見出し画像

走る子ども歩く大人

歩かない子供、走らない大人

ある日、買い物中のビルの中でお手洗いへ向かう途中にフッと気づいた事をnote記事にしていきます。

子供は走る。とってもよく走る。運動会では一等賞を目指して走る。欲しいおもちゃがある場所まで掛けていく。お手洗いがしたければ、猛スピードでトイレまで駆け込んでいく。何となく、子供の頃の自分に照らし合わせながら、外出先で子供の様子を見て微笑ましい気持ちになった。

子ども自身がやりたい事、やりたくない事、興味のあること、興味がないこと、全てを選んで、一番欲求に忠実な事柄へ突進と呼べるほどの掛けっこ…つまり走るという行動に出ている様な気がします。

そんな子供の様子を見ていると、食事終わりだからかお手洗いへ行きたくなった自分。それでも、猛烈にお手洗いへ行きたいのに走らない自分が居たのです。周りには人は居なかった。なので、人目を気にして走らなかった訳ではない。しかし、走らなかった。走ることに疲れを感じるから?漏らしてもいいと思っているから?…お手洗いへ向かう緊急事態のタイミングで色んな事を瞬時に考えた自分が居ました。

「走ることに疲れを感じるから?」については、間違いの様な気がします。自分は28歳の年。走るという動作自体には何ら苦痛は感じない体力を持っているはずです。また「漏らしてもいいと思っているから?」という考えについても間違いの様な気がします。外出先のビルの中、人目を掻い潜って自宅へ帰宅する未来を考えると、漏らす動作は恥ずかしいことで、大人としてあってはならないことかもしれません。

もしかすると、先ほどの子供の様に走るという行動について『何か大事な事を忘れてしまった』自分が居るのではないだろうか…そんな事を考えています。子供は興味のある物事へは走ります。しかし、私たち大人はどうでしょうか?興味のある物事へ走るという行動を起こしているのでしょうか。


■本日の「○○したい」は…

本日の「○○したい。」は「走りたい。」です。

商業ビルの中で「お手洗いへ行きたい、猛烈に行きたい!」と思っていても走ってお手洗いへ行くという行動を選択しない自分が居ました。それに対して、同じくして商業ビルで様子を伺った子供は、なんだか自分自身の欲求へ走って行っている様な気がしたのです。

お手洗いへ猛烈に行きたい自分が、そのタイミングで感じた一件の疑問。「僕たち大人は、何か興味のある物事へ走っていけているのだろうか?」という考えが浮かび上がってきました。たかだか「お手洗いへ行きたい。」という目的にも全力を尽くさなかった自分。同じように、興味のある物事へも全力で走って向かっていない可能性があります。

大人と呼ばれる僕たちは果たして、興味のある物事、好きな事、食べたいモノ、好きな人、大事にしたい事、感じていたいこと、それら全てに向かって走っていけているのだろうか。

いつからか、本当に大事な物事へ走っていけなくなった僕たち。少なくとも、自分はそう思います。なぜ走っていけなくなったのか。それは社会に出ると次第に問題や疑問となって現れます。

人目を気にする、考えを統一する、興味を分析する、興味を皆と合わせる…などなど、これらはより良い会社や社会、人付き合い、自分を守るために必要な条件です。

「人目を気にする」とモテるし、コミュニケーションが上手くいく可能性が高くなります。人を尊重することに繋がるので、逆に尊重される人間になることが出来ます。

「考えを統一する」という事は、会社に入るとよくわかります。考えがバラバラな人間が必ずいますが、会社というモノはいわば法人、つまり法の下に作られる「人」です。一人の人間に考えが複数ある様に、会社(法人)にも複数の考えを持つ社員が居ます。それでもコンセプトや方針は統一されていなければ、法人は死んでしまいます。「考えを統一する」という事は、会社の事業を円滑にするために必要なことです。

