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ウェディングドレス

私は結婚したときに式や披露宴などはしなかったのですが、まあ記念写真くらいは撮ろうか、という話になり、衣装のレンタルと撮影のプランだけ利用しました。

さて、後日できあがったフォトアルバムが送られてきたので見てみると、どこがどうというのではないですが、何か違和感があります。
しばらく考えて、違和感の正体に気がつきました。

自分が「花嫁に見えない」のです。

花嫁衣裳を着て花嫁に見えない私も只者ではありませんが、じゃあ何に見えるのかといえば、むしろ「女王様」に見えます。
背が高く、裾を引きずるドレスに人生最大と言ってもいい盛ったメイクをした私が、昔から姿勢だけは良いもので背筋を伸ばして頭を上げ、まっすぐ前を見つめる姿には、花嫁さんにつきものの「幸せオーラ」というものがないのですね。
かと言ってとくに不幸そうでもなく、あえて言えば「陰謀をたくらんでいるような顔」です。
隣の新郎はタキシードも似合ってなかなかいい人そうですが、それだけに粛清されないか心配です。

撮影中、カメラマンのおにいさんが「はーい、手元のブーケを見てくださーい」と何度も言うので不思議に思っていましたが、目を伏せさせることで少しでも花嫁らしいつつましさを演出しようという意図だったようです。しかしその努力もむなしく、下を向いても謀略を巡らせているようにしか見えません(たぶんどの大臣の首を刎ねようかと考えています)。

自分で言うのもなんですが、女王様としての私はなかなか立派であって、スペイン無敵艦隊を撃破したときのエリザベス一世もかくや、という気迫が感じられます。

当然のことながらこの写真は見た人がフォローに困るものだったようで、夫を含め誰からも「可愛い」とか「綺麗」などの声は聞かれませんでしたが、これは仕方のないことでしょう。

あれから10年以上経って、当時の自分を振り返ってみると、こういう写真になった理由もなんとなくわかります。

私にとって結婚とは「沈みゆく老朽化した大型船から救命ボートに飛び移る」ようなものであって、事情があってどんな結果になっても二度と実家には戻らない覚悟だったので、背水の陣というか、失敗は許されないという緊張感もありました。

実家から出る日、引っ越しの荷物を先に送り出し、自分は貴重品を入れた鞄ひとつを提げ、雨のなか傘をさして(どうしてこんな日に引っ越しするんだ、というような悪天候でした)、夫になる人が待っている新居に向かって歩いていたことを思い出します。

夫は良い人で、幸せでなかったわけではないですが、もろもろの手続きや人間関係の変化を含め慣れない生活にはそれなりのストレスもあり、世間一般で新婚のイメージにあるような浮かれた気分というのはあまりなかったように思います。

今となっては「そこまでトゲトゲしてなくても良かったかもしれないな」と思うと同時に、写真のなかの自分に向かって「まあ君もがんばっていたんだね」といってやりたい気がするのです。


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