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「デジタル化時代の人間の条件 ディストピアをいかに回避するか?」 加藤晋・伊藤亜聖・石田賢示・飯田高

筑摩選書  筑摩書房

アレントの問題提起と概要と第1章

この本がアレントに依拠するのは、主に「孤立」の概念、社会からもそして自分からも孤立している、そしてその孤立している人々が全体主義を産んだとすれば、そこに昨今のデジタル化はどう絡むのか。
という問題提起の第1章の後、第2章で経済、第3章で法、第4章で格差、第5章で余暇を取り上げている。そして第6章では孤立と反対概念の政治(公共性での対話)について…ということで、この本のもう一つのテーマは公共領域と私的領域についてではないか。
とりあえず、これで第1章は読んだ。
(2022 05/15)

第2章 経済とデジタル化


プラットフォーム企業…企業と個人、個人と個人の交流の場を提供する企業…よって規模の経済により、大きい企業がより強くなりやすく、そこで「搾取」(スミス的「自由」な選択で行動するより少ない利益)が起こる←でも、プラットフォーム企業がなければそもそもそんなにいろいろなことできないとも思う)
マルクスの言う「不平等」は「結果の不平等」ではなく「機会の不平等」。
(2022 05/22)

第3章「デジタル化と法制度」


法制度には運用と規範の二種がある。法の運用に関しては、デジタル化することにより、透明化や機会の平等化が促進される(エストニアにはロボット裁判官がいる?ただいま休止中)。

法規範…人…「電子人」は契約の当事者となれるのか。不法行為の事例とそれ以外。

物…ヨーロッパとアメリカの「データベース権」の違い。ヨーロッパ(EU)ではデータベースからの二次創作物(創作性に欠けるデータベース)にも排他的支配権を付与。アメリカでは創作性があるデータベースのみ。一見EUの方がよさげだが、運用が煩雑になり、よってアメリカの方がデータベース産業が発達した。
関係…契約の自由度がデジタル化技術によって制約がかかる。

 スマート・コントラクト(契約の自動化)の導入は、契約を実現するための仕組み(例えば、信頼できる支払いシステムや相互の信用)が欠如している国では大きな利点となる。契約がろくに守られないような状況では、経済が発展することは望めない。信頼に足る取引制度の確立は経済活動の重要な基盤であり、デジタル化はその基盤を整えてくれると考えられる。
(p94)


この記述は、発展途上国の開発にとっての深い問題圏を示唆している…のとともに、逆に「契約」でない関係様式(モースの「贈与論」みたいな)の価値感を考えてみるきっかけにもなる。例えば、発展途上国における、電子マネーや携帯機器の導入と高い比率とか。

p101の図「情報提供に対する抵抗感」。自分が想像していたよりも抵抗を感じる人が多くだいたい7割くらい…そして最頻度はどの項目でも「10」すなわち最大に抵抗感を感じるという。先のような自分の予想は、前に読んだ「ポストプライバシー」から来ているので、このテーマについてももっと多く資料や本を読んでいきたい(他の参考文献は何があるのかな?)

この章での「アレントポイント」?は、「公的領域」と「私的領域」。私的領域にはアレントが財産と呼ぶ物、自分自身の位置、立場等も含まれる。それが、資本主義の過度の進行により、財産が富として「徴用」されていってしまう、というのがアレントの見立て。
ではどうすればよいのか。ここで提案しているのが「新しい公的領域の構築」。その性質2つ。
「公的領域における活動に参加しない自由」の保障。デジタル化によって、知らないうちに公的領域の活動に加担してしまう可能性が大きくなることも、逆に「アジール」を作り出して、「複数の世界」の確保をすることも、どちらもしやすくなると思う。どちらに舵を取るのか。
「人びとのあいだの対等性」経済力や地位とは無関係な、アレントの「政治」に近いようなこの目標に、デジタル化は大きな力を貸すことができる。ここでは人びとは積極的にその世界を構築していかなくてはならない。
という「公的領域」については第6章でまた深く論じているという。
(2022 05/26)

第4章「デジタル化と不平等」

デービッド・オーターのタスクの5つの分類
 1.非定型分析業務:研究、調査など
 2.非定型相互業務:教育、経営など
 3.定型認識業務:事務など
 4.定型手仕事業務:製造、農林水産など
 5.非定型手仕事業務:サービスなど
(p120)


アメリカではこの中で3と4の定型業務の人数が減って、それが不平等二極化に繋がっているという。本書では日本の場合はそこまで至っていないが、今後そうなる可能性はある、と述べている。

第5章「デジタル化と余暇」


成果の加速化…技術的加速、生活のペースの加速、社会全体の加速の3つのレベル。インターネットの利用などデジタル化は加速社会を招いているのかについては、どちらの立場からも議論がある。本書での独自調査での結論はこんなところ。

 生活時間意識に関する六つの項目のうち、デジタル化上位層と中・低位層のあいだで誤差の範囲とは言えない程度の差が検出されたのは、マルチタスクと生活時間の自律性であった。デジタル化が進んだ人のほうが、マルチタスク環境に置かれやすいと考えているのである。
 デジタル化は、忙しさとゆとりを同時に生み出しており、余暇に対して両義的な影響を及ぼしている可能性がある。
(p179)

第6章「デジタル化時代の倫理」


まずはアレントの言葉から。

 人間とは、自然のものであれ、人工的なものであれ、すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在である。そうであるとすれば、人間は、機械を作った途端に、機械の環境に自分自身を「適合させた」のである。
(p202)

 こうしたなかで、デジタル化時代の人間の条件は、一人ひとりの人間に、接触面からの退避を認めることを倫理的に要請すると同時に、自分自身の選択によって、再び対等なかたちで復帰できることを要請する。人間の接触面となるところの「活動」領域からの退避可能性条件と対等復帰条件の二つを入念に調整することによって、デジタル化時代のディストピアに陥ることを回避できるのではないだろうか。
(p223-224)


本当にこの二条件だけでいいのか、という気はするけど、それはまだ他のアプローチで付け足していくということだろう。それはともかく、ここでの論点については、その接触面が複数あること、「公的」と「私的」領域の混合化に対して然るべき時には区別をつけるということが、重要なのだろう。

補論では、「破産者マップ事件」(破産者のデータ自体は官報などで公開されているが、ウェブ上でマッピング表示したサイトを公表したところ、それは「違法」となった)。ここでの「公開」のさまざまなレベル付けの対策は、先の複数社会化の一例でもあるのだろう。
(2022 05/27)

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