんだぞ」
「彼女の死亡報道後にも、お前は別のアイドルに粘着したな? 良心の呵責はなかったのか?」
綿貫と乙部の問いかけに対して、梶山が答えることはない。当然である。梶山には、言葉を話すための口がないのだ。
ネットカフェに内の監視カメラ映像では、ブースに入るまでの梶山の見た目に、特に変わった点はなかった。
信じられないことだが、入室後、突然変異を起こしたようだ。
「こいつ、確かに梶山なんだよな?」
「所持品はすべて一致していますし、店員の証言を聞く限りでも、間違いないのですが……」
二人の戸惑いが伝わっているのかさえ、定かではない。
のっぺらぼうは、ただそこに座っている……。

梶山の身体検査が行われる。
レントゲン撮影では、驚くべきことが明らかになった。
梶原の顔には、器官としての目・鼻・口がすべてないのだ。
卵のようにつるっとした頭蓋骨の写真。
「こいつ、どうやって生きてるんだ?」
梶山には指紋もなく、個人を判別する情報は皆無に等しかった。

「顔を持たない犯人が逮捕された」
ネットカフェにいた野次馬が撮影した動画によって、梶山の存在はすでに世間を騒がせていた。
こうなってくると、警察も黙っているわけにはいかない。
綿貫と乙部が、記者の前に立ち質疑応答する運びとなった。
報道陣からは多くの質問が投げかけられるが、綿貫自身にもわけがわからない状況なのだ。
「顔のない男が犯人であることは間違いありませんが、詳細は調査中です」
それ以上、具体的に話せることがなかった。

数日後。思わぬ展開が待っていた。
ある大学生が梶山と同じ「のっぺらぼう」になったという情報が入ったのだ。
にわかには信じがたいが、綿貫と乙部は大学生の自宅に向かう。
「うちの子も、TVで見る犯人みたいに逮捕するの?」
不安そうな母親を婦人警官に任せ、綿貫は大学生の自室に入る。
「同じだ……。梶山と同じ」
PCのデスクの前に腰かけているパーカー姿の青年には、確かに顔がなかった。
乙部は、とっさに青年のPCを操作する。
「綿貫さん、これ、見てください」
乙部に声をかけられ、画面を覗く綿貫。
SNSのホーム画面には、青年が匿名アカウントを使用し、何度も誹謗中傷を行った痕跡が確認できた。
「まさか、匿名で誹謗中傷を行うと、顔を失う……?」

信じられない事象だったが、その後、世界中で同様のケースが続発した。
匿名で誹謗中傷を行った人々が、次々に、顔を失ったのだ。
顔を失った人々は、同時に欲や個性を失うらしい。
不思議なことに、彼らには食事も排泄も、睡眠すらも必要ないらしかった。

「陰でこそこそ誹謗中傷した奴らに、天罰が下っているんですかねぇ」
すっかりくたびれた表情で、栄養ドリンクを飲み干した乙部がつぶやく。
「いや、逆かもしれんぞ。こいつら守られてるのかも。より完全な匿名性を手に入れたんだからな」
そう言って、綿貫はため息をついた。
奔走むなしく、のっぺらぼうは数を増やしていく。
その多くは研究対象となり、特設された施設に収容された。
おとなしく、欲を持たない彼らの管理は、非常に容易だった。

「誹謗中傷をすると、『何か』に変わってしまう」
そんな事実はわかっているはずなのに、行為はやまず、のっぺらぼうは増える一方だ。
「世の中、どうかしてるぜ」
綿貫はそう言いながらも、日々捜査の進捗報告を行うため、連日、記者会見の場に立っていた。
「いつも同じ話ばかり」「警察は無能か?さっさと原因をつきとめろ」
世間では綿貫たち警察に向けた批判の声が、徐々に増えていた。皆、不安をぶつける先を求めているのだろう。

「おかえり。ひさしぶりって気がしないね。私はパパのこと、いつもTVで見てるから」
久々に自宅に帰った綿貫を、一人娘の小春は笑顔で迎え入れた。
「会わない間に、少し背が伸びたか?」
「そんな急には変わらないよ」
「ふっ。そうか」
「パパ、疲れた顔してる。ほうれい線、ちょっと深くなったんじゃない?」
「よせよ」
そんな他愛もない会話が、何よりの癒しだ。
ゆっくり風呂に浸かり、妻と娘と食卓を囲む。この瞬間だけは、事件の事を忘れられた。
まだまだ家族の顔を見ていたいが、強い睡魔に襲われた。
やわらかいベッドに横になるのは、いつぶりだろう。綿貫は、すぐに眠りに落ちた。

