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ロンドン滞在日記 14日目【前編】:ゴッホより普通にキッチュが好き

YMSビザで在英中のパートナーに会いにロンドンを訪れた際の、およそ2週間にわたる旅の記録です。コラムともエッセイとも言えないようなただの日記なので、どうぞ気軽に読んでください。
1日目:なんでこんな映画見たんだ
2日目:まだ飛行機に乗っているのか
3日目:木で鼻をエルメス(塩対応という意味のことわざ)
4日目:犬が苦手な人はいないことになっている
5日目:はじめてのおつかい(ただし39歳)
6日目:その屁はいつかどこかで借りてきた屁
7日目【前編】:犬は吠えるがオクラは揚がる(日記は不作)
7日目【後編】:『レ・ミゼラブル』を観て感じた演劇界の無情
8&9日目:旅の中だるみもリフトアップできればいいのに
10&11日目:もうヌン活なんて言わないなんて言わないよ絶対
12&13日目:骨董市で木村が手放したバーバリーと出会った


クリームかぶりも旅の醍醐味

ロンドン滞在14日目。あれよあれよという間に明日はもう帰国なのである。明日は朝イチで空港に向かわねばならないので、観光できるのも実質今日が最後だ。

今日は、Shepherd Marketという商店街へ行ったあと、ロンドン屈指の美術館「ナショナル・ギャラリー」、そして「ロンドン・アイ」という大観覧車に乗って、夜は『キャバレー』を観劇するという、「それ、もっと中盤戦で消化できなかった?」と言いたくなる夏休みの宿題のような詰め詰めのスケジュール。だってだって、こういう生き方しかできないんだもの。

最初に訪れたShepherd Marketは、ロンドンだけでなく世界でもっとも地価が高いと言われる一等地・メイフェアの裏手にひっそりと広がるマーケット。とはいえ、先日訪れたPortobello Marketのような青空市とはまったく異なり、狭い通りと石畳の歩道が縦横に走る中に、ビクトリア時代の建物やエドワード時代のパブなどが建ち並ぶビレッジスタイルの商店街だ。

商店街というにはおしゃれすぎる街並み
真っ赤な外壁が特徴的なパブ「The CHESTERFIELD ARMS」

いかにもブリティッシュブリティッシュしたトラディショナルなパブや、「GENTLEMEN'S HAIRDRESSER」と書かれた英国紳士御用達みたいな理髪店、ロンドンのイケてるお洒落おじさん、略して「ロンおじ」がヘビーユースしているに違いないメンズブランドの店など、一等地にふさわしい地元密着な店が多い。正直、一見の観光客がふらりとショッピングを楽しむには敷居の高さを感じる。

滞在中、一度くらいロンドンの理髪店で「ヒゲ剃りをあててくれ」とか言ってみたかったが、日本の美容院すら飛び込みで入る勇気のない私には無理な話であった。

いかにもロンドンな「GENTLEMEN'S HAIRDRESSER」
「SIMON CARTER」というメンズブランド
まさにイメージにぴったりのロンおじが
ショーウィンドウの後ろに写り込んでくれた

我々がこのマーケットにできることは食事にお金を落とすことくらいなので、ジョージ王朝様式だという広場を横目に、街の一角にある「Misto」というイタリアンでランチをとることに。Googleレンズの翻訳機能を駆使しながらメニューと格闘し、本日のスープと、蟹の入ったラビオリと、カルボナーラをオーダー。

すると、てっきりトマトソース系かと予想していたラビオリが、意外にもホワイトソース系だったことが判明。ポタージュ系のスープも含め、すべての料理が白&クリームかぶりするお茶目なミスを犯した。異国のレストランで料理を勘と雰囲気で選んだときしばしば起こりがちなヤツだが、味はおいしかったのでよしとする。

本日のスープ。この時点ですでに”白”かぶりしている
カルボナーラ。さすがおいしかった
てっきりトマトソース系かと思っていたラビオリ。がっつりクリーム系
白い写真が続いたのでウッディな店内をどうぞ

