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権力

けんりょく 【権力】 他人を支配し、服従させる力。支配者が(組織・富・武力などを背景として)被支配者に加える強制力。 権力とは一種のパワーバランスを起点としたネットワークである。権力は単なる一方向の支配-被支配の関係ではなく、行為主体の相互作用のもとにある。 権力は特定のゲームの枠内でしか措定されない。すなわち特定のコンテキストがないと成立しない。ゲームのルールに基づいて成立するものであり、行為主体のパワーバランスや権力関係はそれに基づいて生み出される。 権力は普遍的

    • 【詩】祈り

      祈り 一切の静寂と暗闇 おだやかな黄身 透過する 光/さらさらと降り注ぐ 彫刻のほほ いささかの埃 粒子が舞い上がる 手を合わせて 祈り続ける フィルムレンズのむこう 静止した光

      • 勉強できるようになりたい、というか、なった

        資本主義社会でよ〜勉強は無料だ! 死ぬほど勉強して圧倒的に優勝したい。とりあえず勉強すると脳汁が出る。できない自分に死ぬほど腹が立つがキレ散らかしながら勉強する。勉強するがなにもわからないのでできねーことが山積みになっていく。とりあえずノートに書き殴ったはいいがなんもわかんねえ。このよくわかんねえ記号の山は何??? この謎の英語の意味は何??? 発狂する。発狂して俺はもうダメだ〜などと絶叫しながら家で不貞寝している。シャワーを浴びたり散歩したりストレッチしたり瞑想したりするが

        • 人は文字を操る

          今日はルノアールで考え事をしている。文字というものがもし生物だったらと仮定して話を進めると意外と面白い。 人は文字を操る。ツールとして使う、というような一方向的な考え方ではなく、存在主体は文字によっても操られている。実際その人のどのような指先の動きでも例えば人差し指の一番がhを入力して…といった形式で出力の全ては文字にコーデックされる。 文字の方が情報空間として人より上である。あらゆる運動は記号的に表記可能である。 人間にとって文字とは何かを問い直すときだと思う。 文

          メタポストとしての宗教、統合失調症との交差点

          宗教というものの定義を簡潔に行う。まず宗教というものを形式的に捉えた場合、教えるものと教わるものの対がいた時点で宗教性があるとする。つまり、はじめから会話の〈場〉において人間は対等ではなく、偏りが存在する。このようなモーダルに着目する。 教えるものは教えられるものよりメタ的であることが求められる。既存の宗教のいろいろな例を参照したらわかると思うが、とにかく情報場におけるメタな認識を持っている人間のほうが優位に立つ。その下は天下り式である。宗教はねずみ講と構造が同じである。

          メタポストとしての宗教、統合失調症との交差点

          【詩】とろける

          玻璃のように 瑠璃のように ポンカンのように 柑橘のように 蜜のように 透明なあなた をどろどろにとかして 液体にしちゃった オレンジ色の かたちのない あなたをゆする 試験管

          【詩】とろける

          【詩】操り糸

          踊れ モノクロの世界 スタイル/信条 つまり信仰 ちょっとナイフでざくりとするよ 内面世界を覗かせて? 操り糸をひいているのはだあれ オルゴールの音 擦り切れそうな糸 胸が苦しくなる 胸が苦しくなる 細い糸のうえをゆらり こわれかけの球体関節人形 人が人であるために必要なもの それは自己規定だった 自分を自分たらしめる ものはなにかと問い続ける 問 わたしはだあれ あなたはだあれ 自己参照 締め付ける 締め付ける

          【詩】操り糸

          【詩】言葉にならないほどに透過した祈り

          言葉を紡ぐ。言葉を手繰り寄せる。祈るように、祈るように、形のない祈り、黒と白の世界、文字だけの世界、で私は息をする、暗転。薄暗い部屋にランプ、静謐さの中でコンピュータのファンの駆動音だけが鳴り続けている。モニターのランプ、世界が点滅している。キーボードの打鍵音が重なる。私は言葉を操る。息を吸い込むと躰を感じる。私は考える/私はどういう人間で/どうあるべき/なにをして/なにになりたい/を。存在は呪いで、肉体は枷だ。そうして私はいつまでも一人だ。世界は残酷だ。限りなく近接すること

          【詩】言葉にならないほどに透過した祈り

          思想ゼロ

          これから私の思考回路の外部ストレージとしてnoteにメモを残していく。 これまでは私の思想というものをメモ書きに残していたのだったが古くなったため削除した。 まず人間を道具的システムとして捉える。認知の転換。プログラムのように捉える。 プログラムとしての人間は入力と出力をもち内部構造がブラックボックスの機械である。内部の数理構造を推論するために視覚聴覚嗅覚味覚などの感覚器官から刺激とよばれる信号を送る。 そうするとアウトプットとして人間の身体行動に変化が起きる。身体行

          思想ゼロ