見出し画像

Noteを書く意味 -名もないブログがあるから-

人生でほんとうに悲しかった時期が何度かある。もちろん生きていればすべての人がなんらかの壁にぶつかるわけであって、誰だって打ちひしがれたり涙で枕を濡らしたりすることはあるだろう。だから取り立てて「ぼくは不幸でした」なんて主張するつもりはない。言いたいのはぼくも人並みに苦しかったことがあるということだけで。

20代前半はそんな悲しさがピークに達した時期の一つだった。「なんでそんなに悲しかったのか?」という細かい事情まではここで書く気にはなれないけれど、なにはともあれベッドから起き上がることも億劫だったし、世界でぼくだけが一人だけ不幸なんだと思っていた。そう、本気で思っていたと思う。

大学を卒業して社会人になってから一年ほど経った頃だった。ぼくは渋谷のとあるITベンチャー企業であくせくと働いていた。仕事は忙しかったけれど、色々なことが積み重なって心ここにあらずの状態だった。そんな絶望のうちにいたのも関わらず、困ったことに胸の内を明かせるようなパートナーや親友がその当時いなかった。これがじっくりと語り合える彼女や仲間がいれば話も幾分違っていたのだろうけれど、肝心な時に限っていない。

この悲しみをどうやって跳ね除ければいいのだろう?パートナーや仲間に頼れないとすれば誰に頼ればいいのか?

Googleだ。ぼくは本や映画ではなく、Googleに救いを求めた。ブラウザでGoogleを開いて片っ端からネガティブなキーワードで検索をかける。今思い起こすと随分と切なくて滑稽なぐらいだ。けれどぼくにはそれ以外の術が思いつかなかった。

そうしてネットサーフィンをしているうちにあるブログに辿り着いた。開いてみるとそれは全体的に薄いグレーのかかったページだった。レイアウトは大きさや形が異なるブロックで無闇に分けられており、中身はガチャガチャとしていた。大きいフォントの文字もあれば、虫眼鏡を使いたくなるような小さな文字までごちゃ混ぜ。ところどころデタラメに赤や青で塗られた箇所もあって、色使いもめちゃくちゃだ。著者のセンスについて言えば首を傾げたくなるものだった。なんだこの読みづらいブログは。

そんなお洒落とは無縁なブログは一体誰が書いているのだろう。そう思ってプロフィール欄を読んで見る。どうやら40代前半のおっさんが書いているらしい。

なぜかは分からない。だけれど、そのブログにはどこか心に引っ掛かるものがあった。物は試しということで、そのブログの中から目についた記事を一つ選んで読んでみることにした。


その記事は「ぼくは若ハゲだった」という短い告白から始まるものだった。中学生ぐらいからM字ハゲに悩まされ、同級生にはバカにされ、好きな子にまで軽蔑された、というようなことがつらつらと書かれていた。育毛にトライしても全然うまくいかず、コンプレックスをずーっと抱えて生きてきたと綴ってある。文章はゴテゴテしていて読みづらかった。ただところどころクスッと笑ってしまうような冗談も含まれている。ぼくは気付いたらすっと集中しながらその文章を読んでいた。

「ほんとうに苦しかった」

それまでの経緯を述べた後にその文字はさらっと書いてあった。でもその言葉はあまりにも寂しくぼくの目には映った。

ただそこからいろんな努力をして、いろんな人との繋がりがあって人生が変わったんだという話が書いてあった。今は素敵な妻もいるし子供もいて幸せだよと。今禿げていることで随分と苦しんでいる人もいると思う。だけどそれはあなただけじゃないし、きっと大丈夫だからと。


ぼくはその一節を読んで涙がボロボロと出てきてしまった。土曜日の夕方だった。ぼくは渋谷の道玄坂のカフェで一人その記事を黙々と読んでいた。周りには学生やカップルなんかがたくさんいた。けれどぼくは溢れる涙を抑えることが出来なくなって人目も憚らず泣いた。きっと誰も気にしてはいなかっただろうけれど、ぼくはなんだか無性に恥ずかしくなってしまい、急いでパソコンをしまって店を出た。

渋谷のスクランブル交差点でぼけっとしながら信号待ちをしていると夕焼けに染まるビルが見えた。信号が青になった途端に行き交う人がむすっとした表情を浮かべながら右へ左へと足早に歩いていく。ぼくは行くあてもないまま吸い込まれるようにセンター街へと足を踏み入れていた。ぼくは涙を拭きながら所在なげに歩いていた。

でも一歩一歩と進んでいるうちに、ふつふつとなにかが心の中から湧き上がってくるのを感じた。

そしてこう力強く思った。「あー俺生きてていいんだな」って。

まるで沈んでいく太陽とは対照をなすかのように、心の底からギラギラと輝く明るい感情が湧き上がっていくのを感じだ。

ぼくはあのブログがなければ死んでいたかもしれない。そう思うとなんだか救われたような気がした。


今となってはあのブログが一体どこにあるのかも分からないし、あのおっさんがどんな人だったも分からない。でもそんなことはどうでもいい気がする。あの名もないブログに救われたこと、そしてあの名もないブロガーに今ぼくが感謝していることの方がよっぽど重要だと思う。


Noteを書いているとなんだかやりきれなくなる時がある。ぼくは日曜日の朝を丸々使って文章を書いているけれど、もちろんそこからはみ出すことはしょっちゅうある。少なくない時間をかけているにも関わらず、思ったように記事の閲覧数が伸びなかったりスキがつかなっかたりしてめげてしまうことだってある。今でこそ読んでいる方が増えてくれてとても感謝しているけれど、書き始めたころなんかは目もあてられない状態だった。仕舞いにはフォロワーが10,000人とかを超えている人なんかが目に入ってしまうと「一体おれはなにをやっているんだろう?」と思って心が折れた。

もちろん「本業じゃないし〜」とか「Noteなんて片手間でやってますから〜」なんて虚勢を張ることは難しいことじゃない。でもそんなことを言うのはなんだかウソっぽい。悲しい時は悲しいし、悔しい時は悔しいに決まってるじゃないか。

それでもそんなときにぼくは思い出す。あの若ハゲのおっさんのことを。あのガチャガチャとした読みづらいブログを。そしてそれに救われたことを。

有名であることが重要なのではない。誰かのためになることが大事なのだろうと思う。その量やスケールは関係ない。発信することの意味はそこにあるのだとぼくは思う。


JUDY AND MARYが解散した後、YUKIがソロになって出した2枚目のアルバム『commune』がある。その中にスネオヘアーが作曲してYUKIが作詞をした『コミュニケーション』という名曲がある。その歌詞の一部を引用してこの文章を結ぼうかなと思う。

「明けない夜はないさ」みんな唱うけど
名も無い汗をかいて 流れるだけなのに
誰にもわかるわけないよ 心の中の中は
だからこそまっすぐ伝えよう 今
まちがえてもいいのさ
コミュニケーション

『コミュニケーション』より

そう、Noteを書くことはコミュニケーションをすることなんだと思います。名も知らない誰かと繋がるために。そしてその誰かの心にそっと語りかけるために。ぼくは少なくともそう思って書いています。

フォーキーで心にスッと染み込む音楽でした。

今日はそんなところですね。旅行で訪れた秋のニューヨークにて。セントラルパークで弾き語りに耳を傾けながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!



サポートとても励みになります!またなにか刺さったらコメントや他メディア(Xなど)で引用いただけると更に喜びます。よろしくお願いします!