働き方

夢の世界の実現。そのためには?
こんばんは、双極症で療養中の社会福祉士です。今回の波はキツかった。だけど今の社会を貫く問題だと思ったので記録していきます。

私の父は、銀行で債権回収を担当していました。恫喝と奪うことを会社のスキルとして取得して、債権回収が収束したバブル後、統合した銀行で通常業務が全くできず、グループの債権回収会社に出向を命じられて二度と銀行に戻ることはありませんでした。つまり、脅しと奪うことだけで調子に乗り、銀行に貢献した、社会はこういうものだと考えたのです。家庭に恫喝と暴行を持ち込み家庭運営をしたために、家庭のために尽くしていた母や娘の私が犠牲になりました。母は不安定になり、父が使うような強い言葉でわたしを脅し、学齢期には、親はわたしに死んでほしいと願っているのかと悲しくなりました。なぜ、大切に学校に通わせているのか、大切に育てられて屠殺される豚のような気持ちになり、無表情のまま涙を流しました。

その感情は親の前では隠しました。中学生になる頃には銀行統合の余波で父が出向を命じられ、母はさらに不安定になり、私を束縛したので涙の流し方も感情も変わらず、怒りに育っていました。わたしはピアノに感情を込め、母はわたしを褒めて兄を何もできないやつ、となじりました。

兄は私が何でもできてすごいやつだと褒めていましたが、家から出て社会に出て、債権回収会社で出世して役職につくと、結局世の中は男が主役だ、わかったか、と子供を4人作り私にマウンティングをします。母にもします。

そこで私は考えました。大概の会社を齢40まで経験し、一応結婚離婚を経験した感じで思うのは、劣等感があるやつが会社の中でマウンティングを覚えていく。父は貧困の出身で、母は成金の娘です。結局は成金同士の家庭で、私から見て鼻につく装飾品が家の中には散りばめられていて、私の経済状況では近づくこともはばかられますし、不快です。でも成金はナチュラルにやってしまう。そういうのを兄も私も不快に思って、兄も倹約家の嫁と結婚しました。

昭和の企業は平成に変わっていく中でアメリカの企業形態をコピーしましたが、アメリカの人ほどカジュアルに競争意識を持たない人のほうが、日本にはかなりの数いるような気がしています。

太平洋戦争に従軍した世代の子供が今の団塊世代なので、殴る蹴るや複雑性PTSDの世代間連鎖は、ワタクシ氷河期世代の大人に拒絶されました。だけど、潜在的に虐待で育った人はかなりの家庭にあるはずで、それが連鎖していることに気づいている人が、競争意識を持たず、自分の基準で豊かになることを宣言してノマドワーカーを目指しているように思います。それはそれなりに、やはり家庭の中でウンザリする経験をしているからです。

逆境を優しさに変えられる強い人に育てられた人は健全に頑張れるし、たまたま深刻な虐待に至らなくて気づかない人は会社に残り、それなりにやってるけど、報われる目はほとんどなく、潜在的に、自分の基準で豊かになることに憧れています。

昭和から平成と会社のあり方が変わったように、令和に向けては過酷な拘束や無理な仕事量、つまらない人間関係の束縛への批判を受け止め、会社が長時間勤務に耐えられない人がかなりの数いること、十人十色で働き方があってしかるべきことに向けて真摯に柔軟に拓かれてくれることを願います。

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