道9

【現代麻雀への道】9 日本で初めて麻雀牌を彫った男

手彫り職人第1号は麻雀を知らなかった

それは昭和4年4月2日のことだった。当時28歳の腕利き彫刻師・松本幸弥さんは、東京日日新聞の求人欄を眺めていた。
すると、麻雀彫刻師業集という広告が目に飛びこんできたのである。

麻雀彫刻師?

何の素材にどんな形を彫りつけるのか見当もつかなかった。
ここで、「俺だって彫刻師の端くれだ。人なみの仕事はやってみせらぁ」と、生粋(きっすい)の江戸っ子らしくスッパリ決断を下したことが、松本さんのその後の人生を決めることになった。

当時の麻雀牌は牛骨(ぎゅうこつ)や象牙(ぞうげ)に手彫りして作る。まだ国産品はなく、上海や香港からの輸入に頼る時代だった。

松本さんが最初のワンセットを彫り上げたのは採用3日目のこと。国産第1号というわけだ。松本さんにしてみれば精魂かたむけたつもりだった。

ところが社長は一瞥(いちべつ)するなり顔をサッと曇らせ「うむ…」といったきり黙りこんでしまう。それもそのはず、フリーハンドで彫っているため、図柄の大きさも線の太さもバラバラなのである。

沈黙が続き、松本さんは落胆を感じると同時に腹が立ってきた。

(書き慣れない漢字があるかと思えば、幾何学模様もある。こんな見たこともねえものを一回できれいに仕上げろったって、無茶ってもんじゃねえか)

どの牌も難しいが、とくに1sとマンズが細かくて彫りにくい。ソーズの線の太さを統一するのも本当に骨が折れる。

(俺の腕じゃダメだっていうのかよ。くそっ、慣れねえことをするもんじゃねえな。早いとこ元の仕事に戻った方がいいか)

胸の内でそう思ったとき、ようやく社長が口を開いた。
「すぐに中国から腕のいい職人を呼び寄せよう。その男について麻雀彫刻をみっちり覚えるといい」

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