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ドラゴンボールが教えてくれた大切なこと〜『DAN DAN 心魅かれてく文章』を目指して〜

気がついたら、30歳になっていた。

いつの間にか『少年』というカテゴリーから外れて『青年』というカテゴリーに属するようになっていたようだ。気持ちはそんなことはないと思っていたのだが、現実はそうではないらしい。

「昔はよかった……」過去をふりかえるようなことも多くなっていた。もちろん、今も楽しいことはあるし、歳を重ねなければわからないものある。

しかし、純粋さという概念が少しずつ減ってきているのも事実であった。

ただ、今でも小さい頃から変わらずに大好きなものがあった。

「ドラゴンボールである……!」

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ドラゴンボールとの出会いは、今もなお自分の人生に大きな影響を与えたのだった。

第一章 ドラゴンボールとの出会い

「1分だな……1分あればヤツ(魔人ブウ)を消滅できる気を貯められるんだな!」

主人公の孫悟空のためにベジータが魔人ブウの足止めをするシーンがあった。小さいながらも「とりあえず、ヤバイ状況なんだな……」ということを本能的に理解をしていた。

晩ご飯の時間は、テレビを観させてくれなかった家庭であったが、ドラゴンボールだけは、ご飯を食べながら観ることが許されていた唯一のアニメであった。当時5歳だった。

せっかくなので、ウィキペディアで放送日を調べてみたのである。


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1995年11月1日 (水)19:00〜19:30に放送していたのがわかった。
間違いない根拠だ。

夢中になりすぎて、何度もお箸を止めるほどクギ付けになった作品だった。それほどまでに、自分の心に焼きついた作品はない。
そして、物語の中で主人公の孫悟空が、強い敵が現れるたびに「超サイヤ人」という姿になり相手に立ち向かい、負けそうになったとき新たな力に目覚めてどんな敵にも負けない姿は、感動をファンを掴んだ瞬間であった。

「オラ、すっげ〜ワクワクすっぞ!」

この言葉が出るたびに、孫悟空のような存在に憧れを抱いたのである。
生まれてはじめて最初になりたかった「正義の味方」だったのだと思う。

第二章 ドラゴンボールが家族との絆をつなげた

小学5年生のときだった。両親がケーブルテレビを契約することになる。特に母親は電気屋の娘ということで、テレビを観ることに命をかけている節があった。そして、民放では放送されないドラマを隈なくチェックをしていた。実家のテレビの独占権は今でも母親が握っている。

興味本位で番組表をみていると、アニメしかやっていない番組
「アニマックス」を発見して、心が躍っていた。そんなときであった。

「ドラゴンボールZが放送されてる……!」
「毎週土曜日の18:00〜21:00までぶっ通しで放送してる!」

驚きと感動が一気にこみ上げてきたのである。

無理を承知で、両親に頼みこみ、土曜日のその時間だけドラゴンボールを観る時間を確保した。両親も最初は、気に入らない表情であったが楽しそうにしている息子を見ていたのか、少しずつリビングのコタツに集まりはじめ、父、母、弟がファンになっていったのだった。

そのときに放送されていたのは、人造人間(セル)編であった。

リアルタイムで観ることが叶わなかった自分が、世代を超えて
両親とともに同じ作品を観て、時間を共有することができたのだった。

しかし、それは家での出来事であって現実に流行っていたものは違っていた。

「ポケモン…!ゲットだぜ!」
「無限大な夢のあとの、なにもない世の中じゃ ……」
「ありったけの夢をかき集〜め〜!」

少年心をくすぐった作品はあったのだが、そのときのトレンドはポケモン、デジモン、ONE PIECEであった。当時の少年、少女の心を掴んでいたのだから今の自分も思い出すときは、大体この作品たちであった。

ドラゴンボールが好きと同い年に言っても、「たしかに面白い作品だな…」という感想があっても、ここの場面の「ベジータの言葉」や「悟空の言葉」は最高だよね!というマニアックなところを語ることはできなかったのだった。

「そうだよね……」と

そうして、一度ドラゴンボールが大好きだったという気持ちに蓋を閉めたのである。

第三章 ** #旦那観察日記 ** というイベントにてドラゴンボールの血が騒ぎ出す。

昨年3月のことである。大阪で #旦那観察日記 の書籍イベントがあった。
登壇される方は、はあちゅうさん、しみけんさんだった。
当時、はあちゅうさんのオンラインサロンに所属していたため、お二人の面白さとインスタのタイムラインに出てくるおさるさんの絵が、面白くて書籍も購入したのだった。

しみけんさんがドラゴンボールが好きということは、SNSで知っていたため、もしお会いする機会があるのなら、一度でもいいからドラゴンボールクイズがしたいと思っていた。そんなときである。

「このチャンスは今しかない!」すぐさまイベント予約をしていた。一瞬のうちにsold outになっていたのである。タイミングよく取れたことが奇跡であった。

お二人のトークショーが終わり質問コーナーになった。

自分はおそるおそるしみけんさんに質問をした。

「ドラゴンボールがお好きだということをネットで存じております。自分もドラゴンボールが大好きで是非ともクイズをしたいです。」と

まさかの展開であったのだけど、この場面でドラゴンボールクイズをしたのである。

クイズの内容はこうだった。

しみけんさん
Q「ラディッツが地球に襲来してきたときに戦闘力5のおっちゃんが乗っていた車の車種は何?」

A「え、全然わからないです……」 答えはシボレー

敗北を喫したが、自分も負けじととっておきのクイズを用意した。

ふみー
Q「魔人ブウ戦にてポタラで合体をしたときに2度と戻れないという設定でしたが、元に戻ってしまいました。その理由はなんだったでしょうか。」

しみけんさんもわからなかったらしく、両者引き分けという決着となった。

答えは、「界王神同士ではない合体は1時間しか持たない」でした。
(ドラゴンボール超で後付け設定)

ちょっとした時間ではありましたが、しみけんさんとドラゴンボールクイズをするという貴重なお時間を頂きました。

イベントが終わり、最後にお二人と握手をする場面があった。
しみけんさんに「髪型が界王神みたいやね。」と一言いただいたのであった。

「ありがとうございます!!」と

そして、イベント終了後のはあちゅうさんのインスタのストーリーにて、

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最後の最後までサービス精神を忘れないお二人の気遣いがあったのだ。
このイベント以降、積極的に好きなことは封印せずに発信していこうと、
もしかすると、ドラゴンボールが導いてくれたのかもしれない。

最後に

誰でも、SNSで気軽に発信でき世代を超えて様々な人と交流することができるようになった。「ドラゴンボールが好き!」と呟くと反応してくれる人もいて、自分よりも詳しい人にも出会えた。

また文章を書くたび、少しずつだけど文字数の射程も伸びて1000字がやっとであった昨年に比べて、現在は2000字程度の文章も書けるようになった。

もし、ドラゴンボールが実際に存在して願いを叶えてくれるのなら…

この記事を読んでから、岸田奈美さんがドラゴンボール の単行本全42巻を読んでくれることを願うだろう。

孫悟空も原作で「オラを強くしてくれ…」とドラゴンボールに願ったシーンはなかった。他力本願ではなかったのだ。強さだけは自分の力で手に入れたいから戦い続けている。

自分も読者を離さない『Dan Dan 心魅かれていく文章』を目指して修行をしている。生きているうちにその願いは叶わないかもしれない。

それでも、ドラゴンボールが教えてくれたことは、好きなものに純粋に楽しんで、夢中になって欲しいという鳥山明先生の願いだったのかもしれない。


FIELD OF VIEW 『DanDan心魅かれてく』


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