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【震災】「第9回全国被災地語り部シンポジウムin東北」参加記

1日目 シンポジウム

 宮城県南三陸町にあるホテル観洋は、海鮮料理と太平洋を望む眺望が魅力的な温泉宿である。旧志津川町と歌津町が合併してできた南三陸町の名前は、東日本大震災の際に連日ニュースで報道され、全国に知られるようになった。町の中心部にあり、多数の職員が殉職した南三陸町防災庁舎は、震災遺構として広く知られている。

ホテル観洋から志津川湾を望む

 ホテル観洋は街の中心部からやや南側の海沿いに位置する。東日本大震災発災当初は、地元住民の避難所となり、また支援団体の拠点としての役割も果たした。その後もホテル観洋は定期的に震災関連のイベントを開催している。 
 今回筆者が参加したのは、「第9回全国被災地語り部シンポジウムin東北」である。基調講演は三浦英之氏(朝日新聞記者・ルポライター・『南三陸日記』著者)の涙なくしては語れない震災当時の取材記録である。
 今回最も期待していたのは分科会「次世代に伝え、広げ、繋げていくために」である。震災の記憶がない若い世代がいかに伝承活動を行うか。岩手、東京、神戸、淡路で活躍する若者が自身の語り部としての実践を報告した。登壇者からは、自身が体験していないからこそ、生徒と同じ目線に立った防災教育ができる、SNSなど若者が使う新しいツールを上の世代につなげられるなどの実践報告が出て、若い世代の柔軟さを感じた。
 地域社会には若い人たちの活躍の場がある。
 しかし印象的なのは、ほかに設けられた2つの分科会の登壇者がどちらも男性3名女性1名であったのに対し、次世代分科会のみは女性3名男性1名だったことだ。若手女性の活躍を感じるとともに、彼女たちが今後活動を続けていくとしたら、地域社会の受け入れ方はどう変わっていくのか気になった。

三浦英之氏による基調講演

2日目 石巻の語り部

 実際に被災地では、若い世代による伝承活動が行われている。シンポジウム2日目のエクスカーション石巻コースでは、84名が犠牲になった大川小学校を訪れた。現在、大川小学校では東北大学の学生ボランティア団体SCRUMが語り部を務めている。語り部の学生たちは県外の出身で、震災当時は6-9歳だったという。遺族の方から丹念に話を聞いて、しっかり勉強を重ねていることが伺えた。
 生徒と教員84名が犠牲になった大川小学校は、学校側の判断をめぐって近年まで訴訟が続いた。以前より外観の見学は可能であったが、訴訟が終結した後に震災遺構として整備され「大川震災伝承館」が設置された。大川小学校では当時在籍した児童の7割が犠牲になった。災害時に判断を誤れば、地域社会から一つの世代が欠ける。それは少子化が進む地域にとって癒すことのできない傷である。

大川小学校
大川小学校の裏山に登る 先頭は東北大学と神戸大学の学生

 同じく石巻市の門脇地区では、民間による伝承施設「MEET門脇」を訪れた。住民の発災当時の非難行動が地図上に投影されており、門脇小学校の教職員と生徒が率先避難したことが、地域住民の避難につながったことが示されている。門脇小学校は生徒が避難したのちに、津波火災により全焼し、現在では一部が震災遺構として保存されている。
 また、MEET門脇では日和幼稚園の送迎バスで津波に巻き込まれた園児たちの遺品を展示している。日和幼稚園は同地区の高台に位置していたが、発災後に園はバスに児童を乗せ、海岸沿いの街に送り出した。バスは津波と火災に呑まれ、5名の園児が亡くなった。犠牲になった児童は高台に家があり、本来沿岸部に向かう必要はなかった。保護者たちは自力で焼け焦げたバスを探し当て、児童の遺品を回収した。しかし、公設の伝承館では展示を断られ、民営のMEET門脇が引き受ける結果となったという。(宮城県の公的な伝承施設に対しては住民や地方紙から批判の声が上がっている。)

門脇小学校
裏山から門脇地区を望む

 発災から13年の時を経て、被災地の再建事業が進み、震災遺構が整備され、それでもなお住民にとって当時の出来事の重みは変わらないことを感じる。震災が問いかけたのは防災や非難行動の問題ばかりでない。地域社会や教育、安全、リスク・コミュニケーションなど幅広い領域を被災地は問いかけている。耳を傾けるべき問いから、目をそむけることは許されない。
 


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