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紫式部と傍観学習法

大河ドラマ『光る君へ』を観ていたら、子ども時代の紫式部が弟の習っているところを横から見ていて自分のほうが漢文を読めるようになってしまう、というシーンがありました。
そこで連想したのは作曲家モーツァルトが子どものころ、姉が習っているのを見ただけでピアノが弾けたというエピソードです。
どちらも天才ぶりを示す逸話として紹介されることが多いですが、ひとつ思ったことがあります。

もしかして、直接自分が習うより、他人が習っているのを傍から見たほうが学習効率が良いのでは…?

たとえばピアノを習う場合、先生が横について自分の一挙手一投足を監視しながらダメ出ししてくるわけで、緊張して演奏や音楽に集中できません。
先生に試験されるかと思うと練習も気が重くなりそうですし、録画技術もない時代、弾いている自分を客観的に見ることもできません。
対して傍観者は、リラックスした状態で教える人と教わる人を同時に観察することができます。恥をかいたり怒られたりする心配なしに、失敗から学ぶこともできます。
もちろん誰にでもできるわけではなく、ある程度の適性と興味関心は必須でしょうが、べつに天才ではない人々にも、この原理は応用できそうです。

よく新入社員に勉強のため電話を取らせる会社がありますが、新入社員からするとたいへんなプレッシャーです。ただでさえ緊張する状況で、自分にはわけのわからない電話に応対しなければならないわけで、内容が頭に入ってこないかもしれませんし、相手に迷惑をかけてしまうリスクもあります。
そこで「電話は取らなくていい。ただしかかってきた電話はぜんぶ聞いておくように」と指示して、できればハンズフリー機能か何かで相手方の通話も聞けるようにして、先輩とのやりとりを聞いてもらいます。
そのうちに「こう言われたらこう答える」と定型文で覚えるでしょうし、良い対応を見習う一方で不適切な対応については「今のは良くなかった。こう答えたほうがいい」と批判的に見られるようになります。その段階で電話を取ってもらえばよいのです。
メールも差し支えない範囲でCcに入れてもらい、他人のメールから学べるようにします。

私自身、非正規でまともな研修機会がなかったので、こうした「傍観学習法」はとても役に立ちました。加えて末っ子だったこともあり、思えば人生全般で人から教えてもらうより「盗み聞き・盗み見」で学んだことのほうが多かった気がします。

考えようによっては「人が教わっているところに居合わせられる」というのは恵まれた環境です。紫式部やモーツァルトにしても、その時代「漢文やピアノを習っているきょうだいがいる」というのは特権階級だったはずです。

手取り足取り教えてもらっている期待の嫡男より、横で見ている女きょうだいや次男三男のほうが多くを学んでいる、というのはいつの時代もありそうです。教育対象外の人を締め出さないことも重要ではないでしょうか。




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