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閻魔さまの嘆き[ショートショート]

ある日のことでございます。
閻魔さまは、いつものごとく閻魔庁の玉座におかけになり、朝のお勤めにいそしんでいらっしゃいました。
極楽とちがって、閻魔庁に花はございません。ただ、地獄で罪人たちの奏でる阿鼻叫喚の叫び声が、風に乗ってかすかに聞こえ、そこはかとない血の香りが漂うのみなのです。閻魔さまは、その香りをクンと鼻を鳴らして楽しみ、やがて手元にある浄玻璃の鏡を覗きこまれました。

いま閻魔さまの足元に這いつくばっている〈死者〉の、生前に犯した罪を動画で眺めておられるのです。

「……ふむ。編集がいまいちだな」

閻魔庁につとめる鬼たちの、動画編集能力も高まってきたのですが、こちらの〈死者〉の動画については、新米の鬼が制作したのかもしれません。

「さて、そのほう。何か言いたいことはあるか」
閻魔さまは、じろりと〈死者〉を睨んでお尋ねになります。
「尋常にそのほうの罪を申し述べるなら、わしも考えないでもない」
閻魔さまは、正直ものがお好きなのです。

睨まれた〈死者〉は、ごつごつした閻魔庁の床に平伏し、おそるおそる、閻魔さまを見上げます。先に来た仲間の〈死者〉たちから、あらゆる手段を使って、閻魔大王のご機嫌をとりむすぶ方法を聞いてきているのです。
それによれば、閻魔大王は浄玻璃の鏡ですべての悪事を見抜いてしまうので、思い出す限りの悪事を先に正直に申し上げるのが良いとのことです。
「はい。恐れながら申し上げます。わたくし、59歳で車に轢かれて死ぬまで、まっとうに生きてきたつもりでございますが、たまさか他人に無慈悲をした覚えがございます」
「ほう。無慈悲と申すか。たとえばどのような」
「たとえば小学生のとき、隣の席のアイ子ちゃんの髪をひっぱりました」
「ほうほう。それから」
「小学生のときはやんちゃでしたから、池のフナをつかんで殺生をいたしました」

そんな具合で、何時間もかけて延々と自らの罪状を述べてまいりましたが、閻魔さまのお顔色は晴れません。
「もうないのか。他には」
「ええと……なんだろう。もう喋りつくしたと思うんですけどねえ」
「そんなことはない。まだあるはずだ」
「わたくしもあまり昔のことまでは覚えておりませんで」
「そんなはずはない。こんな大きなことを忘れるとは思えない」
「えええええ、なんだろう、うーん」

冷や汗をかきながら考えておりますと、閻魔さまが「もうよい」と、すっかりへそを曲げた表情でおっしゃいます。
「そのほう、covid-19という感染症が大流行した際に、マスクを買い占めたであろう」
「あ、ああ、マスク。はい。買い占めと言われると、人聞きが悪うございます。安く買って、高く売りました。商売の基本でございます」
「ティッシュペーパー、トイレットペーパーも買い占めたな」
「えっ、はい。なくなりそうだとテレビで言ってましたので」
「それだけではない。ゴム手袋も買い占めたな」
「そうでしたっけ」
「ええい、白を切るでない。マスクでどうやら損害を出しそうだと見るやいなや、今度は小麦粉とベーキングパウダーなども買い占めた」
「えっ、そんなこまかいことまでよくご存じで……。はい、そうかもしれません。私も家族を養わねばならず、当時はウイルス騒動で仕事がなくて、つい出来心でやりました」

閻魔さまはじろりと〈死者〉を睨みます。
この男は、通常ならひと箱120円ほどのベーキングパウダーを買い占めて、オークションサイトなどで3倍から4倍の価格をつけて売っていたのです。
マスクだって、ひと箱50枚入りのものを1500円程度で買い占め、在庫がなくなって大騒ぎになったころ、そ知らぬ顔で4000円の値段をつけて売っていたのです。

「すべて家族を養うためだったと申すのか」
「はい。さようでございます」
「嘘を申せ。そのほう、マスクを百万円分も買い占めたな。その金があったなら、家族を養うことなどたやすかったはず」
思わず片肌を脱いで桜の刺青を見せ、カッと赤い口を開いて見栄を切ります。
「この遠山桜がゆるさねえ」
恐れ入って平伏する〈死者〉のパスポートに、「地獄行」のスタンプを押し、閻魔さまは鬼にお渡しになりました。

何がゆるせないと言って、あのcovid-19パンデミックのころ、ここ閻魔庁でもお菓子が焼けなくて困ったのです。
どこに行ってもベーキングパウダーが手に入りませんでしたから。
しかも、何が腹立たしいといって、そんな買い占めをして他人に迷惑をかけたくせに、この〈死者〉が手にした利益ときたら、ひとつ120円のベーキングパウダーを350円で売って230円、稼いだだけだったということです。
オークションサイトなどで売るといっても、さほどの転売利益が出るわけもないのです。

「--愚かものめが」

閻魔さまは嘘もお嫌いですが、愚かさはそれに輪をかけてお嫌いなのでございました。
引き立てられていく〈死者〉にはもう目をくれることもなく、閻魔さまは「次」と鬼にお申し付けになりました。
閻魔庁ももう、昼に近くなったようです。


(すみません。今回、オチはありませんw)