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サクラサイタ

高校の合格発表、例年であれば学校で掲示板を見ながら番号を探すはずだった。例のウイルスは小さな思い出のかたちすら強引に姿を変えさせていく。

「朝9時10分からネットにて合格発表を行います。合格者は午後から入学説明会に参加してください。」
そう書かれたプリントを渡されたのは前日のこと。でも受験番号は知らされていない。ムスメが自分で画面に出た番号を確認し、私たちに合否を伝えるつもりなんだろう。
ムスメは男前な性格だ、何か都合の悪いことがあっても、失敗をしても言い訳をせず、人のせいにもしない。たまにポロリと涙をこぼす。その性格は小さな頃から変わっていない。
例え合格発表であろうと何であろうと、自分の目で確かめなければ何ごとも信用しない。それだけに最悪の結果の場合も腹はくくっているんだろう。結果にかかわらず全て自分で受け止めてから私たちに伝える覚悟を持って、合格発表の時間を待つ。
親に丸投げするのはお金や手続き、署名の部分だけ。
もう少し弱音を吐いてもいいのにね。


合格発表当日、ヌテラを塗ったトーストにきっちりと端からマシュマロを並べているムスメ。休校措置から始まったトーストアレンジもお手のもの。あんバタートーストのような甘いものからピザトースト、タコス風味のがっつり系まですっかりお手のもの。もし「今日からひとり暮らし開始」と突然言われたとしても、とりあえず朝昼のご飯に関しては心配しなくても大丈夫そう。「お母さんは何個のせる?」「お母さんは3個くらい」「マシュマロならまだ開けたばかりだからたくさんあるよ、遠慮しないでいいって」
…違う、そうじゃない。若い胃袋とはその作りが違うのよ。朝からそんなに甘いものはなかなか食べられないから、こんな日は特にね。
確実に10個以上、もしかしたら既に白いふわふわが15個はのっているトーストを横目に見ながら、「それなら角に1個ずつで4個はどう?」の提案をしぶしぶ受け入れた。
甘いスモアトーストを頬張り「やっぱりこの組み合わせ最強だよね」。口の横にヌテラをつけ、とろけるマシュマロの伸び具合を確認しつつ、自分で入れたミルクティーを熱い熱いと騒ぎながら飲む姿は、まるで遅く起きた日曜の朝みたいにリラックスしている。

「食べ終わったら映画観ていい?前に本で読んでたから映画も観たかったんだよね」と言う。まだ7時だし、2時間位で観終わるのなら合格発表にも間に合うと思い、こちらも軽く返事をする。
ただこの言葉、おそらく合格に対する余裕からではない。表情から気持ちを先読みしすぎてしまう母親の視線を反らすため、他のことに集中している姿を見せようとしている。
これは気にしいな母親に対するムスメなりの気遣いだ、と私はまた深読みする。
やるだけのことはやったんだから結果はどちらでも構わない、口ではそう言っていたし、ムスメにもそう伝えていた。というかそう自分に言い聞かせて心を落ち着かせていただけで。やはり今までの努力を考えたら受かってほしいのは山々で、本心は憧れの高校の制服を着たムスメの姿を見たい。

合格発表当日の朝を迎えたら、何度も伝えていた言葉とは裏腹に緊張が加速する。
ムスメはもうソファに座って画面の物理学者と新人刑事から目を離さない。受験生の間は封印していた映画だから、内容を知っていたとしてもゆっくり観たいよね。隣に座って余計な声をかけたら楽しみが半減しちゃう。
朝の家事も大方終わらせ、時間はある。本を読むにしてもこの気分では到底集中できないだろうから、全身から余計なものや考えを外に出すべく朝風呂を決め込んだ。
お気に入りのバスソルトを入れ、ゆらゆらと薄紅色に染まるのをながめ、ちゃぽちゃぽと心ゆくまでひとり贅沢な時間を堪能する。ゆっくりと汗をかきながら時間も気にせず何も考えず、体と頭の中をゆるゆるほどいて。

