fukuma

「利他的な人は有意に幸福である」

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最近の記事

水のように 2

 志望した大学に合格した、といって息子が喜んでから二ヶ月弱が経った。  息子からは入学式には絶対に来るなと言われていたがそうはいかない。たまの息子の晴れ姿である。見ないわけにはいかない。そうでなくともこう遠いのだから、これからだって簡単に会いに行くわけにもいかない。  送付されてきた葉書を見せて式場に入るとすでに大勢の人が席を埋めていた。保護者の皆さんも豪く着飾っているが私にはもうそんな服はなかった。もうどうでもいいことだ。  式が終わるまでにあの子を見つけることが出来

    • 水のように 1

       辺鄙な場所にその大学は、ある。  正門までの長くだらだらとした登り坂を、僕はいつものように歩いていた。いつも混雑するこの坂も、今は時間帯のせいか閑散としている。  坂から降りて来るその老婆に視線が向いたのは、閑散としていたからだけではなかったと思う。あずき色の、どうみても外出着には見えないみすぼらしい上下に、ちいさな黒い鞄を肩から提げてお腹で抱えている。裕福でないのか、あるいは服装に無頓着なのか分からないが、とにかく田舎からわざわざ出てきました、という風情が明らかだ。

      • 戦争は賛成か反対か、じゃない。

        戦争に賛成か反対か、なんていう議論がありますね。それはそもそものスタート地点が間違っています。ひとつの例を出して考えてみましょう。 ある日、A国が日本に対して、こう言ってきたとします。 「おい日本、おまえの領土を半分よこせ。その土地に住んでる人間も一緒によこせ。当然だけどそこは日本語禁止でA国語にするし、日本文化も禁止でA国の文化に従ってもらうな。拒否するなら日本を攻撃して奪いとるからな。」 こういう極端な例があると分りやすいですよね。外交交渉の末に、条件を飲むか飲まな

        • 苦難に出会った時の二つの指針。

          生きていればつらい時期もあるでしょうし、自分ではどうしようもない事も多々あるでしょう。そんな時に思い出してみてほしい指針がふたつあります。 ひとつめは、この言葉。 「人生は死ぬまでの暇つぶし。」 かつて私も「人生とは何ぞや・・」と頭がハゲるほど考えていた時期がありました。思い込みさえすれば、自分の人生に意味づけすることは可能だと思います。でもそこまで思い込める人というのは、たとえばイチローなんかのように限られたわずかな人であって、大多数の人は、どちらかといえば思い込めず

        水のように 2

          サウルの息子(ネタバレを含みます)

          どんな映画? 最初の数分でやりきれなくなります。舞台は1944年のアウシュビッツ・・といえばおおよそのことは推察できますよね。主人公サウルは、ユダヤ人をガス室に送り込み、死体を処理し、処理室を洗浄する役目を与えられたユダヤ人です(ゾンダーコマンドという特殊部隊)。ホロコーストの証拠隠滅のために、数か月の後にこのゾンダーコマンドも殺されることが確定しています。ガス室に運ばれてきた人間の中に、息子と思しき子供を見つけたサウルは、何とか「まっとうに弔ってやりたい」と考えて行動にう

          サウルの息子(ネタバレを含みます)

          バレンタインデーの苦い思い出

          あれは小学校高学年の頃。それなりの人徳があったのか、はたまた地道な営業活動が実ったのか、私はバレンタインデーに20個ほどのチョコレートを貰うことに成功したのです。おそらく友達と個数を競っていたのでしょう。自分が勝ったのかどうかは記憶がありませんが、とにかく「俺もなかなかやるじゃないか」と鼻高々だったのを覚えています。想像力のない、何という愚かな小学生でしょう。 調子に乗っていた私が我に返って青ざめるのはそれから1か月後です。そう、ホワイトデーですね。小学生です、20人もの女

          バレンタインデーの苦い思い出