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不安定な今だからこそ考える自分にとっての「ファッション(衣服)」の役割

こんにちは!

フクコトバのRYOです!

今、コロナや戦争、そして地震など、色んな事が重なっていて、そういった部分に目を向けると、不安になる要素がいくらでもある状況だなと感じています。

コロナ禍では、「不要不急の外出自粛」「生活必需品の備え」などという言葉もよく聞きました。

これまで普通に出来ていた行動が出来なくなったり、普通にあると思っていたモノが買えなくなったりして、「今ある当たり前はこんなにも突然無くなってしまうのか。」と感じる事が多くありました。

それは、今世界で起こっている戦争や、つい数日前に起こった地震の現場でも、今も起こっていることだと思います。

そんな時に、僕たちフクコトバがしている活動の「ファッション」はどんな立ち位置なのだろうか?と考えます。

「衣食住」と言われる様に、ファッション(衣服)は、生活を行う上で必需品だと言えると思います。

でも、今の日本で生活している僕は、ファッション(衣服)が生活必需品という意識は薄く、

ファッション=楽しむもの、自己表現

という認識の方が強いです。

でも、コロナ禍になって外出をしない日が続くと、部屋着でいる事が増え、「オシャレを楽しむ」という考えは薄れ、ファッション(衣服)は、楽しむものではなく、生活必需品の要素が大きくなりました。

もしかすると、今、戦争下にある方々や、震災で被災された方からすると、今着ているファッションは、楽しむものではなく、生活必需品としての衣服になっているんじゃないかと思います。

何が言いたいかと言うと、

「ファッションは、環境や心に余裕がないと楽しめない」のだと思います。

冒頭、お話した様に、コロナ禍では、

「何が不要不急の外出に当てはまるのか?」

「どこまでが生活必需品なのか?」

それぞれの定義が問われました。

そして、その定義は、本来は「人それぞれ」だと思います。

でも、きっとファッションを楽しむ事で自分を表現出来ていた人もいるし、

好きな衣服を買う事でメンタルが安定していた人もいるはずです。

そういった人からすると、

自分が着たい服を着て行きたい場所に行ける事や、買いたい服をいつでも買いに行ける事は、生活する上で必要だったはずです。

こういった不安定な状況が続く中、

みんなの生活必需品であり、楽しみであり、自己表現方法であり、色んな役割を果たしていた「ファッション(衣服)」の役割を、もう一度考えてみたいと思いました。


フクコトバ
RYO



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