考えない、気にしない、なるようになるさ。

お風呂上りに身支度を整え、蒸気した顔でリビングに向かった時には8時30分を回っている。お茶を飲み、長湯で少しだるさのある体を休ませるようにぼんやりしていると、突然ムスメが焦り出した。
「映画、まだ終わる気配がない」
時計の針はもう9時を指していた。
「せっかくここまで観たんだし、この際だから途中で終わらず最後まで観たら?」
「あと30分はかかりそうだよ」
「まあ、いいじゃない」

時間ちょうどに結果を見なくてもいいと思えたのは、多分、お風呂で不安を流したからに違いない。早く見たら合格に変わっているわけでもないんだし、それに以前受験した学校の時みたいに、殺到しすぎてサイトが開かずすぐには見られないことだってあるんだから、少し時間をずらすのもありだと思う。

隣に座ってガリレオの続きを観る。途中でムスメのLINEがちょいちょい鳴る。普段クラスLINEはほぼ未読のままほったらかしているけれど、どうやら仲の良い友達から直接来ているみたい。ポチポチ弄ってはすぐに映画に戻る。

「誰から?」
「Nだった」
「なんだって?」
「受かったって」
「よかったね、第一志望だもんね」
「うん、今日はお寿司だって、お母さんめっちゃ喜んでるって」
「いいね、生ものも解禁だ」

学校も塾も一緒に通っていたお友達が合格していた。かわいいNちゃんのくるくる変わる表情とご両親の顔が浮かぶ。よかったよかった。
きっと仲良し家族全員で今頃泣いているんじゃないかな。

「あー受かってた」
「うん?今度は誰が?」
「私」
「…え?」
「合格しました」

あれ?合格ってこんなにあっさりしてるんだっけ、確かに小さなころからちょっとクールな子だけど、第一志望校の合格発表ってもっとなんかあるんじゃなかったの、例えば「受かったー」って叫ぶとか、感極まって泣いちゃったりとか。

あぁ、映画まだ終わらない、感じの悪い女の人ね、あー血が、ちょっと苦手な感じ、ストーリーが入ってこない、断片的に衝撃的なシーンが目に映る、ああ、もう無理だ、これ以上観れないわ。

あれ、落ち着かない、さっきまでと違う。合格した我が子にこんな時何て言ったらいいんだろう。

「あ、おめでとう。とりあえずお父さんとじじに合格の連絡しておいて」

合格、したんだ。
ちょっと混乱してる、映画はもうあきらめる、第一志望の高校合格、受験生の母卒業、これで終わったんだ、あー終わったんだ。
掲示板に張り出された受験番号に目を凝らすわけでもなく、パソコンの画面ですらない、小さなスマホの画面に羅列された数字の一部分だけ拡大して見せられても、あまり実感はわかないし感動は薄いのね。
だとしたら泣いたり叫んだりしないのも当然か。


去年の12月、窓を全開にし凍えるように寒い視聴覚室で行われた三者面談。顔をこわばらせた中学三年生の親子が入れ替わり立ち替わり着席、離席を繰り返す。
待機の教室で先生から名前を呼ばれる。
担任の先生から「先日、本人の意思は確認していますが、その後変更はありませんか」と志望校を問われる。
「●●高校です」
「ご家族の希望は?」
「本人に任せています」(今まで何度このことばを言ったことか)
「第2、第3希望は」
「●●、●●です」
「願書は今日第3まで書いていきますか」
「第3は書きません、ダメだった時に書きます」

意志は固い。言葉の一つ一つに一切迷いは感じられない。一体どうしたらこの強さが生まれるのか。誰が何と言ってもずれることのない軸は、信じる道があるからか。

「はい分かりました。では今日は私立第2希望の学校だけ書いていきましょうね。では2学期までの成績はこの通りです、部活の欄も間違いがないかよく確認してください」
2学期、期末ちょっとしくじったんだよねと言っていた気がしたけれど、数字よりも努力していた姿を思い浮かべてしまう。

受験生を2年続けて受け持った先生は慣れた様子で指導を行う。「第1志望の合格基準はここですね、だから、んーまだ達してないです。ちなみにもう一つの公立のグラフも見る?」

