【企画展】ある彫刻家と「呉昌碩の世界」感想

最後の文人 呉昌碩生誕180周年

 中国の伝統芸術は、清朝の滅亡とともに途絶えたわけではない。伏流水のように生き続け、戦後は香港や台湾で開花し、現在にいたっては大陸でも再び伝統文化が見直され、学術からポップカルチャーに至るまで、文化生産の源泉となっている。
 今年2024年は、清朝末期から民国期の文人呉昌碩(ご・しょうせき 1944-1933)の生誕180周年にあたる。篆刻と書画の大家である呉昌碩を記念して、国内の4つの美術館で企画展が開催されている。

【生誕180年記念 呉昌碩の世界 パンフレット】https://www.tnm.jp/common/fckeditor/editor/filemanager/connectors/php/transfer.php?file=/exhibition/202401/uid000318_676F73686F73656B692E706466

 これまで伝統絵画に縁のなかった筆者も、兵庫県立美術館で関連展示を見て、伝統的でありながら新しい時代の気風を取り入れた呉昌碩の作風に関心を抱いた。(下は感想の記事)

朝倉彫塑館の特集展示

 関連展示を行う美術館の一つ、東京の大東区立朝倉彫塑館は、近代日本の彫刻家朝倉文夫(1883-1964)自宅兼アトリエを保存した美術館である。館内のアトリエに入るとまず巨大な大隈重信像小村寿太郎像が目に入る。
 呉昌碩に関連する展示は、アトリエに続く住居部分に設けられている。展示の中心は朝倉による呉昌碩像である。1921年、朝倉は依頼を受けて呉昌碩の胸像を製作し、呉昌碩からは返礼として「神在箇中」額が贈られた。胸像は現存しないが、石膏原型が残されている。現存する像は関東大震災により砕けたのち、破片を接着して修復されたものだという。日本の文人とも交流のあった呉昌碩は、関東大震災発災後に上海の文化界を代表して義捐活動にも携わった。

日本家屋の空間を活かした展示

 さらに、館内の旧居部分には、呉昌碩をはじめとする「海上派」の絵画や書が展示されている。朝倉自身の設計による建物は、アトリエが洋風、旧居は日本式であり、日本庭園を囲むように建物が配置されている。日本家屋の空間を活かし、通常の美術館のようにガラスケースの中に作品を収めるのではなく、床の間や欄間に作品が展示されている。伝統絵画の鑑賞は本来そうあるべきなのかもしれない。和風の建物も絵画によってその閑雅な趣がいっそう引き立つ。そう考えると、西洋風の巨大な建物の白い壁に展示されてい る東洋絵画は、どこか空々しく落ち着かないのである。
 ただし、旧居部分には暖房が入っていないので畳の床が寒い
 展示のなかでは、孫松の「風竹図額」「四季花図額」が印象に残る。いずれも植物を描き、風をうけてざわめく竹など生きた空気感を描いた作品である。1920年代は日中のあいだに漢文と古典文化を通して、文人が交流できる時代だったことがわかる。

朝倉彫塑館「蘭の間」に展示されている猫のブロンズ像


 

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