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『雪の断章』の復刊 雪解けの頃

数奇な人生に弄ばれながらも強く生きる主人公、そして、繊細な情景描写で多くの読者を魅了してきた小説、『雪の断章』。推理小説でありながら、主人公の成長や葛藤、恋心などを重層的に描きだした名作で、しんしんと降る雪のように、静かで情緒的な雰囲気が作品世界を包み込みます。

のちには斉藤由貴さん主演で映画化された同作は、北海道出身の作家、佐々木丸美先生のデビュー作。1975年、講談社から出版されましたが、その後2006年に復刊されるまで絶版状態が続いていました。

著者自身が文壇から遠ざかり、長らく忘れ去られていたように見えたこの作品。実際、復刊ドットコムに寄せられた多くのファンの声がなければ、もはやその存在に気付く人はほとんどいなくなっていたかもしれません。ですが、運か必然か、同作を含めた佐々木丸美先生の作品は、復刊ドットコムの中でも特に多くの復刊リクエストを集めました。眠っていた作品の秘めたる求心力に導かれ、再び読者の元へ送り出すべく、復刊交渉が始まりました。

復刊ドットコム刊行の単行本版『雪の断章』 同作を皮切りに、「佐々木丸美コレクション」として全18作品が復刊されています。 現在は品切れで、電子書籍、あるいは東京創元社刊行の文庫本で読むことができます。

<あらすじ>
養い先の家で惨い仕打ちを受け家を飛び出した孤児の飛鳥は、青年・祐也に助けられ彼の元で育てられる。育ての親である祐也への愛を、飛鳥はひそかに募らせていく。そしてある日、殺人事件が発生したことから飛鳥と祐也の運命は大きく動き出す・・・。

復刊ドットコムサイトより引用

雪の中の復刊交渉

『雪の断章』の復刊交渉は手紙のやりとりから始まりました。
復刊ドットコムの交渉担当者が復刊の熱意を伝えるために送った手紙の数は、なんと30通にも及んだといいます。しかし、時折届く返事はいつも復刊を拒否するものばかり。しびれを切らした担当者がとった手段は、アポ無しの直談判でした。

その日、交渉担当者は北海道石狩郡にいました。季節は冬。雪が降り積もる中、著者の佐々木丸美先生を直接説得するために自宅を訪れたのです。
佐々木先生がいたのは、自室のある2階。何とかして話すために、担当者は自宅前に積もった3メートル近くもある雪をよじ上りました。途中、空洞となった積雪の中に転げ落ちながらも、窓越しに復刊への思いを伝えたのです。冬の北海道の寒さも気にせず、熱意を伝え続けること20分間。答えはやはり同じでした。

佐々木先生が復刊に乗り気ではなかった理由は、平たく言えば出版業界への不信感だったそうです。作家活動の中で少しずつ溜まっていったわだかまりが、佐々木先生の心を閉ざしてしまっていたのです。

この日、復刊交渉は実らなかったものの、著者の口から直接復刊を断られたことは、ある意味では一つの成果でした。良くも悪くも、復刊活動としてできることはやりきるところまでいけたからです。結局、この日を境に『雪の断章』の復刊交渉は無期保留となり、事実上、復刊を断念することとなりました。

復刊を支えた熱心なファンたち

ところで、『雪の断章』の復刊交渉を語る上で忘れてはいけないのが、佐々木丸美先生のファンクラブの存在です。書籍を復刊させる際には、ファンや関係者からの情報提供をもとに進めていくことが多々ありますが、中でも同作は特にファンと深い関係を持って交渉に臨んだ作品だからです。

当時、そのファンクラブは、自ら元の出版社である講談社に復刊を働きかけていたほど、熱心なファンの集まりだったといいます。復刊ドットコムとの接点が生まれたきっかけは、ちょうど復刊ドットコムが復刊交渉を開始することになり、ファンクラブ側からさまざまな情報提供を受けたことでした。情報というのは例えば、著者の近況や連絡先など、人づてにしか得られないような類のものです。

実は、先の真冬の北海道訪問もファンクラブの協力があってこそ実現したもの。この時は情報提供にとどまらず、復刊ドットコムの交渉担当者と一緒に著者を訪ね、ともに復刊の実現を嘆願していました。

復刊ドットコムの担当者と波長が合ったということもあり、ファンクラブとの関係はますます親密になっていきました。その存在は、その後も同作の復刊を目指す上での「鍵」と言えるほどのものになっていったのです。

著者の逝去、そして復刊へ

復刊を断念してしばらく経った頃、状況は思いがけない形で変わることになりました。2005年12月、著者の佐々木丸美先生がお亡くなりになったのです。

著者が亡くなると、著作権は親族などに継承され、その後のさまざまな交渉は著作権継承者の意向に沿う形になります。一度は諦めた復刊でしたが、当時の担当者は無理を承知でもう一度交渉を試みました。返事は、前向きなものでした。著作権を受け継いだ佐々木先生の遺族は、以前から、多くのファンが望むにもかかわらず復刊しないことを残念に思っていたそうで、その思いが復刊の実現に繋がったのです。

さて、ここでも一役買ったのが例のファンクラブでした。佐々木先生の遺族とも関係性を築いていたファンクラブのメンバーは、復刊本の出版元についても遺族に代わって采配を振り、結果的に単行本は復刊ドットコムから、文庫版は東京創元社から、と話をまとめていったのです。編集過程に一部関わることもあり、一ファンの立場にありながら、ファンクラブの影響は非常に大きなものでした。復刊の鍵を握るほどの影響力ゆえに、時に関係者との摩擦が生まれることもあったといいます。ですが、共に復刊を目指してきたからこそ、共に喜び、共に考えることは、思えばごく自然なことです。一線を引くことなく、ファンとともに同じ目標を目指したことで、ついに『雪の断章』が再び陽の目を見る時がやってきたのです。

『雪の断章』復刊にかけた想い

念願かなって実現した『雪の断章』の復刊ですが、著者の意思を蔑ろにしているのでは、と感じる方もいるでしょう。たしかに、「著者本人から復刊の了解が得られなかった作品を、遺族の意向で復刊する」と言うと、何か後ろ暗い感じがするかもしれません。当時の担当者自身も、「後ろめたい気分もあった」と振り返ります。ですが、この復刊によって、読者も家族も、大勢の人が喜んだことも事実なのです。

一度作品が世に出れば、著者だけでなく、読者にもその作品への思い入れが生まれます。作品が出版されると言うことは、ある意味では著者の手を離れることと言えるかもしれません。読者にとっても大事な作品を復刊することと、著者の意思を尊重することは、時にアンバランスになることもあります。そんな時、もう一つの見方として大切なのは、作品そのものが長く愛されるためにできることをするということです。
これからも受け継がれるべき名作が人知れず消えてしまわないよう、その価値を信じ、未来につなぐこともまた、復刊という仕事の使命なのです。


■取材・文
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

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