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「イスラーム教「異端」と「正統」の思想史」 菊地達也

講談社選書メチエ  講談社

イスラムの場合、ハワーリジュ派やシーア派のような「異端」(少数派)から教義や歴史解釈が成立し、「正統」であるスンニ派はそれらを反駁しながらやや遅れて教義を成立させてきたこと。
また、どちらの側の教義においても、それらの解釈をそのままムハンマドの時代や正統派カリフ時代の真実ととるのは危険である、ということ。そこら辺り。
(2010 07/25)

シーア派


イスラーム最大勢力のスンナ派に対しては少数派のシーア派。シーアとは「派」という意味なので、「派派」ということになるが、その中に更に派閥がたくさん。
カイサーン派・ザイド派・イマーム派…現在のシーア派はほとんどイマーム派の部類(これまた中に派分けが…)なのだが、さて。

結局大雑把に言ってしまえば、誰の系譜がイマーム(シーア派最高指導者)の地位を継ぐか、というところで別れている感じ。で、闘う人の系譜のザイド派に比べ、現在主流のシーア派であるイマーム派は学究的な人物の系譜だとか…今まで自分が把握していたシーア派のイメージとはあんまり合わないような…あくまでイメージが…

他の派からの批判としてでっちあげられた噂もあるので充分考慮しなければならないのだが、中には輪廻転生を教義にした派もあるとか、ないとか…イスラームとは全く違うような…
(2010 07/30)

アッバース朝からファーティマ朝の時代


シーア派の力を借りて成立したアッバース朝の成立の仕方は、ファーティマ朝の成立の仕方と(スンナ派とシーア派の違いはあれど)似ている。

アッバース朝初期にはシーア派に対する弾圧が強かった。成立時はシーア派イマームから後任とされた、と喧伝していたが、後に預言者ムハンマドから指示されたと移り変わった。

だんだん社会が落ち着いてくると学者達ウラマーの力が強まってくるが、マアムーンというカリフはそれに対しカリフの超越性を示そうとしてミナフという異端尋問所(イスラムには珍しい)を設置。が、勝った?のはウラマーの方。彼らは後にスンナ派の4大学派と2大神学派と呼ばれるものを作り出していった。

10世紀には十二イマーム派のブワイフ朝がバクダードを占領。カリフは傀儡化した。同じ頃ファーティマ朝(イスマイール派)もエジプトを中心として成立。バクダードやカイロの多数派スンナ派の人々は、シーア派独特のむち打ちなどの祭礼をどうみたのだろうか?

ファーティマ朝のヌウマーンやキルマーニーといった思想家は、イスマイール派のメシア思想・終末論などのシーア派的思想と、ファーティマ朝の存続という現実的要請の間の調停をした。一方、それに飽き足らない「極端派」はドゥルーズ派などを生み出していく。
彼らは最終的にはレバノン付近の山岳部に閉じこもって、独自の教典、人々は輪廻転生し最後までドゥルーズ派に留まったもののみが救われるといった選民思想をも持つようになった。イスラムには教皇のような存在も異端尋問所も(先の例を除けば)ないため、様々な派がモザイク状に、異教も含めて存在していた。

イスラームの近現代

近現代になると、そうした状況にイスラム原理主義が台頭してくる。原理主義とは言っても実際には近現代の状況に合わせたバリエーション。その先駆けとなったのがワッハーブ派。それから現代に至るまで原理主義が政治の実権を握っているところが多い。
そこで浮かび上がってきたのが、モザイク状に存在していた少数派の宗派の人々でサウジアラビアやパキスタンなどでは圧力がかけられているという。

著者の菊地氏は、専門はイスラム思想史の中でもイスマイール派。十二イマーム派に関しての本は多く出てきているので、この本はイスマイール派寄りにした、とあとがきで書いている。とはいっても、素人の自分から見たら、シーア派の様々な派閥やスンナ派含め包括的に書かれていてわかりやすいと感じたのだが。
(2010 07/31)

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