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REALを受け入れアラフィフを謳歌する

随分前のドラマのタイトルがきっかけだろうか。
いつの間にかアラサー、アラフォー、アラフィフという言葉が定着し
最近ではアラカンという言葉さえ出て来るようになった。

そんな私はアラフィフ、50代である。

歳をとると年齢を忘れるとは聞いていたが
本当なのだなと50代に突入して実感。
1歳、2歳差はよく間違えてしまう…
年齢を重ねていく事を忘れたいのかもしれない。

20代や30代だった頃の私は50代と聞くと母親世代で
言うまでもなくおばさんであり
お洒落する事や恋愛する事からも
当然引退しているというイメージでしかなかった。
でも実際今の自分は年齢に抗い、
アンチエイジングのケアを定期的に行なっている。

ネイルや美容室はほぼ毎月通い、メンテナンス。
それに加えてお顔の超音波治療やシミ取りの治療、
歯のホワイトニングやら
最近はボディハイフまで取り入れる始末。

自分の老化を受け入れられないのだ。

歳は確実に重ねているし経験値もある。
でも本質的な中身が若い頃と変わっていないので
周囲から受ける自分とのギャップに苦しむ。

自分は歳を取っているのに
若い子と変わらない感覚で新しいものに興味を持ち、
ワクワクする感覚を持っている。
でも例えばInstagramで若い子と同じように
カフェでポージングして撮影したりするものならば

「おばさんのくせにイタイ」

とたちまち悪口を言われてしまう。

おばさん…ってなんだろうか。
歳を取る事は誰でも平等にやってくる。
その歳に見合った行動、
言動をしなくてはならないという法律ってあったっけ?

勿論、やりすぎは確かにイタイと思う。
50代の私にディズニーランドで
ミッキーの耳をつける勇気はない。

若い頃から脚はよく褒められて
ジーンズの長さはカットしたこともないし
O脚でもないのだけれども
流石に若い時に履いていたミニスカートを
履く気にはなれない。

ファッションに関してはハンサムなスタイルが好きなので
イタイとはあまり言われたことはないけれど
とはいえZARA率高めのファッションなので時々

「これって私が着て許される?」

と自問自答、時には妹に相談しながら
おっかなびっくり洋服を購入することも。

でもふと思う。

「一体誰に遠慮しているのか?」

誰かにイタイと思われたくない
という思いだけで
自分にリミッターをかけてしまうのは勿体無いと。

50代の私が若い人たちが行くようなカフェに行きたくなるのは
自分が若い時にはそんなオシャレなカフェは海外にしかなかったし
Instagramもなかったので
普通に時代の流れに乗って楽しみたいだけなのだ。

私は

「若さは5億の価値」

と思っている。
若いというだけで何もスキルがなくても
可愛がられ、許され、愛される。
特別なお手入れをしなくても瑞々しいお肌を持ち、
不摂生をしてもスリムな身体をキープしている。
勿論、体質や遺伝的に若くてもそうではない人もいるだろう。
だけれども若さは記憶力や与えられている時間なども含めて
それだけの価値があると私には思えるし眩しくて仕方がないのだ。

若い時は誰もが5億の価値を持っているとは自覚してない。
私もそうだった。
年々歳を重ねているというのに
永遠にこの若さが続くような錯覚をしていたし
お肌が綺麗、スタイルがいいと言われるのは
デフォルトだと思っていた。

しかし年月は残酷で
50代の私は20代の頃よりも20kgほど体重が増加し
頬はたるみ、目も小さくなった。
タイムスリップして今の私が20代の私に出会ったら
若い私は間違いなく醜く年老いた私を見て

「こんな醜いおばさんになるくらいなら死ぬ」

と泣き叫びそうである。

でも私はやはり諦めたくない。

女性として生まれたからには
50代でも美しくありたいし
「おばさん」ではなく
「素敵な女性」として輝いていたい。

誰の為でもなく自分が幸せな気持ちでいられるために。

これから少しずつ
50代を楽しむ私の日常を書き記していこうと思う。

#アラフィフ

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