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娘との約束。『あと百万年、生きてね』

写真は18:00前頃の福岡市の空模様。雲に癒されます。

タイトルの言葉はつい先日、娘に言われたことです。『百万年ー!さすがに人として生きるのは無理かと…』そう答えてから、気付きました。娘も来年、中学生。まさか私が(人類が)百万年生きれるなんて思ってはいません。娘のこの言葉の裏には、『長生きしてほしい』という意味が隠されていたのだと思います。何故、急にこんなことを言い出したのか?多分、最近ご近所の方が亡くなられて喪服姿の人たちを見たこと。それから、私が近頃、実家の母のことで看取り関係の本を読んでいる姿を見たことが影響していると思います。『死ぬのって、怖いな』と言う娘に『どこが怖い?』と尋ねてみました。すると、『今の思いが全部、無くなっちゃう。終わっちゃうことが怖い』と言っていました。確かにそうですね。例え、肉体は亡くなっても魂や念はそこに残る、どこかへ宿るなんてことも聞きますが、それは目に見えるものではないし、肉体亡き後、心はどこにいくの?と聞かれても私に答えることは難しいです。ただ、一つ言える確かなことは、もしも亡くなって、体も心も見えなくなり、全て終わってしまったと思っても、記憶の中で人は生き続けることができます。まだ生きている、残された人たちの記憶の中で、ひっそりと生きている人はたくさん、いますからね。結局、娘の不安を取り除いてあげることができたか?自信はありませんが、『だからこそ、今を精一杯生きること、楽しむことが大事なんだよ』と告げた私の言葉に微笑み返してくれたのでちょっと、安心しました。

『死ぬのが怖い』『死んだらどうなるの?』これは、娘だけでなくお子さん達から聞かれることが割とある質問です。それだけ子ども達にとっては、未知なる死は怖くて恐ろしいものなのでしょう。大好きな家族や友達と離れるのが怖くて仕方ないのだと思います。『自分や大切な人が死ぬのが怖いと思うその気持ちは、当たり前の感情で変なことではないよ。』と伝えると、皆、どこかすっきり、そしてホッとした顔を見せてくれます。

『死』に対する恐怖を抱くこと。この気持ちはとてもよく分かります。私も子どもの頃は、死ぬのが今よりずっとずっと怖かったです。『今、生きているこの現実が夢か何かで、目覚めたら全く別世界だったらどうしよう…』と考えて、泣きながら姉の布団に潜り込んだ夜が何度もありました。(いつでも追い出すことなく優しくしてくれたお姉ちゃん、その節はありがとう♪)

子どもから何かを聞かれた時、正論で答えることはそれほど重要ではありません。『そっか、そっか。うん。うん』とまずは気持ちを受け止めてあげることが大事です。くれぐれも『何、おかしなこと言ってるの!そんなことあるわけないでしょなどと頭から否定することはしないでほしいです。

子ども達から投げかけられる、時に難解な質問に答えるコツ!それは、子どもだった自分自身に聞いてみることです。子どもの時の自分は時に、頼もしい相談相手となってくれます。

娘が今朝、またも質問してきました。(今度は何じゃい?!)『ねぇ、キノピオって好き?』『キノピオ?小さくて可愛いし、好きだよ~』と答えると怪訝そうな顔をします。???『可愛いかなぁ。鼻が伸びるのに?』と娘。『いや、それはピノキオ!おじいさんに失礼でしょー。名作、間違っちゃ』と呆れる母なのでした…。

ねぇ、子どもの私。娘は大丈夫かな?来年、中学生になるのに聞き間違い、言い間違いが本当に多いんだよ~!

きっと、子どもの時の私は呑気にこう答えることでしょう。『大丈夫!大丈夫!私よりしっかりしてるよー』って。

皆さんも、是非、子どもの時の自分と何かお喋りしてみて下さい。意外なアイディアやヒントがもらえるかもしれませんよ。

それでは、次回もどうぞお楽しみに♪


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