心のふるさと、東急ハンズ的なるもの

その後、トラファルガー広場にある「ナショナル・ギャラリー」へ向かうが、その道中、パートナーが急きょ仕事のメールに対応しなければならなくなり、待ってる間デパートに立ち寄って時間潰しをすることに。最新イヤホンやドローン、ドライブゲームなどが並ぶテック系の売り場を一人で見ていると、日本でいう東急ハンズ的な雑貨フロアを発見。

ドローンとか自走式ロボットとか(たぶん)
イヤホンとかゲームコントローラーとか(たぶん)
家庭用のミニ窯。大阪におけるたこ焼き器的な感じか

ハイブランドの服やインテリア、アクセサリー、香水、化粧品などを見ているときとは違い、悲しいかな、この東急ハンズ的サブカルの中に身を置いているときが一番ホッとするというか、自分の心のふるさとに帰ってきたような気がして、思わず「ただいま」と言いたくなってしまった。

何と言ったらいいのだろう、すべてが「わかる」のである。日本の立版古(レイヤーに分かれた風景や人物の絵を切り抜いて、立体的に組み上げる江戸時代のペーパークラフト)のようなペーパージオラマ、瓶の中に組み上げられたミニチュア、謎の癒しキャラ、そしてBE@RBRICK。そういうのがディスプレイされているのを見ると、言語も思想もまるで違うはずのイギリス人とも「はいはい、こういうのがおもしろいんだよね」という感覚を共有できる気がして、ひどく安心する。同じヴィレッジヴァンガードの血が流れている気がして、急に親近感が湧くのである。

何かトラブルに見舞われたとしても、英語は話せないが、この楳図かずおコラボのBE@RBRICKを差し出せば、とりあえずなんとかわかり合えるんじゃないか。そういう藁にもすがる期待を、おもしろ雑貨に託したくなるのだ。伝わるだろうか、この感覚。

日本でいう立版古のようなペーパージオラマ
こちらは瓶詰めのミニチュア。
こういう箱庭療法的なものが好きな自分はなんか病んでるのだろうか
ヴィレヴァンやキディランド感が強い癒し系キャラ
BE@RBRICKのコーナー。日本の浮世絵や楳図かずおとのコラボも

中でも個人的に気になったのが、《TOILETPAPER HOME》というインテリアやビューティー、雑貨のブランド。元はイタリアのヴィジュアル・マガジンだそうだが、雑誌の持つ精神にインスパイアされて同名のブランドも作られたのだとか。真っ赤な唇から覗く白い歯に「SHIT」と描かれたバッグや、リップを持った手が寄ってたかって迫ってくる鏡、先端から液体が滴る拳銃の柄のポーチなど、そのセンスはシュールかつアイロニカル。不安感と不遜感を融合したちょっぴり批評性のあるブラックユーモアが、実に私好みなのだ。

イタリアのブランド《TOILETPAPER HOME》
かっけーカバン
シュールな鏡
ぎょっとさせるセンスの皿
お猿のライト

そんなに気に入ったのなら、ポストカードの1枚や2枚買っておけばよかったと思うが、1人きりでデパートを歩き回ることにまだ緊張していて、その次のステップである「買い物をする」ところまで気持ちの余裕がなかったのが正直なところだ。40歳目前(当時)のおじさんがそんなことでウジウジとする姿は我ながら目もあてられないと思う。思うが、海外に1人で放り出された英語の話せない日本人男性というものは、得てしてそんな「生きるのが下手なんです」みたいな穂村弘みたいなぶりっこムーブをしてしまうものなのだ。それはもう絶対にそうなのである。

その人には世界がそう見えている

さて、スノッブな大衆アートに寄り道してしまったが、ここからはいよいよガチアートの本丸「ナショナル・ギャラリー」へ。ここは、ゴッホ、ダ・ヴィンチ、フェルメールなど、美術や歴史の時間に必ず見たことがあるような有名どころをはじめ、13世期から19世紀にかけての約2300点以上の美術品を所蔵した世界有数の美の殿堂である。

