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「事実・虚構・予言」 ネルソン・グッドマン

雨宮民雄 訳  双書プロブレーマタ  勁草書房

読みかけの棚から
読みかけポイント:要約と解説だけ? この本「グルー」のパラドックスで有名だけど、そこまでいってない…

グッドマンの大まかなメモ


というわけで、「事実・虚構・予言」について、少し後の参考にするためのメモを。「事実・虚構・予言」(現在・過去・未来?)。
反事実的条件法(もし…だったら…するのに)・素質(人や物に備わっていると思われている傾向)・帰納法(グルーのパラドックスはここ)についての考察。
素質のところなど、心理学の行動における内的要因(素質)か外的要因(環境)かなつながりそうなテーマだな。訳者雨宮氏も解説の文章ちょっと読んだだけでも興味深いと思わせる人だから調べたい。
(2015 01/17)

風景に取り込まれた未来


「事実・虚構・予言」の訳者による要約と解説読んでみた。訳者雨宮氏は「これだけ本がたくさん溢れているのだから、著者は要約をつけた方がよいのでは」と書いている。カルナップも同じ嘆息を記しているとか… さて。

 たしかに、未来はどうなるか全くわからない空白地帯である。しかし、その空白の部分を、われわれは、今、この瞬間の風景に取り込んで、すでに見てしまっている。経験できるはずのない、先のことを、われわれは、現在の風景のあり方の中に現実化しているのである。
(p204)


くどいけど訳者解説の雨宮氏の文章。未来というか未知のもの全体に対しグッドマンは投射という戦略をとっていると考える。類推解釈と帰納の仮説の確証度合いの推定。仮説はあくまでも仮説、反証される可能性あるだろ、で止まる?のがポパーだとすれば、そこからどの仮説が有力か決めるのがグッドマン。正しい説は断定できないけれど。 この解説は分かりやすくてためになる。
帰納法の有効性の説明で、カルナップとライヘンバッハは確率を導入。前者は間主観的確率を後者は頻度説をとる。後者について、例えば降水確率がいい例だけど、どこまでデータを集めても切りがなく、それ以降全くでたらめになる可能性だってある。だから降水確率予報は外れることから免れている(これまでの頻度の累積に過ぎないし、確証もとれない)。
これについてライヘンバッハは「切りがないことが証明できない以上、頻度説に従うしかない」と言っているらしいが。 一方、ブラックとグッドマンは帰納法の問題というその問題の立て方に問題があるのでは、と考えた。ブラックは帰納法と演繹法は違うものだから、違うものを両方演繹法で証明しようとしても無理という。けれど雨宮氏はそういう論の運び方(言語分析的手法)は日常言語のレベルへ議論をぼかすだけに過ぎないと退ける。その退け方が微笑を誘うので、最後にそれを。

 少なくとも私の考えからすれば、言語分析的手法は、哲学の土俵では封じ手なのである。こっそり使ってもらわなければ困る。
(p222)


(2015 01/18)

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