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コミュ障を「苦手」で片付けてはいけない

こんにちは。
話し方研究所の代表、福田賢司です。

株式会社ジェイ・キャストが運営しているニュースサイト『JCASTニュース』に、ある話題についてコメントを寄せました。

その話題は「敬語」について。

ツイッターである人のツイートが話題になりました。それは、飲み会の席で「敬語でなくていい」と言われてもリラックスできない。「敬語を封じられると詰む」という発言。

100%善意なのは分かるが、「コミュ障は往々にして『言葉遣いや距離感を調整し続ける事が苦手な故に、敬語という無難な定型を選んでる』ので、敬語封じられると詰むというな」という意見。

このツイートに対し「これはわかります」「無難で楽なんだよな」との声が広がったとのことで、私の見解をお話しさせていただきました。

こちらが、その記事です。

「敬語でなくていい」と言われるのがつらい... タメ口苦手な「コミュ障」の心理、専門家に聞く

今回は、取材いただいた後も考え続けている私の考えをnoteでお伝えしたいと思います。


その発言に「敬意」はあるか?

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社会に出ると、先輩や上司、取引先など、友達とは違う関係の人と飲みに行く機会があると思います。その時に、相手が気づかって言ってくれることのひとつが「敬語でなくていい」という言葉です。

主に目上の人から使われるこの言葉には、ツイートにもあるように「善意」や「もっと親しい関係になりたい」という想いが込められています。コミュニケーションは双方の努力によって成立するものですから、この言葉は、相手への気づかいと同時に、そう言ってくれた側の努力の証でもあります。

その善意に対して「詰む」という発言は、受け手の努力があまりにも足りないのではと思うのです。

この「詰む」という言葉を、その場で相手に伝えているとしたら、まだ少しは発展性がありますが、その場は何となくやり過ごし、帰宅後にツイッターで批判するのはおかしい。相手への敬意が足りないし、善意に対して歩みよる努力もせずに批判をするのは、大人としてのたしなみがないとも言えます。

もう一つ、この発言からどうしても腑に落ちないことがあります。それは、コミュニケーションへの「苦手意識」についてです。


「苦手」とは、努力した人だけが使える言葉

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この発言には、コミュニケーションが苦手な自分に対して、心を開けと言われても辛いだけなので勘弁してほしいという主張が込められています。

苦手なのだから、そこを察してほしいという物言いです。ですが、果たして本当に「苦手」なのでしょうか。

苦手とは、一生懸命に努力を重ねてきたにも関わらず、人よりも劣っているもののこと。まだ努力もしていないのに「苦手」という言葉は当てはまりません。努力をしてからはじめて言える言葉です。

今回の場合、「敬語でなくていい」と言ってくれた人とのコミュニケーションにおいて、「詰む」と発言された人からは努力が見られません。これは、苦手なのではなく「嫌い」「やりたくない」と言っているのと同じなのではないでしょうか。

対人関係の調整語として敬語を使う人もいますが、敬語を使っていれば上手くいっていると思っているのは本人だけ。周りはそれに気づいているものです。その上、敬語の使い方も間違っていたりすると目も当てられません。

人は50歳を過ぎてからでも、コミュニケーションスキルや仕事能力が伸びると言われています。

つまり、コミュニケーションが苦手といって避け続けるにはあまりにも諦めが早すぎるのではないでしょうか。

生きている以上、必ず年をとり続けます。いつの日か必ず、自分が「先輩」となる日がくるのです。

立場が変わり、世代の違う後輩に対し、今度は自分が「敬語でなくていい」と善意から発言するかもしれません。

その時、後輩が陰で「詰む」と言っていたら嬉しい気持ちにはならないでしょう。

コミュニケーションは、自分とは違う経験を持った人から直接学ぶことのできる貴重な機会です。

その機会を食わず嫌いで遮断せず、相手が開いてくれた胸に思い切って飛び込んでみましょう。

善意に囲まれて、少しずつ可能性を開花させることができるのも、コミュニケーションならではですから。

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