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どっちもに立ち続ける

母校の記念式典に参加してきた。
懐かしい先生たち、同期との再会、先輩や後輩との出会い。
久しぶりの集いに、祝会でおいしいご飯もいただいて、充実の時間になった。

正直参加する前は、学生時代の思い出を日頃あまり思い出せない俺にとって、母校の記念日を祝う気持ちがちゃんと持てるか不安だった。
あと、学生時代は自分にとって厳しい時期で、今だから言えるが当時は母校愛とかよくわからなかった。

でも行ってみたら、懐かしいと思えたし、先生や友人たちと普通に話せた。
そんな自分に少しホッとした。

思えば、卒業してからの方が母校といい関係を結んでいる気がする。リアル親みたいだ。笑
在校生や先生たちに研修で当時の思いを伝え、誰もに開かれた母校であってほしいと思いを込めて関わる中で、母校に対して素直な思いを持てるようになってきた。
そう思えてきたら、母校に、先生たちに、自分はかなり愛されてきたし、今もなお愛されているのだと受け取れるようになってきた。

とてもめでたいことだし、嬉しいことだと思う


でも。でも一方で、このような自然な思いを、帰属感を、思い入れを、つながりを、在学当時に持っていたかった。
本当なら、学生時代を嘆かずに過ごしたかった。

記念動画に写る校舎に、一抹の寂しさと遠さを覚えることに気づいていた。集っていた同窓生のように、ただ純粋に祝い喜ぶ気持ちを持っていたかった。

愛おしく思うと同時に、俺はまだ、学生時代をどこかで赦せずにいる。
そのままの自分で過ごせなかった日々を名残惜しく思うし、そういう自分の煩悶に気付いてくれなかった大人たちや環境を、まだ赦せずにいる。

全校生や同窓生が出席する式典に、学校に来られていない子達がいることを知っている。
受験までして頑張って入った母校で、今この式典で「あなたは大切な人だ」というメッセージを、会場で聞けずにいる子がいる。
その事実にどれだけ気づいている人がいるだろう。

女子教育から始まったこの学校で登壇している要職者が、卒業生の代表者以外全て男性ジェンダーであることに違和感を持つ人はどれだけいるだろう。

祝う気持ちに水を差したいわけではない。
単に、どちらも間違いなく自分のうちにある気持ちであるこということ。

むしろ一区切りを迎えた今もなお、我が母校には伸び代がまだまだある。

もっと、全員を含める学校になれるはず。
うちの母校、まだまだいけるぜ。そんなもんじゃないやろ。

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