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読書めも ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』第二部 農業革命

私の読書メモを元にしてまとめてみました。実際に書かれている内容と異なる箇所があるかもしれませんが、面白そうだと思われましたら、本書を読んでみてください。

農耕への移行

紀元前9500年~8500年頃、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で農耕への移行が始まりました。そのきっかけは、幾つかの動植物種の生命を操作することから始まります。

紀元前3500年までに、小麦、稲、とうもろこし、じゃがいも、キビ、大麦が、様々な場所で、それぞれ完全に独立した形で栽培化されました。これらの農作物は、現在私達が摂取するカロリーの9割以上を占めています。

狩猟採集民としての生活では、多様な植物を食べ、一日数時間の労働で狩りをし、余暇を楽しみ、他の集団との衝突があれば別の土地へと移動し、平和で豊かな生活を送っていました。それが、1世紀までには、世界の大半の地域で大多数の人が農耕民となります。

小麦たちが私達を家畜化した

1万年前、小麦は中東の狭い範囲に生える、ただの野生の草に過ぎませんでした。ところが、数千年のうちに、小麦は植物の生存と繁殖において地球の歴史上で指折りの成功を収めます。

今日、世界全体で225万平方メートルの地表を覆っており、これは、日本の面積の約6倍に相当します。

人類は、朝から晩まで小麦を世話し、栄養を与え、害虫や他の生き物から守ってきました。ホモ・サピエンスのDNAは、農耕作業に適応していませんでした。長時間の不自然な体制での労働で、椎間板ヘルニアや関節炎といった多くの疾患がもたらされます。

小麦はホモ・サピエンスを魅了し、服従させ、より惨めな暮らしを選ばせたのです。その見返りは、ホモ・サピエンスという種のDNAの繁栄であり、個々人の幸せではありませんでした。

史上最大の詐欺

確かに、食料の増加によって人口は爆発的に増えました。しかし、なぜわざわざ自分の生活水準を落としてまで、ホモ・サピエンスのゲノム複製の数を増やそうとするのでしょうか。

「計算違い説」では、人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉えきれないことが原因だっと説明します。

余剰の小麦は増えた子どもたちに分けられ、母乳不足で子どもの免疫系が弱まり、永続的な定住が感染症の温床となりました。また、単一の食料源への依存によって起こる旱魃かんばつの害に備え備蓄すると、盗賊への対処が必要となり、城壁の建設と見張り番が必要となりました。

前より一生懸命働けば、前よりいい暮らしができると考えた結果、小さな変化の積み重なりが、社会を誰も想像したり望んだりしていなかった形に変えてしまい、後戻りは不可能となってしまったのです。狩猟採集民の時に獲得・共有されていた自然、動物、植物などの知識や、自ら様々な道具を作る技術などの多くは失われるか、一部の人達のものとなり、農地から離れて生活する方法は忘れられてしまいました。

数人の腹を満たし、少しばかりの安心を求めた些細な一連の決定が累積効果を発揮し、古代の狩猟採集民は焼け付くような日差しの下で桶に水を入れて運んで日々を過ごす羽目になったのです。

共有された神話

定住し農耕を行うには、人類は未来のために働くことも求められました。なぜなら、将来やってくる厄災に対して何かしら打つ手をもっていたからです。食料不足を予測して新たに農地を開梱したり、水不足を予測して灌漑水路を作成したりできました。

この機能を成功させるためには、大規模な政治体制や社会体制の土台が必要です。紀元前1776年頃に、ハンムラビ法定が作成されます。古代メソポタミア人の社会秩序の理想とされた、想像上の秩序による共有された神話です。

想像上の秩序を人々に信じさせるためには、人々を徹底的に教育し、その秩序が想像上のものだとは決して認めてはなりません。そして想像上の秩序を守り維持するためには、賢明に努力し続ける必要があります。一部は暴力や強制によって、あるいは軍隊、警察、裁判所、監獄などの仕組みを作ることによって。

そこには、支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食料を消費します。また、政治や戦争、芸術、哲学が生まれる原動力となり、宮殿や砦、記念碑や神殿が建てられました。

書紀(スクリプト)の誕生

人間の脳は、非常に優れた記憶装置ですが、容量が限られており、時間とともに曖昧になったり、死ぬと脳も死んでしまいます。

紀元前3500年~紀元前3000年に、古代シュメール人は、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明しました。それは、2つの種類の記号からできており、1つが数を表す記号(numbers)、もう1つが人や動物、品物、領土や日付などの事実を表す記号(facts)でした。

アンデス文化では、紀元前2600年頃からキープ(結縄)が使われるようになります。縄の色と結び目の位置で事実(facts)と数(numbers)を表し、大規模な帝国の複雑な行政機構を維持するのに役立ちました。

このような事実と数を記録する方法を「不完全な書記体系 (Partial Script)」と呼びます。一方、会話や物語を記述する事ができるものを「完全な書記体系 (Full Script)」と呼びます。不完全な書記体系が最初に創られた理由の1つは、人間の脳は数を保存して処理するようには適応していなかったためです。物語は、記述しなくても長い間語り伝えることができました。

紀元前3000年~紀元前2500年になると、多くの記号がシュメール語の書記体系に加わり、楔形文字と呼ばれる完全な書記体系が生まれます。

紀元前3200年頃には、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)や紀元前1200年頃には中国の甲骨文字が、紀元前1000年頃には中央アメリカでサポテカ文字など、完全な書記体系の文字が現れました。

想像上のヒエラルキーと差別

人類は大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いています。そこで、想像上の秩序を構築するために、想像上のヒエラルキーが必要とされました。

差別は、自由人と奴隷、富める元の貧しいもの、白人と黒人など、それぞれの集団によってヒエラルキーが形作られます。他の社会のヒエラルキーは誤った基準や狡猾な基準に基づいていると否定しながらも、自分たちの社会にあるヒエラルキーは自然で必然のものであると主張するのが、歴史上の鉄則です。

しかし、既知の人間社会のすべてでこの上ない重要性を持ってきたヒエラルキーがあります。性別のヒエラルキーです。

男性は自分の文化の神話によって、男性の特定の役割(たとえば、政治への関与)や権利(たとえば、投票権)を割り当てられています。女性も同様に、女性の独特の役割(たとえば、子育て)や権利(たとえば、暴力からの保護)、義務(たとえば、夫への服従)を割り当てられています。

男性と女性という役割が分けられる理由として、筋力や攻撃性の違いを指摘されます。しかし、女性は歴史を通して、主にほとんど体を使う必要のない仕事(たとえば、聖職、法律、政治)から除外される一方で、畑仕事や工芸、家事などの肉体労働には従事してきました。また、女性は、戦場での忌まわしい仕事はテストステロンをみなぎらせている力自慢の単細胞たちに任せて、秀でた政治家や帝国建設者になっていてもよかったはずです。

また、女性は育児のために男性に頼り、保護される必要があったという説も、実際に男性がその役割を果たしているか疑わしく、女性同士で団結したほうが効果的のようにも思われます。

過去一世紀の間に、社会的・文化的性別の役割は、途方もなく変化しました。そのような中でも消えることなく存続する性差別について、どう説明すれば良いのでしょうか。

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