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「民衆のイスラーム スーフィー・聖者・精霊の世界」 赤堀雅幸

異文化理解講座  山川出版社

預言者祭とハラールチャイニーズと悪霊信仰


というわけで、「民衆のイスラーム」。
預言者祭は聖遺物信仰を中心にインドでの実際を実況中継しているみたいで楽しい。こういうの見るとキリスト教と底辺ではほとんど変わらない印象が。
インドネシアのハラールチャイニーズはイスラーム教徒の新しい感覚(ハラールはムスリム用食材での料理。豚肉等いろいろな食材使う中華とは本来合わないはずなのだが…)
悪霊信仰はオマーンから。浮気やら何やらで相手に悪霊をとりつかせる聖霊師。これも本来の教義とは合わないはず。悪徳業者も多いけど、何らかの効果が上がっている事実もある。
(2015 09/09)

「民衆のイスラーム」はエジプトの古今マウリド(預言者生誕祭)巡り。縁日みたいな感覚でなんだか著者自身が楽しそう。見世物小屋なんてベンヤミンが喜びそう…
(2015 09/11)

イスラーム圏の聖霊(ジン)信仰さまざま


「民衆のイスラーム」から第4章。イスラーム以前からあり、また「千一夜」などでも出てくる聖霊(ジン)は、今もさまざまなところに入り込んでいる。日本の憑きものなどにも似ている。アトラス山脈中腹にある聖霊の王なる聖者(実在したかどうか不明)の聖者祭や、モロッコの聖霊と結婚したという男の話、ザールという聖霊に憑かれた人々の集会みたいなものなど。

一番最初のは今かなり衰退してきている信仰であるとか、ザールの出席者の中には実は全く関係ない人もいて、その人はザールに出ていることを回りに認知してもらうことにより少しくらいハメを外しても許されることを狙っているとか、面白い指摘多かった。
初めの聖者祭の映像「聖者たちと聖霊たち」、二番目のクラパンザーノ「聖霊と結婚した男」(精神分析的にも興味深い…実験的民族誌)、チュニジアでこの分野の研究をしている鷹木氏の「北アフリカのイスラーム聖者信仰ーチュニジア・セタダ村の歴史民族誌」などの本も参考にしたい。
(2015 09/12)

邪視と民話


「民衆のイスラーム」第5章はトルコ黒海沿岸の村から。トルコのお土産としても有名な邪視よけお守りは実は都会バージョンで、田舎の村では亀の甲羅とか家畜の頭蓋骨などを利用するとのこと。邪視は主に子供、特に同い年の子供が危ないということで、生後5か月くらいに村の同い年合わせて唾つけあって義兄弟化させれば大丈夫らしい、とのこと。

この章のいろんなインタビューの話見てると、確かに「民話の創造」の場という感じがする。それは調査者たる著者もきっかけとなっているのでは。調査だけでなく、ただ通りがかった旅人でさえも。とにかくなんか遠野物語或いはガルシア=マルケスという世界観。
この邪視信仰はトルコだけでなく地中海全域に広がっている。唯一神信仰誕生以前からあるものなのだろう。
(2015 09/14)

「民衆のイスラーム」から「イスラームのポップ」へ


第6章は人物表現とイスラーム。意外にも民衆レベルでは、例えばイランではアリーやフセインとかばかりではなく、時には使徒ムハンマドも具体的に描かれることがあるという。

最終章では、まとめとして12世紀頃までは民衆まで深くイスラームが浸透していなかった(非改宗者も多くいた)古典期、12~18世紀くらいが東南アジアやサハラ以南アフリカなどへの広がり、民衆全体への浸透と重なりここで言う民衆のイスラームが発展する時期。その始まりは例えばアンダルシアにおける不寛容時代の始まりと一致するし、全体を通してみれば成熟から停滞へとイスラーム社会が推移していく時期。それ以降は衰退期…西欧的近代化や原理主義的な影響、そして何より民衆自身がこれまでのこうした信仰を疑ってきているのでは、という。それは例えば第4章のモロッコ、第5章のトルコの記述に出てきた。
…でも、「イスラームのポップ」なる続編?には期待…
(2015 09/15)

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