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【中国文学】賈平凹『廃都』(1993年)溟濛たる古都の人間模様

  1990年代の中国文壇で、陝西省出身の作家が中央の文壇で大きな注目を浴び、「陝軍東征」と称されたことがある。このとき注目された作家の一人に、陝西省丹鳳県出身の賈平凹(ジア・ピンアオ/か・へいおう)がいる。
 小説『廃都』は西安をモデルにした架空の都市「西京(シージン)」を舞台に、小説家荘之蝶(ジュアン・ジーディエ)の周辺につどう文化人や政治家たちの群像や、彼の女性遍歴を描いた作品である。1993年に出版され、発売6か月後に発禁処分を受けたが、現在では大陸でも入手できるようだ。日本語訳は吉田富夫訳『廃都』上下2冊、中央公論社、1996年。

作家・荘之蝶をめぐる情と愛

 1980年の西京。荘之蝶は西京を代表する文化人として活躍し、彼を慕って周囲には様々な人が出入りする。
 物語は周敏(ジョウ・ミン)と唐宛児(タン・ワール)という駆け落ちしたカップルが西京に登場するところからはじまる。周敏ははじめ尼寺で働いていたが、文壇で活躍したいという夢を持っていた。隣人の孟雲房は文史館の研究員で顔が広く、周敏に西京文化界の「四大名人」について語る。それぞれ画家、書家、楽団長、小説家である「四大名人」のプロフィールが長々と語られるが、ここでまた始まったお得意の長広舌が始まった、と思って本を投げ出してはいけない。四大名人のうち二人は前半では影が薄いものの、小説の後半では荘之蝶のもとにトラブルを持ち込む重要人物である。
 四大名人のうち小説家がすなわち主人公の荘之蝶で、周敏は彼の名前を利用して『西京雑誌』編集部に就職する。しかし、周敏がまわりから荘之蝶の若い頃の女性関係を聞いてゴシップ記事を発表してしまったため、編集部は相手の女性からの抗議と訴訟への対応を迫られる。
 有名人である荘之蝶の周囲には、様々な人が寄ってくる。例えば「101農薬」の黄工場長は、荘之蝶に高額の報酬を示して宣伝の執筆を依頼し、以降もトラブルを起こしては荘之蝶のもとに駆け込む。というのも、荘之蝶は市の人民代表大会に出席し、市長とも昵懇で政界にも顔がきくからに他ならない。
 こうして、荘之蝶は友人や弟子が起こすトラブルや事件に巻き込まれていく。解決のために荘之蝶はあらゆるツテを頼って奔走し、ときには法や制度を曲げることさえする。どう見ても本人に問題や過失がある場合も多いが、荘之蝶は友人や弟子のために全力を尽くす。たとえば市役所職員の勤務態度が問題になった時には、荘之蝶は市長の依頼を受けて新聞社に押しかけ、市長擁護の文章をのせるよう頼み込む。義理や人情といった中国語でいう”情面”の世界である。
 作品のもう一つの軸は荘之蝶の女性遍歴である。若い頃から彼を支えた妻に荘之蝶はもはや関心を抱けず、周敏の内縁の妻唐宛児と不倫の関係を結んでしまう。次いで、農村出身の若い家政婦や、貧しい設計技師の妻、古くからの友人の妻が荘之蝶の前に現れ、複数の女性と関係を結ぶ。
 社会関係でも女性関係でも荘之蝶は成功者であり、行動的で活力に満ちているが、その行動に確固たる倫理や規範は見えないまま、出来事に巻き込まれ、次第に泥沼に陥っていくさまは受動的な感じさえある。

荘之蝶 蝴蝶の夢

 荘之蝶。もちろん、この名は中国の古典『荘子』の蝴蝶の夢に由来する。古代の思想家荘子は、夢のなかで蝴蝶になっていた。ひらひらと飛び回っていたが、夢から醒めてみるとはたして自分が荘子であるのか、蝴蝶であるのかわからない。夢と現実の間で自己の揺らぎを語るエピソードである。
 古都「西京」には名所旧跡や骨董品があふれ、荘之蝶の趣味も骨董品のコレクションである。作品には古色蒼然とした趣がただよう。
 中国の文学作品が、『荘子』を参照し、骨董品を語るのはごく当然のように感じるかもしれない。しかし、近代の中国文学は古典に対する否定と批判から始まった。1930年代にプロレタリア文学と進歩主義が文壇を席巻してのちは、古典文化は激しい非難にさらされた。たとえば1934年にはある作家が青年必読書に『荘子』と『文選』を挙げたために論争が起こり、旧文化批判の側に立つ魯迅は青年たちが「篆字の練習をやったり、詞を作ってみたり、人に『荘子』や『文選』を読むよう勧めたり、手刷りの自家製の封筒を使ったり、新しい詩でさえわざわざ字数、句数をそろえて書く」ことを批判し、遺老ならぬ「遺少」であるという(魯迅「重三感旧」「「感旧」以降(上)」翻訳は竹内好『魯迅文集5』256、8頁による)。文化大革命中には旧文化が「四旧」の一つとして破壊されたことは周知の通りである。
 文化をめぐる舌戦と破壊の近代史を考えた時、本作品における古典文化は両義的である。作中人物たちは前時代の文化と古典を愛好し、骨董品の話題や贈答を通して関係を深めるが、たとえば主人公の友人のうち中国画家は贋作の名手、書家は賭博者、書家の息子はアヘン中毒者、書店員の計画した画廊は中国絵画や書道の偽物を売っている。腐敗し堕落した彼らの人物像は、むしろ中国現代文学が書こうとした旧時代のイメージとそう遠くない。

『廃都』の魅力と歩き方

 ここまでの紹介でわかるように、『廃都』に英雄はいない。作品を読みながら、何度もなぜこの人物はこんなにも軽率なのか疑問になる。それどころか、反感を感じる場面もある。そして、荘之蝶の奔走にもかかわらず友人や恋人たちは破滅してゆく
 描かれているのは1980年代地方都市の文化界、政界、性愛をつきうごかす情と人間模様である。今回読んだ台湾2022年版の帯には、太宰治の『人間失格』にも匹敵するといううたい文句がある。ともに創作家の倦怠と無力、女性遍歴を描いた作品という評価なのかもしれない。
 前述したような政治の季節を経て、作家が新しい思想に目覚め民衆をみちびく啓蒙者であったり、才覚があるのに認められない不遇の青年であったりする作品を読みあきたとき、英雄のいない作品は、読者を人の世の世知辛さや愛欲や名誉欲の世界へと誘いこむ。登場人物は類型化に陥らず人間くさい欠点を抱えながら生き生きと動く。それが『廃都』の魅力だろう。

中国語原文の文体

 今回読んだのは、台湾の麦田出版2022年版、繁体字縦組み。性的な場面で作者自身による削除箇所ある。(日本語訳でも同じ)
 古典文化を背景にした書き言葉、西京の方言を混じえた話し言葉が使われ、上級の読解力が必要。専門用語としては政治や裁判に関するものがあるが、辞書で調べられるレベルだろう。


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