「興味を分析する」とは例えば、好きな人に合ったプレゼントを贈るとか、プレゼンする相手の欲しい情報を差し出すとか、相手に有益な物事を渡す術です。これによって、仕事やプライベートが上手く運びます。

しかし、これら社会に出て必要なスキルは問題や疑問にもなります。「人目を気にする」ことには自分らしさが無くなると言い換えられるし、考えを統一することには個性を感じられなくなることに繋がります。興味を分析する、つまり他人の興味を観察することで、自分自身の興味を発見し辛くなるという問題や疑問に発展するのではないでしょうか。

…もう気づきましたよね。「人目を気にする」「考えを統一する」「興味を分析する」これらの社会で使うスキル、実は個性を無くすんです。

お手洗いへ猛烈に駆け込みたいのに、走らない自分には、社会のスキルは備わったかもしれませんが、個性が消えてしまっていっているのかもしれません。そして、同時にお手洗いという目的と一緒に、興味のある物事、好きな事、食べたいモノ、好きな人、大事にしたい事、感じていたいことについて見失いかけているのではないでしょうか。

社会のスキルは社会で生きていく中では必要です。そして、個性を尊重され始めた令和の時代も考えるべきです。これから先、未来は個性を無くすことなく、社会で個性を平均化する術を求められているのかもしれませんね。

しかし、人目のない場所で、お手洗いへ駈け込んでいくことを躊躇する程、大人にはなりたくないものです。

興味のある物事、好きな事、食べたいモノ、好きな人、大事にしたい事、感じていたいこと、そしてお手洗いという目的へ目指して走っていきたいです。


■まとめ

お手洗いへ駆け込みたい一心と、走りたくない一心の矛盾には一体、何が有るのか。その矛盾について同じ商業ビルに居た子供から教わった事、それは自分の興味のある物事や自分の欲求に対して突っ走ること。

個性を平均化される社会で生きて来て、忘れてしまった自分らしさという個性の再発見を、お手洗いへ行くタイミングで気づかされました。

お手洗いだけでなく、目的や目標に対して走っていける自分を探していきたいです。


■note記事をポッドキャストにしてみました

Fullcity ポッドキャストのジャケット(自作しました!)

今回のnote記事をポッドキャストに収録してみました。ポッドキャストの名前は「Fullcity ポッドキャスト」です。Fullcity(中深煎り)の様に深くて香り高いトークを繰り広げる舞台はFullcity ポッドキャストSpotifyApplePodcastです。そしてstandエフエムにて公開中です。

ポッドキャストへのお便り・質問をお待ちしております。アナタのお便り・質問がポッドキャストで紹介されるかも!



「〇〇したい」をnote記事にしてみたい。

こんにちは!Seichanと申します。僕のnoteの使い方は自分の「○○したい」を表現する場所として使っています。noteとポッドキャストを投稿しています。

「○○したい」という考えは、誰しもが持っている欲求だと思っています。それでも大体は挫折したり、時間が無くて諦めたり、様々な障害が自分の欲求を遮ります。

僕には挫折した「○○したい」がたくさんありました。「あの時、こんなことをやり遂げればよかった」なんて思い出は数知れないのです。

「○○したい」は言わば「夢」や「目標」です。そうです。数知れないくらいの「夢」や「目標」を声にも出せずに諦めてきた人生でした。

「夢」や「目標」になるはずの「○○したい」という「アイデア」を表現していくという「目標」を持っています。

これからは、そんな「夢」や「目標」を声に出す事を、とりあえずの「目標」にしたい。そこでnote記事で自分の考えている「夢」や「目標」を表現していきたいと思っています。


公開済みの「○○したい」


ポッドキャスト・ラジオ公開中

-ホームページを公開中-
"「○○したい」を声にする"をコンセプトにしています。

Fullcityポッドキャスト

-Spotify・ApplePodcastを公開中-

Spotify
ApplePodcast

 #やってみた #夢 #目標 #ポッドキャスト #Spotify #ApplePodcast #したい #個性 #社会 #会社 #平均化 #お手洗い #トイレ  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?