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「即興演奏 ビュトール自らを語る」 ミシェル・ビュトール

清水徹・福田育弘 訳  河出書房新社


ビュトール自作の即興演奏


「心変わり」に続けて、「即興演奏 ビュトール自らを語る」清水徹・福田育弘訳を読む。

1990年-1991年、ジュネーヴ大学文学部教授の定年による最終年に行われた公開講義。今までにアンリ・ミショー、ランボー、フロベール、バルザックなどの連続講義(「・・・即興演奏」というタイトルの)を大学で行なってきたビュトールだが、自作については全く語ってこなかった。最終年は同僚たちの要望により自作と自分の経歴についての「即興演奏」ということになった。この講義がメインであるが、中には第六章のように中国で「心変わり」が翻訳された時の文章とか、テープ録音不調のため、別会場の公園を参照したところもあるという。

第二次世界大戦終了時に高校生から大学生だったビュトールは、それ以前の年代の人々のように「戦争以前の良きフランス文化」の再来を待ち望むのとは違って、その記憶がないせいで全く新たなものが立ち起こってくると考えていた、という。やがて政治・哲学と文学にそれぞれ引き込まれ、「半分はサルトルに、もう半分はブルトンに」頭が占領されるという状態だったという。

 壁は崩壊してはいたけど、街のまんなかで崩壊していたことが多くて、なおも前に進もうとする妨げになった。かつて通った道を通ることはもはや不可能だったのです。
(p19)


次はこの頃の詩、後に「へスペリスと鰊」という標題に取り込まれた、都市と鼠の詩についての文章から。

 このテクストには登場人物がひとりいます。一匹の鼠、私たちの都市で生きている動物なのですが、都市にはいつもすくなくとも人間と同じ数だけの鼠がいる。人間の文明があれば、その文明は鼠の集団によって二倍に膨らんでいることになる。鼠たちは一般に地下に住み、どぶのなかをうろつき、夜になると姿を現わす。それは、私たちの生活の下で営まれるうごめく生活なのです。あらゆる種類の病気、とくにペストを運ぶことが知られているので、とりわけ忌み嫌われている動物。と同時に、研究用の動物、実験用の動物で、迷路のなかに入れて道筋を学ばせたりする。とりわけ興味深いいくつかの観点から見た人間の隠喩、それが鼠なのです。
(p42-43)


確か、「時間割」には鼠が出てきたと思ったけど(違った?)・・・
それからこの時期の詩を「友人たちがとっておいてくれた」とあるのだけれど、その友人のうちの一人がリオタールだという。リオタールの「異郷入門」にはビュトールを論じた章がある。

「心変わり」とユリアヌス

「心変わり」と関連する第6、7章を先回りして読み、その後で第3章に戻り「エジプトの机」まで。

 この哲学(現象学や実存主義)がすくなくとも私に教えたのは、文学は哲学にとって大変に重要であり、困難な問題を解決する最良の手段の一つは、問題が提示される方法を描くことだ、ということでした。
(p50)


ユリアヌスについて。「心変わり」のレオン・デルモンはユリアヌスの「書簡集」を作品中で読んでいる。ユリアヌスはルテチア(パリの古称)で即位した。

 ユリアヌスのほうは、古い神々への崇拝を復活しようと努めることで、いわば最初の「ルネサンス」を実現しました。教会の忌み嫌うこの人物は、何人もの大胆なフランス人作家たち、とりわけモンテーニュとヴォルテールの心を捉えました。この皇帝はいわば古代ローマの終焉を象徴する人物ですが、しかし古代ローマそのものは、私たちの生きる現代の示すあらゆる姿の奥に、いまなお生き延びているのです。
(p116)


作品内の「本」はここではユリアヌスからのメッセージ、ローマ帝国と異教の神との対話の本…ということ。

 自動車を運転する人は道路を見つめていますが、鉄道の旅行者は流れゆくパノラマを眺めているわけで、これが歴史を考察することの隠喩として用いられる。自動車を運転する人の風景は、過去をうしろにして未来へと突き進んでゆく私たちの現在の隠喩です。鉄道の風景にそって進んでゆく私たちは、そういう風景に対して、ふだんよりはるかに大きな自由を感じる。
(p124)

 日常生活では、ふつう私たちは、しきたりから強制されて、ただ一つの意味だけを用い、他の意味は排除しています。ところが作品の標題では、作家は語の異なったさまざまな意味を寄せ集めて、その語をいわば一つの謎として提示し、そして読書過程が、一般に語というものは曖昧なのだという根拠に立って、謎をすこしずつ解いてゆき、日常生活で私たちは語のいくつもの意味を切りはなしているけれど、実際はそれらの意味が一つにまとまっているありようこそ正当なのだということを私たちに理解させたくれるのです。
(p137)