パソコンの画面ではもう一つの高校なら十分Aランクだった。

「今このランクを見て、何か変化はある?」
「ありません」
「だと思った。そこまでの気持ちがあるなら先生も何も言わない。第一志望に向けて頑張って」

安全よりも一縷の希望にかける。先生もこの先の努力を信じている、ならば親の私は不安を抱いても本人の意思と努力を信じるしかない。

信じるって軽々しく口にできない。
怖いんです、どんな時も態度で示せるかどうか、親の方こそ子に信頼される存在であるのか。肝の座っていない親は不安から疑って余計なことを聞いてしまうことだってある。
今までだってお友達が夜2時まで勉強しているなんてことを聞くと、勉強の量が足りていないんじゃないかってすぐ不安になる。
「勉強してるの?こんなに早く寝て大丈夫なの?」
「睡眠は質が重要なんだよ、夜遅くまでやって朝起きられなければ意味がないでしょ。試験は朝からだし」
目の前の状況に振り回されている親、生活リズムを整え、ゴールを見据えて行動するムスメ。
信頼される親でありたい、信じられる親でありたい、心を強く鍛えたい。

帰宅すると、「あと3か月あるから大丈夫。スマホ、受験の間預かって」と電源を落としたスマホを渡してきた。

スマホも封印するんだ、親の方がよほどスマホ脳だ。すぐ手元に置いてしまうスマホ依存を私こそやめないと恥ずかしいね。

食べることが大好きなムスメのために美味しいものを作って、家で顔を合わせるご飯どきはリラックスとストレス解消の時間になりますように。不安な顔は見せないで、受験当日に全てを出し切り当たって砕けろ。
母親にできることは体調を崩さないように、栄養と睡眠には最善の注意を払うだけ。その位しかない、あとは明るい顔で接すること。
特別なことなんて何ひとつできないから、たったひとつ笑顔が生まれるご飯づくりだけ。

あと3か月、信じて見守る。

親子で腹を決めた日のドキュメンタリー。脳内再生された映像がそろそろエンドロールに差し掛かる頃、ムスメの着信音で日常世界に呼び戻される。

「おめでとう、どんな学校かよく知らずに、近いから行けるといいねってプレッシャーをかけてたんじゃない?よく頑張ったね」
「ありがとう、送ってくれたチョコ食べて頑張ったよ」
涙声が聞こえ、互いに繰り返される祝福と感謝がムスメと私の心を大きく包み込む。
これでいいんだ、照れていても父親や祖父、祖母、叔母には素直にこれまでの感謝の意を伝えられる子に育ってくれた。必要以上に干渉せず静かに見守ってくれたことに対して感謝し、これからはもっと頑張りますと話す。人に対する感情の起伏が小さめだったムスメも、ここ数か月で今まで見せなかった一面が大きく顔を出し、成長を感じられるようになった。
母親にはどんな顔を見せてもいい。飾らない普段のままの姿を見せ、言いにくい部分は後で私に言ってくれたらいい。意見を求められたら私なりの意見を伝え、世の中には考え方も思想も、受け止め方も多様だと話したい。


その間に私もお世話になった方やお友達に報告。すぐに祝福の返信が多数届く。ふつふつと沸いてきた合格の喜びをかみしめ一通り連絡を終えると、中学の制服に着替えたムスメがこちらを向いて笑っている。

さっきあっさりしすぎてたから、もう一度やり直そうか、では
「おめでとう!」「ありがとう!」
番号が見つかり抱き合って喜ぶ親子のシーンを再現してみます。
何とも言えない気恥ずかしさが生まれ、ふたりとも笑ってしまった。

「じゃあ、Nと一緒に学校と塾に報告してくる」
母との祝福の時間はここまで、仕方ない、これでもやり直しが出来たから十分としよう。

「これでお母さんも高校受験生の母、卒業だね」
「お母さん、今日からは大学受験に向けて毎日ハンバーグでもいいよ」

ニヤリと笑って支度の続きをする。ここ1年、しばらくスタミナがつくものやお肉中心の料理でサポートしてきたけど、そろそろ野菜を増やしてヘルシーに移行しよう。これから毎日お弁当だから、少しラクしたいなと目論んでポロッと出た言葉の先を読んでの発言だ。

気持ちの切り替えが早く、後ろを向かない。
誰に似たのか、いや誰にも似ていない唯一無二の男前なムスメ。

次は憧れの高校生活。どんな友だちが生まれるんだろう、新しい人間関係を築いて母の手の届かないくらい広い世界に飛び立つ日を楽しみにしています。


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