数時間後。つんざくような妻の悲鳴を聞き、綿貫は目を覚ました。
「どうして……どうして……」
震え、立ち尽くす妻の脇から、綿貫は部屋の中を覗いた。
パジャマ姿の小春が、スマホを握ってベッドに座っている。
「まさか……」
綿貫は小春に駆け寄る。その顔に、凹凸はない。のっぺらぼうだ。
「いやぁぁ!」
泣き崩れる妻。
「小春!小春!小春!」
綿貫は娘の名前を何度も叫ぶ。しかし、小春の反応はない。
綿貫は恐る恐る、小春の手からスマホを取り上げた。
「刑事や警察は寝る間を惜しんで働いている。あんたは文句垂れているだけのゴミですよね?生きてる価値ないですよ。生産性のない人間は死んでください」
同じような文章を、いくつものアカウントに送信した痕跡がある。どのアカウントも、警察を手痛く批判していた。
小春がこんな口汚い文章を……信じがたいが、腑に落ちるところはある。
昔から、正義感の強い子だった。家族が貶されるようなことがあれば、黙っていられない。そんなところが確かにあったのだ。
「そんな……小春が……俺のために……」
悲しみも痛みも示さない、デッサン人形のようになった小春。綿貫はただ強く抱きしめる。

対策本部の室長の娘が、のっぺらぼうになった。世間が知ったら、どんな反応を示すだろう。
このことは、絶対に漏らしてはいけない。綿貫と妻は、小春を隠し暮らすことにした。
学校には病欠だと連絡し、小春を部屋に閉じ込めた。

綿貫は捜査を進めるために数日家を空け、着替えを取りに戻る。そんなルーティンを繰り返した。
帰るたびに、ひどく疲れた様子の妻が気になった。
「だんだん、この子の顔を忘れていくのが怖いの」
綿貫も同じ気持ちだった。
「小春……。チャンネル、変えようか?」
娘が楽しんでいるかどうかもわからないが、TVのチャンネルを変えてやる。
「のっぺらぼう」のニュースが画面に映し出されると、綿貫はTVを消した。
変わり果てた娘に、これ以上かける言葉が見つからなかった。

数日後の昼。綿貫家に突如、管轄の異なる刑事たちが訪れた。
「な、何しに来たんだ?」
綿貫が尋ねるも、「失礼します」と強引に上がり込む刑事たち。
「やめろ!開けるな!」
どこからか嗅ぎつけ、見当はついていたのだろう。小春の部屋まで一直線に進むと、刑事たちはドアを開けた……。

「お願い!連れて行かないで!」
「やめろ!その子は、他のやつらとは違うんだ!その子は、俺のために……」
綿貫と妻の悲痛な叫びもむなしく、顔を持たない小春は連行された。
玄関先まで押しかけていた報道陣は綿貫を囲み、その姿を撮影する。
その日の夕方には、ネットもTVも、綿貫の話題で持ちきりとなった。
「偉そうに捜査を指揮してたくせに、自分の娘が連れてかれてやんのw」
「めっちゃ綿貫の悪口書きたいけど、のっぺらぼうにはなりたくねぇわ」
「使えない綿貫に容赦しなかった、別部署の刑事、有能すぎて草」
「これは中傷ではなく、批判です。綿貫警部は辞職すべき」
心ない書き込みが、そこら中に溢れかえる……。

娘を奪われ、世間からの批判や中傷に耐えられなくなった妻は、精神のバランスを崩してしまった。綿貫がどんな言葉をかけようと、妻は一点を見つめ、動かない。
外に出れば「警部としての説明責任」という言葉が、綿貫について回った。
世間は許してくれない。やがて、経緯説明の会見を開くよう、警視庁からもお達しがあった。

迎えた会見当日。
乙部と綿貫は、会場の控室にいる。
すでに、たくさんの記者が会場の中に外に押しかけているだろう。
「綿貫さん。僕は何があろうと、あなたの味方です」
乙部が励まそうと試みても、今の綿貫には響かない。

「どうしてこうなった」綿貫は思う。
「俺たち家族はおしまいだ。小春が元の姿に戻ることはないだろう。みんなが俺を指さし、罪人のように扱う。耐えられない……」
綿貫は立ち上がり、フラフラと歩きだす。
「誰も、俺のことを知らない世界に行きたい」
部屋を出て、裏口に向かう。
綿貫の様子に気がついた乙部は、慌てて後を追う。
「綿貫さん!どこに行くんですか!?」
ドアノブに手をかけた綿貫は振り返る。
その顔に、目鼻口はない。
綿貫もまた、「のっぺらぼう」へと変化していた。
「そ、そんな……」
顔のない綿貫は、外へ出ていく。
乙部は、彼を追って飛び出した。

「きゃぁぁ!」
通りでは、のっぺらぼうの存在に驚く女性が、悲鳴を上げている。
のっぺらぼうは、一人ではない。
街のところどころに現れている。
「なんてことだ……。綿貫さん!? 綿貫さん!」
乙部はのっぺらぼうたちに向かって叫ぶ。
彼には、いったい誰が綿貫なのか、もうわからなくなっていた……。


のっぺらぼうの群衆に混ざった綿貫は、今までにない安心感を味わっていた。
欲も怒りも、痛みも悲しみもない。「みんな同じ」という感覚が、ただ心地いい。
同じなら、傷つかない。同じなら、傷つけない。
世界がみんなこんな風なら、きっと、すべてがうまくいくだろう……。

(終)


諸橋隼人(もろはし はやと)
脚本を書いています。
執筆作品はドラマ「世にも奇妙な物語」『恋の記憶、止まらないで』『ソロキャンプ』『しみ』
アニメ「サザエさん」 など。

最近は執筆の合間に、ベランダから双眼鏡で遠くを眺めていることが多いです。

illustration by Natsuki Kurachi

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