作品のタイトルは、その語が持っている全ての意味を含み持つ。
(2021 09/13)

第8勝「大西洋横断」

 何かある芸術作品というものは根本的には共同制作によるもので、制作責任者は、そうした共同制作の過程でやがて多少とも表面に登場してくるにすぎないという事情を理解したときから、ある別種の作品群が、とりわけ都市というものが批評の対象として浮かびあがってくる。
(p147)


 …インディアナ州に着くと、なんということか! そこにもまたスプリングフィールドとマンチェスターがある…
 このようにたえず回帰するこれらの都市や小都市の名前を、私はいわば低音部のようにジャズ音楽におけるコントラバスのように用いようと試みました。風景のなかでたえず回帰するこれらの語が、私自身の作品のなかでも繰り返し現れるようにしたかったのです。
(p154)

さすが、即興演奏…
マンチェスターは「時間割」の舞台。スプリングフィールドは…

第9章「基盤状組織」

 しかし、飛行機のクロード・モネはまだいままでのところいない。
(p159)


別のところでポロックはインターチェンジの丸を描き、クレーやモンドリアンはアメリカの中部の直行する街路を描いた、だからポロックやクレー、モンドリアンはアメリカでは決して抽象画家ではない、という。そのアメリカ中部の「長方形の区画のなかに長方形の住宅があり、その中には長方形の机がある…という書き方は、ササルマン「方形の円」を彷彿とさせる。
(2021 09/14)

第10章「パリにおける心情の間歇」

 じつは彼らはとても驚いている、自分たち自身の内部で、この沈黙がしだいに厚みを増してゆき、まるで酸性の白い靄が、日常のこまごまとした心配事からくるくだらない悩みをいくぶん洗い落としてくれるようであることに、
(p186)


「土地の精霊」第二巻(第三巻?)から。これを書いた時、ビュトールはアルバカーキにいて、そこから見える山の景色を富嶽三十六景のように見立てて、パリからアルバカーキへ、そしてまたパリへと戻ってくるイメージによる地球周遊をしている。
酸性雨はこの時期からあったのかな(たぶんあったのだろう)。

 すべてが黒で書かれている地域は、私が赴く地域の外部、私が訪れていない地域、神話的なアフリカ、まさしく黒い大陸で、そこでは特に私に係わりのあるある鳥、私のトーテムである「ビュトール」という鳥のまわりで、動物たちが蠢いているのが見え、その音が聞こえる。
(p196)


続いては「ブーメラン」という作品。前回の「土地の精霊」では南半球が抜け落ちていたことに気づいた作者は、今度は色(文字色?)までを駆使して周遊する。オーストラリアは赤、アメリカ合衆国は青、そしてアフリカは黒。その他の地域はその三色の組み合わせ。
ちなみに「ビュトール」は鷺の一種らしい。あとはブーメランは確かオーストラリアアボリジニのものだったんだよね?
(2021 09/15)

第11章「旅すること」

 アメリカ合衆国への最初の旅行で、この旅のあいだじゅう、私はヨーロッパ人にとってありうる未来、-そこには良い面もあれば悪い面もある、見習おうと試みてもいい面もあれば避けようと努力してもいい面もある-そんな未来のなかで旅行しているという印象を抱きつづけました。
(p200)


最初のエジプトとこのアメリカ合衆国の他にビュトールに「決定的な影響」を与えた国が二つ。日本とオーストラリア。あともう一度行きたいのがメキシコ。

 オーストラリアとは転倒した地理なのです。他方でそこは、他の大陸の自然と根本的に異なる自然をもった国でもある。いわば地球のなかにある別の天体なのです。
(p202)

 南半球では今日でもなお、自分を、北半球の転倒形と見なしている。人びとが自分の位置はずれているのだと感じている奇妙な半球と見なされているのです。
(p206)

 つまり、南半球それ自体が、そこの住民にとって「月の隠れた面」なのです。
(p207)


日本についてはまだ考察を始めたばかり…とある。最初にビュトールが来日したのは1966年。それ以来講演を数多く行い、それをまとめた本も出ているのに。

一方、「不在」となっている地域もある。それが「東側」の諸国。この本の元になっているジュネーヴ大学の講義が1990年シーズンのものであることに留意。中国は「蓋をしてしまった」、東欧はブルガリアや旧ユーゴ、チェコなどに行ったのだが、時間の止まった印象しかなく、唯一見えた動きも「プラハの春」で潰えてしまった。ビュトールのこの後の旅はどうだったのだろう。
(1993年、中国のロダン展覧会のためのビデオ作品作成のため、ビュトールは中国を訪れる(そのシナリオをビュトールが書いた))。
…ビュトールの旅と作品年表見たい…できれば自分で作成してみたい…
(2021 09/16)