大英博物館のとき同様、その敷地はバカ広く、到底1日で全部見て回れる広さではない。そこで今日のところは、超ド級の有名作品であるゴッホの「ひまわり」を中心に、印象派の作品を集中的に見て回るというプランを立てた。無理して全部駆け足で見ようとしない。その心の余裕が、バカ広スポット観光に必要な心得であることを、私たちは大英博物館で学んだのだ。

ゴッホの「ひまわり」は、ナショナル・ギャラリーの目玉として明らかに別格の扱いを受けていて、人だかりの数もそこだけ違う。話には聞いていたが、ゴテゴテに塗り重ねられた絵の具の厚みは、もはや立体作品なのではないかという趣き。晩年の精神を病んだゴッホがどんどん「塗り」をエスカレートさせていき、「え、ゴッホやめなって、それ以上塗ったらもう絵じゃなくて彫像だよ?」というくらい絵の具を厚く盛っていたら、今ごろ美術史は変わっていただろうか(絵画は必ず横から見た写真も掲載することになっているとか)、などとくだらないことを考えてしまう。

「ひまわり」といえば、昨年10月に環境活動家の手によってトマトスープをぶちまけられたことでニュースになったが、当然ながらトマトの染みもトマト臭さも残っておらず、何事もなかったように変わらぬ黄金色を私たちに放っていた。むしろ、あんなことがあったにもかかわらず、ガラスやアクリルで囲われることもなく、変わらずに剥き出しのまま飾られていて大丈夫なのかと心配になってしまう。今だって、私が急におかしくなって「黄金色のコラボレーションやあ!」と叫んで「ひまわり」におしっこをかけようと思えばかけられるのである。これまでの130年間の「ひまわり」の無事は、単に人類の善意に支えられていたのかと思うと、意外とみんないいやつだな、とも思う。

言わずと知れた代表作「ひまわり(トマトスープ受難後)」
こちらも有名な晩年の作品「糸杉のある麦畑」
一見、ゴッホらしくない「2匹の蟹」。

「2匹の蟹」という作品が、一見ゴッホらしくない写実的なタッチの絵で印象に残っているのだが、こっちにトマトスープをかけたらおいしそうだったのに、と不謹慎なことを考えてしまった。それもこれも、お昼に食べた蟹のラビオリがホワイトソースだったからだと思う。

続いて、モネやルノワールなど他の印象派作家たちのコーナーへ。厳密にはゴッホは「ポスト印象派」と呼ばれ、彼らよりも後の時代の流派らしい。なんでも、この世界を「色」、つまり「光」だけで表現しようとしたのが印象派で、それを踏まえた上でもう一度「形」で表現しようとしたのがポスト印象派なのだとか。たしかに、モネやルノワールの作品には「輪郭」というものがないが、ゴッホの絵には再び「輪郭」が戻ってきている。

印象派って、画集や資料集などの印刷物で見る限りでは「ふーん」という感じなのだが、実物を目の当たりにすると、なるほどこういう対象の捉え方、描き方は当時ものすごい発明だったんだろうなというのがなんとなくわかる。間近で見る「色」の集合体でしかないものが、遠くから見るとちゃんと人物や風景に見えるというのは、いかなる発想でたどり着いた境地なのか。

モネは白内障だったというし、ゴッホも色弱だったという説を聞いたことがあるが、やはり画家にとっての絵というのは、「その人には世界が本当にそう見えている」というものなのかもしれない。みんなと同じにできなかった人が、主観を描いたら「おもしろいね」と評価されるようになった、というのは、芸術が正しく人を救った感じがしていい話だ。

