ありがとう、ズッコケ三人組

那須正幹先生が亡くなられたことを昨日、知った。

小学生の頃、ズッコケ三人組が大好きだった。
田舎育ちのわたしには、彼ら街の子が近所やクラスを巻き込んで時にはフィールドを拡げていろいろな体験を重ねていくところが愉快だった。

田舎に住んでいる子供は実は自力で行動する範囲が狭い。図書館すらも親に車で連れて行ってもらうほかない。
だからわたしにとって学校の図書館は大事な場所でめぼしい本は多分ほとんど読んでしまっていて、何十年も誰も触れていないであろう骨董品のような本にまで手出ししていた。
江戸川乱歩やホームズとか。かけらほども覚えていないけれど。

しかし、三人組は自転車のみならずバスや市電(広島ですもんね)で自由に飛び回る。モーちゃんなんて喫茶店でケーキの食べ比べまでしているのだ。
わたしには喫茶店などテレビ以外で想像もつかず、大学生ではじめてファミレス以外でお茶した時にケーキセットの値段に震え、スパゲティランチを食べた。

中学生になり、まずは図書館を物色する。三人組からの流れか、ぼくらの七日間戦争にはじまり ぼくらシリーズにハマり、教科書の岳物語からシーナさんにはまり、沈黙を読んで遠藤周作にはまり、狐狸庵シリーズも読破する。そして向田邦子に心酔し、町の図書館まで自転車を飛ばすことになる。片道12キロ。タフだった。
雪の季節は母の会社帰りに合わせて図書室で待たせてもらえた。わたし一人のためにストーブを焚いてくださった。宿題をやったり、本を読みまくったり。
異論を唱える先生はいなかったようで、時に勉強を教えていただいたり、今日は何読んでるんだ?と覗きにきたり、こっそりお茶とお菓子をいただいたりしていた。

お前は街の高校に行って伸びていけよ、と言われることがよくあった。設備の不足や本の少なさを先生も気の毒に思ったようだった。
記憶にはないが、過去30年以来貸し出しの日付がない本も読んでいた。ただの活字中毒だ。

高校は進学校ではないが、最先端の情報を学べる(という触れ込みの)新設校に進んだ。
図書館の本はピカピカで、開校以来まだ誰も借りていないような全集などもあった。
漫画研究の非公認サークルがうるさいのがたまにキズだったが、部活が暇な時や昼休みに練習できない時は図書館の隅っこで本を読んでいた。
三年間の貸し出し冊数は学年5位だった気がする。
上位には図書委員や例の非公認サークルの人々が名を連ねていた。
フルで忙しい部活をしていた人は皆無だ。5分でも時間があれば本を読んでいるか寝ていた。

北原白秋全集を借りたら、私の前に借りたのは部活の顧問(科目は音楽)だった。秘密を共有したような嬉しさもあった。

わたしの読書傾向に共通しているのは日常の楽しみや紀行文、エッセイが多いことだ。
(向田邦子も旅が好きで旅先で事故死している)

これは ズッコケ三人組が影響していることと、いつかなにか冒険したい、旅したいという憧れだろう。


四半世紀をすぎた頃、三人組との再会がやってきた。そう、息子が借りてきたのだ。久しぶりにまた必死で読んだ。中学生になってからは ぼくらシリーズを借りてきた。
懐かしい彼らを通して親子で読書の感想を語れることは本当に幸せなことだと思う。

那須正幹先生、ありがとうございます。ゆっくりお眠り下さい。
三人組とはいつまでも本で会えます。

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