第5章「霧のなかの光」

ペンディングしてた分。

 私たち自身が時間のなかの出来事を物語っているとき、それと気づかぬうちに、時間を反転させているのは、じつによくあることで、時間の物語の内部で時間は反転するものなのです。
(p91)


バルザックは、誰かに初めて会う時は、その相手の一時点で会うわけで、そこから過去に遡及して調べていく、だから物語内に逆行進行は普通にある、と言っている。

 一般に、作家は最初に登場人物を決め、それから語りの構造を決めるのではありません。作家は、語りの構造をすこしずつ明確なものたらしめてゆき、そうした語りの構造の進展が人物たちの登場を命じてくるのです。
(p94)


興味深い指摘だけど、「一般に」と言えるのかどうかは現時点での自分にはよくわからない。

 もしかしたら、いつの日か、ビュトールはビュトールだったんだ、と言われるようになりますかな
(p98)


これは、「フランス語の文章は明晰さのため、短く書くべし」という伝統というか決まり文句みたいなものを言ってきたゴンクール賞審査員の老人に言った言葉。プルーストは長い文章を書いていた…プルーストはプルーストだからね。サン・シモンは長い文章を…サン・シモンはサン・シモン…
ということで、この第5章は「時間割」についての章。鼠描写は本文ざっと見たときには見つからなかった。
(2021 09/17)

第12章「さまざまな言語からの贈り物」

…言語論、翻訳論と前章に引き続いての山場かも。注と何度も往復し、また1990年代初頭という年代も考慮(ヨーロッパ共同体の記述や、自作の自身による翻訳など)に入れて。
印象的な3つのエピソード。

エピソード1
スペインで始まった国際文学賞「フォルメントール賞」。この賞はフランコ政権に明確に反対していた、ので、当時はスペイン外で選考を行なっていた。そこにはいろいろな地域から来ていて、スペイン人数人がカタロニアの作家を推薦した。そこにノルウェーの人が「地方の言葉には興味がない」と発言したらしい。そこでカタロニアの人が「カタロニア語の話者はノルウェー語の話者より多い、運良くノルウェーがデンマークから独立していなかったら、ノルウェー語の方が(注目すべき作品はあるが)よほど地方の言葉だ」と発言したという。

エピソード2
「心変わり」とこの「即興演奏」の訳者である清水徹(作品内に明記されている)がパリにいた時、当時ニースにいたビュトールが「「心変わり」を翻訳した上海の中国人女性がいるから紹介しよう」とその人がいたパリの小さいアパートに行き、そのアパートに住んでいた中国人声楽家と一緒に中華料理をご馳走してくれたという。ビュトールはのちにもう一人北京の「心変わり」翻訳者を紹介してくれた。上海の人は中国に呼び戻されたという。
さて、先のアパートに呼ばれた時、清水氏はビュトールに「日本語に翻訳するより中国語に翻訳する方が難しい」と言ったらしい。ビュトールはそれに対し、どちらも同じくらい難しいのでは」と答えたらしい。実は今でも(この翻訳が出た時点)清水氏は日本語の柔軟性がこの作品の翻訳には合うと考えているらしい。

エピソード3
アポリネールについて。ビュトールが前に挙げているアイルランドのジョイスやベケットの場合とは方向性違うような気もする。アポリネールの母は実はポーランド人。かつこの母という人がドイツ皇帝崇拝者だったらしく、息子アポリネールにヴィルヘルムという洗礼名をつけたという。のちにアポリネールはフランスに渡りフランス人になろうとし、ヴィルヘルムをフランス語のギヨームにして「アポリネール」と名乗ったという。
またアポリネールは、そういう出自のせいか、国立図書館でフランス中世のテクストを読みフランス語の歴史と地方的特性を学び、また現ベルギー領東部のマルメディーとヴェルヴィエのフランス語方言のワロン語を、自作の小説に取り入れたりしている。ビュトールが「味のあるフランス語」としているこのワロン語の地域、この間購入した「旧ドイツ領大全」?の第8章の場所として取り上げられている。
おまけ:英語は、ゲルマンのサクソン語系統と、ラテン・フランスのノルマン語系統が合流してできた言語。ビュトールによれば、英語作家の中には、これらの系統のどちらか一方のみを意識的に使っている作家がいるとのこと。こういう視点もなかったなあ。

