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読書めも ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』第一部 認知革命

私の読書メモを元にしてまとめてみました。実際に書かれている内容と異なる箇所があるかもしれませんが、面白そうだと思われましたら、本書を読んでみてください。

私達しかいない

250万年前の東アフリカで、人類が初めて姿を現しました。彼らアウストラロピテクス族は、200万年前に広い範囲に進出し、個別の種として誕生します。これらの人類種には、大柄の者もいれば、矮小なものも、恐ろしい狩人もいれば、温和な植物採取者もいました。

200万年前から1万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していました。10万年前の地球には、少なくとも6つの異なる人の種が暮らしていました。そして、我々ホモ・サピエンスや、ホモ・エレクトス、ネアンデルタール人は日常的に火を使っていました。

兄弟たちは、どこに行ったのでしょうか。

中東とヨーロッパの現代人のDNA配列の中の1〜4%にネアンデルタール人のDNAが紛れ込んでおり、メラネシア人とオーストラリア先住民には最大6%のデニソワ人のDNAが紛れ込んでいました。つまり、ホモ・サピエンスは他の種との交配がありましたが、それは非常に稀なことだったため、完全に同化したために姿を消した訳ではありません。

ホモ・サピエンスが新しい土地に到着するたびに、先住の人々はたちまち滅び去ってしまったという証拠が発見されています。理由は分かりませんが、ホモ・サピエンスによって他の人類が絶滅に追い込まれたのではないかと考えられます。

不適切な進化

人類は、大きな脳を持っています。しかし、それを維持するのに非常に多くのエネルギーを消耗します。200万年以上に渡って成長に成長を重ねた神経ネットワークから得られた恩恵は、残念ながら碑石のナイフと尖った棒以外にはみるべき成果はほとんどありませんでした。

また、直立二足歩行によって、立ち上がって獲物や敵を見つけやすくなり、腕が自由になったことで、石を投げたり合図を送ったりすることに使えるようになりましたが、腰痛や肩こりといった問題に苦しめられることになりました。

更に産道が狭まったため、出産が極めて危険なものとなりました。そのため、生命の維持に必要なシステムの多くが未発達な、未熟な段階で産まなくてはならなくなります。

出産後は、長期にわたって世話する必要があるため、社会的絆を結べるものが優遇されるようになります。子供のころから教育し、社会生活に順応させることが重要になっていきます。

しかし、大きな脳を持ち、道具を使用し、優れた学習能力を持ちながらも、ホモ・サピエンスは200万年にわたって取るに足りない生き物のままでした。

その後、生態系の頂点へ、華々しい跳躍が起こります。あまりに短期に起こったため、DNAにはサバンナの負け組だった頃の恐れと不安の記憶が刻まれたままでした。我々の残忍さは、性急な飛躍の産物なのです。

噂話から神話へ

7万年前から3万年前ごろ、柔軟な言語が使用できるようになりました。「気をつけろ!ライオンだ!」と叫ぶことしかできなかったのが、「川の近くにライオンがいる」のような、限られた数の音声や記号を繋げ、異なる意味を持つ文をいくらでも生み出せるようになりました。

この発達には、社会性を重視する人々が、多くの時間を「噂話」に費やしていたのではないかと考えられます。そして、必ずしも起こった出来事ばかりではなく、これから起こることや、全く存在しないものについての情報を伝達できるようになりました。

「噂話」は集団をまとめる力がありますが、その上限は150人程度です。限界を超えて、何万人からなる都市や、何億もの民を支配する帝国が出来上がるには、更に大きな噂、つまり嘘が必要になります。多くの人が信じる虚構のことを「神話」と言います。我々は「神話」を共有することで、大規模な協力体制を維持し、交易を行えるのです。

生態系連続殺害犯

ホモ・サピエンスは、人類の兄弟を絶滅させただけでなく、地球上のとても多数の種を絶滅に追いやりました。

約4万5千年前、人類はオーストラリア大陸へ渡りました。その後数千年のうちに、体重が50キログラム以上あるオーストラリア大陸の動物種24種のうち23種が絶滅しました。

北シベリアでは、トナカイやマンモスが満ち溢れていました。1万6千年前(紀元前1万5千年ごろ)、人類は、大型で肉付きがいい動物の魅力に引き寄せられ、北シベリアの極端な環境に耐える術を習得します。

そして、紀元前1万2千年ごろの地球温暖化によって氷で閉ざされていた道が開け、アラスカからアメリカ大陸を南に広がっていきます。

この結果、北アメリカの大型哺乳類47属のうち34属、南アメリカの60属のうち50属が失われました。また、何千種という、もっと小さい哺乳類や爬虫類、鳥類、さらには昆虫や寄生虫魔さえもが絶滅しました。

このようなホモ・サピエンスによる生態学的惨事の第一派は、動物界を見舞った悲劇のうちでも、とりわけ規模が大きく、短期間で起こりました。更にこの後、農耕民の拡がりによる第二波、産業活動による第三波が訪れます。

私たちの祖先が自然と調和して暮らしていたというのは、環境保護運動家の幻想であり、決して信じてはいけません。

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