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「障害を乗り越える」という言葉に込められる意味とは? 乙武洋匡氏の問いかけから考える

先日、我が師匠である乙武洋匡※さんが、下記の記事を掲載していました。

乙武さんの記事は基本有料記事なので、無料部分だけで要約すると、インタビューなどで
「障害を乗り越えた」と言われることに違和感を感じるという内容です。
確かに私も強い違和感を覚えました。
そもそも「障害者」などで使用される"障害"と「障害物」の"障害"って全く別物じゃないの?
今回は、そんな素朴な疑問から綴ってみました。

■”障害"とは

『障害』の意味をネット検索すると、下記の3つの意味が書かれていました。

1 さまたげること。また、あることをするのに、さまたげとなるものや状況。しょうげ。
2  個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。「胃腸―」「言語―」
3  「障害競走」の略。

weblio辞書より

また、「障害を乗り越える」とはどういう意味でつかわれるのかを、チャットAIに聞いてみました。

「障害を乗り越える」という言葉は、困難な状況に直面したときに、その状況を乗り越えるために必要な行動や心構えを表現する言葉です。この言葉は、人生の中で様々な場面で使われます。例えば、仕事や学校での問題、健康上の問題、人間関係の問題などです。このような状況に直面したときは、自分自身を信じ、前向きな姿勢で取り組むことが大切です。また、周りの人々からのサポートも受けることができると良いですね。

Bing AI より

調べると、やはり、乗り越えるべき"障害"は、乙武さんの使う"障害"とは別物のようです。

■「障害を乗り越える」は感動ポルノ?

しかし、障害者の方に対して「障害を乗り越えて」という言葉はよく使われます。
その言葉にはどんな意味が込められているのでしょうか?

「障害を乗り越える」でネット検索をしていると、下記の記事を見つけました。

この中で著者は、「障害者≒『暗くて後ろ向き』」とイメージがあり、明るくて前向きな障害者に対して「障害を乗り越え(明るく前向き)」だと言っているのではないかと記しています。
確かに、「感動ポルノ」という言葉もあるように、健常者が多数派のこの世界では、障害者が何かを成し遂げることをお涙ちょうだいの感動ストーリーとして取り上げることが多いです。しかしそれは、障害者の方々の苦労や不便さを受け入れて理解しようとして生まれるものではなく、ただエンタメの一つとして消費しているだけです。

分離教育によって幼いころから接することのなった私たちにとって『障害者』とは、どこか遠くの世界の住人のようなイメージを勝手に抱いているのではないでしょうか?
普段の生活で、著しく不便だと感じることのない私たち健常者にとって、それを不便と感じる人たちが何を必要としているのかがわからず、結果、普段でも不便を感じる障害者がより不便になってしまう言動や行動をしてしまっているのかもしれません。

もし「暗くて後ろ向き」な障害者が多数派なのだとしたら、それは、障害があるからなのではなく、障害によって、私たち健常者から(無意識的に)疎外され、より一層世の中を不便にさせているからなのではないでしょうか。

■障害はグラデーション

松永香奈恵さんの記事内で、このような文章があります。

障害と言うと特別に感じる人も多く、戸惑ったり身構えたりする人もいます。けれどそれが差別や拒絶とは限りません。ただどうしていいかわからないだけかもしれないのです。(中略)例えば小柄な人が高いところの物を取るのが苦手だからと言って、それを障害だと思うでしょうか? 乗り越えなければと思うでしょうか? 当然思わないでしょうし、背の高い人がいれば取ってくれるように頼むかもしれません。頼まれた人も、頼んだ人も、日常の出来事と受け止めるのではないでしょうか? その程度のことなのです。

第46回NHK障害福祉賞優秀作品「『ただいま』」松永 香奈恵 (npwo.or.jp) より抜粋

背の低い人、太っている人、左利きの人…、誰もが何かしら生活に不便さを感じています。不便度を数値化した場合、ある一定の数値以上の方が『障害者』となるだけの話です。

"障害"は乗り越えるべきものではありません。
でも、あえて「障害を乗り越える」という言葉を使うのなら、乗り越えるべき人は障害当事者ではなく、健常者なのかもしれません。

師匠の乙武洋匡さん
'22年12月~'23年3月まで、乙武さんが塾長を務める政治塾に参加し、このnoteの書くきっかけのアドバイスをいただいたのも乙武さんなので、勝手に師匠と思ってます。
乙武さんの知り合いの末端には私も含まれているはずだから、師匠って言ってもいいですよね!!


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