 私のテクストのいくつかについて私よりはるかによく知っている翻訳者が何人かいます。…(中略)…彼らは、何かある異なった光を私のテクストに投げかけて、私自身のうちにひそむさまざまな地下道や抜け道を私にあばきだしてくれるのです。
(p225)


「心変わり」の「きみ」とセシルのローマ彷徨もこうした要素を含んでいたと思うけれど、ビュトールにとっての感覚がまたビュトールらしい比喩で書かれている箇所。

 フランス語をその特質のあらゆる面にわたって用い、フランス語の可能性をもっとも多く探索しようと努めている。
(p226)

 言語とは歴史的な建造物であり、文学テクストの根本的な在り方の一つは、言語の歴史的なさまざまな段階を使用しているという点にあります。現在街角で耳にする話し言葉に、私たちが子供時代に厳しく教えこまれた華やかで優雅なところのある古典的フランス語を、さらには古風な用語や表現を混ぜ合わせたもの、それが文学テクストなのです。テクストの内部には時間が流れて、テクストについて、見たところ単一に見える言語の内部にも、多言語的現象がすでに存在していることを明らかにするのは容易なことなのです。
(p229)

 私たちは一冊の書物をけっして「読みきる」ことはないのです。
 現在の文学のむずかしさとは、私たちの生活のむずかしさそのものにほかならない。
(p236)

続く2章は美術に関する章

 絵画に関する言説に否応なくつづくのが、絵画の横に貼りつく言説であり、この言説は絵画と重層化する。その言説がどれほど控え目であろうとしても、やはり絵画に働きかけてしまう。逆にどれほど積極的だとみずからわかっているような言説であろうと、それでも、その言説が、いわば焔と化して絵画というこの燃料のようなものを燃やしつくそうとしながら、そのなかに焼尽しえぬ何ものかを残してしまう。
(p254)


ビュトールは画家と協力しつつ、1ページあるいは見開き2ページの中に、絵画的イメージよテクストのイメージが同時に提示され双方が互いに作用しあう、リーヴル・ダルチストという作品を10作ほど作っている。
(2021 09/19)

読了とそこから始まる実験


第15章「文学と音楽」

 ラジオのための楽譜、演劇のための楽譜、想像上のラジオや演劇のための楽譜。ポリフォニーという形態が私たちに新しい文学の在り方を教えてくれます。しかしまた、音楽を聴くことで、私たちは小説自体の新しい読み方を教わるし、じつに豊かではあるものの、あまりに普及しすぎたために今日衰退しつつある小説というこの文学形式について、そのいくつかの根本的な側面が開示されるのです。
(p310)


さすが、即興演奏(2度目)…
小説という芸術形式は、その中でも貪欲に隣接分野を取り込んでいく。

第16章「夢の学校」

 このように抑圧されたものは、すべて、闇のなかにとどまり、私たちの意識に呼び戻されたいと願っています。私たち自身のある部分全体、一時的に排除されたある豊かなものの全体が、私たちのコントロールを逃れてひそかに命脈を保っているのです。こうして、私たちが気づかないうちに別の言説が生まれる。私たちが抑圧した意味は、私たちが抑圧した欲望と結びつく。これが特に夢のなかに現れてきます。
(p316)

 下心があることを、フランス語では「頭の後ろに考えがある」と言います。これは、私たちが人前で、ある言葉を、ふつうに認められた意味とは違った意味で使ってみたいという誘惑にかられたときに私たちが抱く感情をよく表わしている。
(p321)


普段とは違う意味で使いたいという衝動が、性行為も含めた抑圧からの解放と通底している、というのは指摘されるとよくわかる。
ビュトールは今(もちろんこの講演時点)でも、講演を失敗する夢を見るという。パーティを一時離れて海岸を散歩して戻ったら、別のビュトールが既にいて、「彼に給仕しなさい」と言われるとか。また声が出なくて涎を垂らすだけで、招待客から招待状を丸めて投げつけられたりとか。

第17章「人生を変える」

 現在機能しているような政治的な文学ジャンルは、しだいに不充分なものであることがはっきりしつつあります。それは社会を保持するにも、変化させるのにも成功していない。
 したがって、私たちにはこのシステムを補うもの、カーニヴァルの一般化が必要なのです。
(p336)


…というわけで、ミシェル・ビュトールが自作と思想を語った「即興演奏」を読み終えた。昨日読んだところなど、洞察の深さと実験性の鋭さにおいて、自分の読んだ中では多和田葉子の岩波現代文庫「エクソフォニー」と並ぶものがあった。濃い作品が続く…
(2021 09/20)

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