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「イギリス幻想小説傑作集」

由良君美 訳  白水Uブックス  白水社

「サノックス卿夫人秘話」(ドイル)と「屋敷と呪いの脳髄」(ブルワー=リットン)読んだ。
(2013 02/09)

ミドルトンと謎の幽霊船


ということで、「イギリス幻想小説傑作集」(白水社)から3話目の「幽霊船」(1・2話目は既に読んでいた)。作者はミドルトンという人。この人について何も知りませんでしたが、20代でベルギーにて自殺したというのが気になる。

で、作品の方はそんなことを全く感じさせない、のどかな村の畑に舞い降りた、これまたのどかな幽霊船の話。ほのめかしとか脇人物もあとでちゃんと落としてあって、短編としてしっかりした出来上がり。一つだけ気になったのは、この語り手たる村の人物(子供?)、いったいどこで(あるいはどんなメディアで)誰に向けて話しているんだろうか?というところ。一番あり得るのは、この村に遊びに来た観光客に向けてパブかなんかで…というところなんだろうけど…他の可能性もあるかも。
(2013 02/15)

「緑茶」、「林檎の谷」、「樹」


「イギリス幻想短編集」、金曜日から少しずつまた読み進めている。
「緑茶」では紅茶に比べて緑茶の方が幻覚を見易いという展開にびっくりしたり、「林檎の谷」では時間経過や因果関係、あるいは現実と夢の境界を全く無視した作品世界に詩と絵画の近接性を感じたり(この作品は画家でもあるロセッティが詩の原案として作ったもの)、「われ…」ではこのジョン・コリアの作品と前に読んだサキの作品が着想がほとんど同じだったり…

で、今日はデラメア(・抜き(笑))の「樹」の途中まで。白い空気と卵の黄身のような太陽の比喩のところが自分的にはお気に入り。あと、馬車に乗り込んだところで、記憶か何かが外に出てまた入ってくるなんて表現もあったかな。

本当に彼らは異なる人間だったのか


「イギリス幻想短編集」より「樹」の続き。

 二人の異なる人間にとって、この世のうちに同じと言えるようなことは何ひとつない。そして、すべてが違っていればいるだけ、ますます人はその違いにしがみつくのだ。
(p190)


前の文はまあ問題ない。面白いなあと思ったのは後の文。人間の生存欲求の中には、他人とは違うことを認めてほしい、というものがある。確かマズローの欲求五段階発展説の中にもあったはずだ。
…でも、結末近くを読んでいくと、この腹違い兄弟それほど違う二人なのかと思ってしまう。可能性はコインの表と裏。弟の眼を焦点として。

後、モンタギュー・ロール・ジェイムズの「ネズ公」も読んだ。中世史家として著名な人みたいだが、短編書く時はこんなくだけた感じなのか。
残り2編。50ページ。
(2013 03/18)

ウェルズのアフリカもの


「イギリス幻想短編集」昨日夜書いた通り、あと50ページで今日中に読み終え…のはずだったのだが、まだ5ページくらい…で、それがウェルズの「ポロックとポロの首」というアフリカのシエラレオネの話。ウェルズといえばSFと思っていたのだが、こういう話もあったのか。
(2013 03/19)

最後まで暗い話


ウェルズの「ポロックとポロの首」、ポロというシエラレオネの秘密結社に狙われたポロックというイギリス人が、そのポロの頭領と自分で決着つけずに他の男に殺させた為、その頭領の首に終始つきまとわれる・・・というなんか朝から読むには重過ぎる(?)話。
この「イギリス幻想短編集」に収められている作品は「幻想」といっても突き詰めて怖いのはあまりなかったが(もっとも、この本に限らず最後まで何もなくただ怖いだけ、という作品自体があまりない(特殊ジャンルを除いて)とも思われるが)、この作品はそれを打ち破って何の救いも感じられない。
解説にはウェルズの「つきまとっていたある種のコンプレックスもうかがえて興味ぶかい」(p244)とあるけれど…

それは自分でやらずに他の誰かにやらせたという思いなのか
この世が幻想で現実は別なところにあるというものなのか
宗教的体験や情感の欠如からくる憧れか
それともポロックの最後の回想で語られているような幼年から青年期の何かなのか

これらは全てこの作品内にうかがえるコンプレックス。その中で2番目のコンプレックスはp238に出てくるけれど、そこにはコンプレックスから逃れるためにいろいろと自虐的行為に走ったと書いてある。世の中には自虐的行為に走る人がよくいるが、その根本にもそういったものがあるのかも。
あと1作品、最後のはなんらかの救いも期待・・・

西洋人の植民地支配の思想の一隅


「イギリス幻想短編集」キプリングを読み終えて、読了。

キプリングの「獣の印」では、インドでの狼男への変身譚に絡めて、この時代の西洋人の植民地支配思想がかいまみられる。
それは語り手より友人でもある警官の方によく見られる。彼らを支配するに彼らの理論をもってし、それで彼らを凌駕する…というもの。これに対し語り手の、あるいはキプリングの評価はどうかというと…なんかこの箇所では曖昧に揉み消されている気が…

結局、この狼男になり損ねた?フリートという男の事例では警官の考えが活かされたわけだが…
何か、とても気になる、不可解な心理的な「?」を自分の中に残して終わってしまった。まあ、キプリングと植民地主義などの関係はいろいろと論ぜられているみたいだし、そういうのも見てみようかな。
(2013 03/20)

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