紹介します、ルノワールです
こっちはクロード・モネっていうんだ
こいつはカミーユ・ピサロ、仲良くしてやってくれよな

無力感と全能感を同時に味わえる夜景の魅力

さて、日の入りを待って訪れたのは、ウェストミンスターにある大観覧車「ロンドン・アイ」である。テムズ川を挟んでビッグ・ベン(時計塔)とウェストミンスター宮殿のほぼ向かいに位置する絶好のロケーションだ。観覧車などという歴史的建造物でも何でもないベタなデートスポットに、果たして福田は興味あるのか?と思う向きもあるかもしれない。

しかし、なかなかどうして、私は高いところから夜景を見るのが意外と普通に好きなのだ。六本木ヒルズ森タワーの東京シティビューも、お台場の観覧車も、行けるなら行っておきたい。だって、自分という存在はこの小さな小さな光る点のひとつに過ぎないのだ、という圧倒的無力感と、そんなちっぽけな人間どもが地面を這いつくばる様子を自分は今こうして上から見下ろしているのだ、という圧倒的全能感。この2つのアンビバレントな感情を、まったくの同時に味わえる経験なんてこんなときくらいだろう。

自分の遥か足下を走る車のヘッドライトやテールライトの行列は、まるで人体に張り巡らされた血管のようで、ビル群の窓の明かりひとつひとつは細胞だ。いわば、手塚治虫の『火の鳥・未来編』を読んだときに感じたミクロな細胞からマクロな宇宙への瞬間移動、全肯定と全否定は等価であるという哲学的思索を、ドラッグなしで味わえるなんて安いもんではないか。

思わず暑苦しく語ってしまったが、そんな、夜景を見るためにあると言ってもいい観覧車なのに、「ロンドン・アイ」の営業時間はまさかの18時までだという。たしかに冬のロンドンの日没は16時頃なのだが、それにしたって閉まるの早すぎないか。観覧車の醍醐味を捨ててもうてますがな。

生粋の関東人の口から思わずニセの「ますがな」が出てしまったところで、パートナーが営業時間ギリギリの最後の回を予約してくれていたことがわかり、絶好の時間帯の夜景が拝めることに。しかも、閉園間近で乗客が少ないため、本来なら10人乗りくらいの大きなゴンドラに、2人きりの貸切状態で乗せてくれた。これは嬉しいサプライズだ。

ゴンドラは、床以外は天井までガラス張りでほぼ360度が見渡せる仕様になっており、まるで上空にぽかんと浮かんだ気持ちになれる。眼下に広がるビッグ・ベンやウェストミンスター宮殿の幻想的な風景、流動体のようにうごめく道路や鉄道の動きを眺めるのは、やはり格別だ。料金は25.5ポンドとそれなりにするが、それに見合う絶景を体験することができたと思う。

ビッグ・ベンとウェストミンスター宮殿
近くの鉄道の駅
観覧車のこういう骨組みにもグッとくる

途中、遊園地のアトラクションのように固定カメラで写真を撮られていたのだが、どこにカメラがあるか事前に教えてもらえるわけでもなく、ジェットコースターなどとは違い明確なシャッターチャンスもないため、いつ撮られたのかまったくわかっておらず、帰り際のモニターには間抜けな後ろ姿が映っているだけだった。

誰が買うか、こんな写真

しかし、こんなどうでもいい写真すら売りつけようとする人間の商売っ気というものが、醜くて私は好きだ。観覧車のふもとの川沿いには、目がチカチカするメリーゴーラウンド。こういういかにも消費社会的なチープでキッチュな色彩にも、たまらなく退廃的な美を感じてしまう。

ナショナル・ギャラリーで見た「ひまわり」も美しいが、このメリーゴーラウンドもまたアートだ。ゴッホより普通にキッチュが好き。たぶん、感性が根っからTOILETPAPER HOME寄りなのだと思う。

このガチャガチャ感が醍醐味
どこか中華っぽさも感じる無国籍ドラゴン

さて、この後は楽しみにしていたミュージカル『キャバレー』をプレイハウス劇場で観劇する。思えば『キャバレー』の世界観もまた、下品で奔放で猥雑だ。そして、この舞台がもうめちゃくちゃ素晴らしかったので、続きはまた次回。(つづく)

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