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すばる2022年8月号…シルヴィア・プラスのもう一つの短篇(五大文芸誌も読んでみよう…その2)

五大文芸誌…文學界(文藝春秋)、新潮(新潮社)、群像(講談社)、すばる(集英社)、文藝(河出書房新社)

これら五大文芸誌(以外の文芸誌も)の過去号を図書館で借りてきて、読んでみる企画(と言えるのか)。
読むのはもとより存在自体も知らなかった…というテイタラクな海外好き日本文学苦手な自分も、少しは今の日本文学シーンの一端の端っこくらいは味わないと…

と言いながら、またもや読むのは海外文学ネタではないか…


海外文学ネタはシルヴィア・プラスの未邦訳短編「ザ・シャドー」と柴田元幸×小林エリカ対談

とりあえず対談。柴田元幸と小林エリカの「今日、シルヴィア・プラスを読むということ」。
小林氏は「アンネ・フランクの日記」やウルフの「ダロウェイ夫人」と並んで、プラスの「ベル・ジャー」が好きだという。一方柴田氏は2010年頃までは当事者でないもの、女性ではないものがプラスを訳すべきではない、と思っていたらしい。それがここ10年で好きなものは何でも訳すようになったという。
「ミスター・プレスコットが死んだ日」という作品は、知人の男性が亡くなって葬式にきた「あたし」が、知らずに故人が最後に使っていたグラスで水を飲む。

 死ってそんなに遠いところじゃなくて、グラスに口をつけるだけですぐそこにあるものなのだとあの文章を読んで思いました。
(p177)


小林氏の発言。
柴田氏は短編集に「五十九番目の熊」か「ザ・シャドー」どちらを入れるか悩んで、結局前者にした。このすばる2022年8月号では「ザ・シャドー」の方が読める。
(2023 05/07)

というわけで「ザ・シャドー」
読んだのは昨日。
対談両者が言うように、ラストの母と娘の対話が印象的。アメリカの第二次世界大戦当時(直前?)、語り手の娘の父はドイツ系(グダンスク回廊出身)。で収容所に入れられる。ある程度はプラスの体験踏まえている(上の水を飲むシーンも実体験らしい)。いつもの日常に実は空いている様々な穴を、そこから覗き込んでいる感じ。なんかこんな比喩前他の作家で書いたような…
(2023 05/08)


「ユリイカ」とか「現代思想」とかもこっちに載せてみる? それともまたコーナー変える?

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