見出し画像

「中世の四季 ダンテ『神曲』とその周辺」 平川祐弘

河出書房新社

読みかけの棚から
読みかけポイント:ぱらぱらと?

ダンテとボッカチオと十字軍


平川祐弘氏の「中世の四季 ダンテ『神曲』とその周辺」を図書館で借りてきた。
もともとは1981年の出版で、ダンテ「神曲」にまつわるいろいろな随筆をまとめたもの。書き下ろしもあり。塔の町サンジミニャーノから始まり、和魂洋才の人らしく日本文学者の話もちらほら。
ざっとめくってみて自分的に興味深かったのはダンテとボッカチオと十字軍の章。前に読んだ「聖王ルイ」のジャン・ド・ジョワンヴィルの話も出てきて、ジョワンヴィルやボッカチオの時代にはイスラームなどの異文化と折り合ったり交渉したりすることのできる人々も出てきたのに対し、その前のダンテにはキリスト教世界観から離れられなかったという。
ダンテの場合、フィレンツェと敵対するピーサ始めとするイタリア都市国家にもかなり直接的な悪口を書いてもいるのだが、そういう人物が世界文学の粋を著したというのも、これまた興味深い。
(2016 02/21)

煉獄篇第一歌

今までのところでは、ダンテは法王派と思われるけれど、ドイツから皇帝の南下を待っていたり、まだまだこの時代のことは自分にはよくわからない。
「神曲」でよく出てくるのは「地獄篇」で、後はそれに比べるとそうでもないのか、と思っていたけど、そうでもないらしい。煉獄篇第一歌は地獄の底から煉獄の島に出たという「転調」の部分が一番美しいと平川氏は言う。

  より良い海を馳せゆくために
 私の詩才の小舟はいま帆を掲げて
 あの残酷な海を後にして進む。
 私は歌おう、人間の魂が浄められて
 天に昇るにふさわしくなる
 この第二の世界を
(p61)


(2016 03/06)

詩の翻訳の話題


英訳ダンテと伊訳シェークスピアでは前者の方が優れる傾向にあると平川氏。ダンテとシェークスピアという違いもあるけど、詩を翻訳する際に、後に形成され流入した翻訳語の割合が多い言語(この場合英語)の方が柔軟性高く機能する面があるという。
同じ理由で中国語より日本語の方がいろいろな(近代化の時に流入する様々な新しい概念等)ものを取り入れるのに適している。言語の後発効果とでも言おうか。全てこれで説明しつくしたらばりばりの言語決定論になってしまうけど。
(2016 03/17)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?