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みんな、みんな、って言うなよ あるライブで感じた寂しさについて

先日、サブスクで聴いて好きになったバンドのライブに行った。20代のバンドで繊細さと清々しさと若さが混ざっている。何度か聞いているうちに実物を見たくなった。spotifyで何度も聞いてこの日を楽しみにしていた。

でも、残念。

ただ音源を聴いているだけの方がよかった。

行って後悔した、というよりも、いいなと思っていたのにこれ以上は好きになれないことがはっきりして寂しかった。

恋のようだ。フィーリングが合うかもと思ってときめいていたのに、実物に会ったらシャッターが降りる。テンションが急降下してマイナス値を計測。

足と気持ちの両方に疲労感がたまった。


何が嫌だったのか反芻してみたら、ノリだ。歌もギターもドラムも上手だったけれど、盛り上げ方が苦手だった。

「みんなー、盛り上がっている?」

「みんなサイコー!」

「みんなと楽しい時間を過ごしたくって」

「みんなでウェーブ起こそうね」

と言われると、どんどん冷めていく。

彼らの音楽からは、もっと寄りそって気持ちを押してくれるような感覚を受け取ったけどな。。

手前側のかたまりがウェーブをしたり、手拍子をしたり、ウェイって言ったりと、ボーカルの言った通りに動くのをみていると、まるで先生と子どものやりとりみたいだ。このノリにはついていけない。

いや、若いバンドに若いファンだから仕方ない、輪に入れないおばさんのひがみかと思いつつ、「みんな」という言葉はしらけるなあと思ったのだった。


みんなと呼びかけると、

「わたし」と「あなた」という関係では付き合いませんよ、

という意味にもとれる。

あくまで

「わたし」は「みんな」と付き合っている。

一人一人はみていない。

完璧なショーを見にきた人にとっては、それでもいいのかもしれないね。

ただ私はそうじゃなかったから、頼むからもうちょっと情けないところ、とか、怒っているところ、とか、上手にいかないところを見せてくれよ、予想外なところやこぼれ落ちる何かを見せてくれよ、と願ってしまった。

それが生の醍醐味だから。

みんなとひたすら呼びかけられると上下関係があるみたいだし、馴染めないと感じ始めたとたん、疎外感がつよくなってきて、気分がそっぽを向きはじめる。


音楽って、大ぜいの人が一緒に聞いていても、心の琴線が動くときは自分だけになる。

隣に友だちがいても知らない人がいても、結局は1人。みんなへの呼びかけに反応している訳ではない。直接自分の心に訴えかけてくるから感動する。

ぎゅうぎゅうの会場で聞いたタテタカコも、池上本門寺で聞いた夏川りみも、最後までギターをかき鳴らして神々しかったサニーデイサービスもそうだった。

そういう意味で、まだこれからのバンドなのかもしれないし、もしくは、全く私の好みと違うのかもしれない。


こういう話はたいがい自分に返ってくる。

私もついつい、みんな、と言ってしまうのだ。

仕事でまちに関わっているから、「街のみんな」とか、「多世代みんな」といった言葉を使いがちであるし、事務局的な仕事をしていると呼びかけ文句として「みなさん」はめちゃくちゃ便利である。


しかし、情報を伝達するだけでなく、人の琴線を動かしたいなら、あなただけのために、という態度が必要なのだと思う。立ち位置を守らないで、私とあなたの関係におりてくることが、心を動かすには大事なのだ。

これから「みんな」と言いそうになったとき、ライブでの気持ちを思いだそう。

あんなに白けたじゃないか、と一旦立ち止まって点検してみようと思う。

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