トンボの逆立ち 1匹の最期を看取った話
真夏のある日、一匹のトンボをお見送りした。最後に見た姿が記憶に残って忘れられない。
地元の商店街で小さな場を運営している。通りの側の軒先スペースを人に貸し出している。かっこつけて言うとPOPUPSHOPというやつで、パンや菓子や商品のサンプル配布やら、占いやら色々な目的の人が来てくれる。
中には繰り返し使ってくれる人もいて、何度も話すうちに、人となりがわかって親しくなってくる。
その日は親しい利用者さんの一人であり、占いのAさんが来ていた。彼女は軒先でお客さんが来るのを待っていて、私はその奥でパソコンとにらめっこをして作業をしていた。
それにしても暑い日だった。暑さの盛りで通りは閑散としている。ちょうど昼食の時間だからなおさらだ。
こういう時、私は内心ドキドキする。今日はこのままお客さん誰も来ないかも、と想像する。売上ゼロだったらもう利用者も来なくなるかもな、と不安がよぎったりする。
「みてみて、トンボがきたよ。」
Aさんの明るい声がする。
拍子抜けする話題をふられてふっと気持ちが緩んだ。きっと優しい声になっただろう。えー、トンボ、なになに?、と近寄っていく。
すると、ドアを出たところの白い床の上に、青いトンボがいた。
珍しい。都会の中に昭和遺産のようなアーケード商店街にかれこれ10年くらい居続けているけれども、ここらで飛ぶトンボは見た記憶がないし、ましてはご来店下さるトンボは初めてである。
そんなトンボをしゃがんで眺める。2人並んで小さき昆虫を眺めていると、子どもに戻ったような気分だ。うざったかった暑さも夏休みの演出の一部のごとく。彼女とはずっと昔から友だちだった気がして、あまい気持ちが込み上げてきて、くすぐったくなった。
そんな時、彼女が「なんかさ、このトンボ、全然動かないね」と言った。
そう、床にとまったままさっきからじいーとしている。動かない。
あ、本当だね、と私。
目が離せなくなってしばらく見ていたら、満を辞したように、頭を床につけて脚を使って、じりじりじりじりと尾っぽを上にあげていく。やがて逆立ちの状態になり、そこから反対側にバタンと倒れた。
羽がペタンと床について足が空にういている。仰向けでやがて動かなくなった。
あっけにとられていたら、さらに「見てみて」という。いつも最初に気づくのは彼女だ。
羽の付け根が黒くなっている。そして、羽の葉脈のような模様が、かぎりなく薄いグレーだったのに、みるみるうちに黒くはっきりした色に変わっていく。
トンボがまとっていた透明感が消えていく。円の直径がずんずんと小さくなっていくみたいに。
それに伴って、ふしのある胴体は黒ずんできた。まるで内側から焦げているように縮んできた。
ここにきて私たちもこのトンボが危機迫る状況にあることを理解した。優雅になめらかに飛ぶ様子からは想像もつかない姿を、この目の前のトンボは見せているのだった。
ここで、Aさんは、えーどうしたんだろう、と言いながら、仰向けにひっくり返ったトンボをつかんで、最初の態勢に戻した。
意外だった。こういう時、なすがままに放っておくのが私にとっての普通だったから。
人の手でもとの姿勢に戻ったトンボ。しかし全く飛び立つ様子はない。
ようやくまた動き始めたと思ったら、もう一度もぞもぞして、大きな頭を床につけ、羽のついた腹を節をしならせながらじりじりと上に持ち上げた。やがて羽の重さでころんと向こう側にひっくり返った。また仰向けの態勢になったのだ。
これにはびっくりした。特別な場面を見てしまっていた。
繰り返すということは必然性があるのだろう。
死期をさとった猫が人に見えない場所に行って死ぬというのは聞いたことがある。しかし、トンボが死ぬ直前に仰向けになるとは聞いたことがない。
辛くてどうしても横になりたい、、、そう思っているのだろうか。いや、昆虫だから感情ではなくDNAの自動的なプログラムだろうか?
ともかくあっけにとられていた。
ここで、彼女が、トンボにはトンボらしくいてほしい、もう一度飛んでほしい、と元の態勢に戻した。
「よくないよ、そのままでいさせてあげようよ」と口まで出かかって、また引っ込めて、飲み込んだ。
「本人が寝たいって言っているんだから尊重してあげるべきでしょ」「それってもう死ぬしかないみたいじゃない、また飛べる可能性に賭けようよ」
こうやって、死に際にそれぞれの願望を投影して、あーでもないこーでもないと、残された者たちが言い争うのだろうか。これからの介護を想像してみる。弟とケンカしたりするのか。
しかし、実際は程なく、目の前の生き物は動かなくなった。これから飛べそうな格好のまま抜け殻になった。胴体は小さく、黒ずんでちぢんだ。羽の透けるような模様は黒く濃い模様となった。
私たちは亡骸をティッシュの上にのせた。さっきまで動いていたもの。今しがた、もう二度と動かないものになったもの。
目の前で亡くなった以上捨てるわけにいかなくて、結局、裏庭の土に死骸を置いた。最期を見届けてしまい、どんな縁だか知らないが、さようなら、とか、よく生きたね、一人で死にたくなかったのね、おつかれさま、土に帰ってね、と口々に言った。
帰り際、彼女が、一緒に看取ってくれてありがとうございました、一人だったらどうしていいかわからなかったです、とかしこまって言う。
なんだかおかしかった。2人で一匹の虫を看取る。たかがトンボとはいえども、看取りの方針で言い争いそうになったし、命がぬけた後の死骸を土においたときには神妙な気持ちになった。すぐには咀嚼できない感覚が残った。
頭から離れないのは、死に間際の逆立ちだ。
じりじりじりじりと力を振り絞るように、節のある腹を空に上げていった姿。
そして死の瞬間が近づくにつれ、まとっていた美しい透明感が消えていったこと。輪の直径がきゅうーと萎んでいくみたいに小さくなっていき、最後には消えた。残ったのはトンボの形をした物体だった。
あの透明感の正体は一体なんだろう。命の炎、光、気配、オーラ?
なんとも言葉にできないのでかえって心に残っている。
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