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「Wあるいは子供の頃の思い出」 ジョルジュ・ペレック

酒詰治男 訳  人文書院

最初図書館で借りて少し読んだ(こちらは復刊の水声社版)のち、古書防破堤で購入。


水声社版から

Wというのは、子供の頃のペレックが作っていた小説?の主人公もしくは彼が活躍する島の名前。ペレックは元々構想していた4つの案の素材を取り込んで、テクストはもとより字体まで変えて継ぎ接ぎの作品を書いた。Wは先に述べたように子供の頃の物語に由来するが、ペレックが受けた精神分析(書き始め、途中、書き上げ)の図式でもあるし、この作品自体の浮き沈みの図でもある、らしい。
(2023 05/07)

とりあえずp17まで。第1章と第2章の字体の違いは、何らかの物語のレイヤーが違うのだろうとは思うけれど、今はまだわからない。

 またしても、ぼくはかくれんぼをしながら、隠れているのとみつけられるのと、いったいどっちを恐れているのか、あるいは望んでいるのかわからない子供のようだった。
(p16)


子供の頃の記憶がない、という語り手(今のところ、ペレック本人とは切り離し)。そこを追及すべきかそっとしておくべきなのか。とりあえずそこには家族のホロコーストの記憶が入り込んでいるらしい。
(2023 05/10)
(ここまでは新装の水声社フィクションの楽しみ版から)

吉祥寺防破堤で購入。見つけたのは初版で、図書館で見たこの本とは装丁異なる…というか出版元も変わっていた…というわけで、買った本読み終わった後にこっちの水声社版と照らし合わせる必要あり。
(2023 07/16)

人文書院版で改めて最初から

構成から。奇数章ではガスパール・ヴァンクレールという名の人物とそれに関わって南米フエゴ島のオリンピックの関わりについての物語。偶数章では、語り手(限りなく作者ペレックに近い…ここのところの分析がペレックの読みどころでもあるけれど)の回想というか物語創造というべきか。ただ、早くも奇数章には別の要素が流れ込んでいるのが読み取れる。あと、奇数章と偶数章では、書体も異なっている。

 たとえば山形図形や、斜め細帯、菱形図形ではなく、精確であると同時に曖昧なところのある、なにかの模様のいわば二重の形象で、何通りにも解釈されうるけれども、いずれかの満足のゆく選択に落ち着くことはけっしてありえないように思えるのだった。
(p14-15)


これは、奇数章の語り手にオットー・アブフェルシュタールという人物から手紙が来る、その手紙の署名についている紋章を見ているところから…ここで自分の読み癖発動…この文章、この小説そのものを言い表していないだろうか。

 つまりなによりも治療として考えられたこの旅行が少しずつ存在理由を失ってゆくのです。企てが無駄であったことがますます明瞭になってくるのですが、だからといって中断すべき理由もまったくありません。
 さらに最も奇妙なのは、旅が続けられるほどにますますみんながこうした場所が存在する、海のどこかに島、環礁、岩、岬があると信じているように思われることです。そんなところでは突然すべてが起こりうる、すべてが砕け、すべてが明らかになる、ちょっと特別なオーロラが、あるいは入り陽が、あるいは神々しいもしくは取るに足りないなにかの出来事があれば充分だと。
(p40)


またもや奇数章から。この語り手は先も言った通りガスパール・ヴァンクレールと名乗っているのだが、それは実名ではない。兵役に送られ、軍事教練所で一年過ごし、前線で15か月過ごし、そして賜暇の時に脱走した。良心的兵役忌避の組織により、ドイツへたどり着き、長期間の無職生活に後、ルクセンブルクとの国境付近の町で自動車修理工場に職を見つけた…

えと、名前の話から遠ざかったけれど、たぶんその良心的兵役忌避組織でガスパール・ヴァンクレールなる名前をもらったのだろう。で、先の手紙を出したオットー・アブフェルシュタール氏とバーで(ハンブルク?)会い、このガスパール・ヴァンクレールなる名前の元の持ち主の話を聞く。それが、聾唖者で発育不全の8歳の少年で、病気療養のため船で転地療養に出かける(その子供のパスポートが語り手のところに届く)、一方、ヴァンクレール達(ガスパール、セシリア(母親)、船長、マルタ人の水夫二人、家庭教師)はヨットに乗って出発するのだ…というところが、上のp40の文章(長かった)。この小説、ナチスとオリンピックに関連するらしいので、どうもこの文章も何か戦争中のドイツ社会を半ば思い浮かべているような…
それと偶数章がどう絡むのか。この小説を構成する言説が全て(読者から)等距離に置いて並べて眺めるのが一番いい読み方なのか…
ここまでは一昨日、昨日分。

「吊る」モティーフ

続けて今日、少し読み進める。

 ついに抽象的であること…(中略)…をやめたこの死の、その場で錨に繋がれてしまったような、その十字架に留め具で固定されてしまったかのような密かな静けさのようななにものかがあった。
(p56)


こちらは偶数章。これは父の墓(第二次世界大戦で負傷し亡くなった、パリから百キロくらい離れたところだという)に十五年後に初めて訪れた時のこと。

 そして彼の声はぼくには驚くほど近いものに思え、またごくなんでもない言葉も、まるでぼくのことを話しているかのように耳に響くのだった
(p65-66)


これは再び奇数章。オットー・アブフェルシュタールが、ヴァンクレール一行の船が遭難したことを話すところ(オットーは海難者救助協会で働いているという)。なぜ、そんなに近く声が感じられるのだろう。後で出てくる(偶数章)学校のメダルをもらった後で、帰る時に押し合いになって前の少女を転倒させてしまいメダルが回収された時の、「背中の圧迫」もそれに類するものだろう。それは戦争の暴力に隣接している思い出。
そして、オットーは未だ一人行方不明のガスパールを探しに行くようにと語り手に伝える。

 三つの特徴がこの思い出を貫いている。パラシュート、吊り包帯、そしてヘルニア帯と。それらは吊ること、支えること、ほとんど人工器官とさえいえるものに連なっている。存在するための支えの必要。
(p80-81)


解説では、この「吊る」モティーフが作品全体を貫いている、とある。この偶数章語り手は、この後、軍の落下傘隊に所属し訓練した、という。一方、「この思い出」とは、1940年に子供の語り手のみフランス南部へと向かう輸送列車で出発する時のこと。
(2024 01/03)

 「彼らは彼を連れ戻すために引き返したのです。ということはつまり子供がすでに逃亡していた-そうだったのでしょう-ということを意味しますが、しかしそれはまた彼らが子供を棄て去り、その後そのことを後悔したということをも意味するかもしれません」
 「それになにか違いがあるでしょうか」
 「わかりません」
(p86)


昨夜読んだ第一部最後のところ。オットーに語り手はこの説を伝える。ここは、ガスパール・ヴァンクレールの行方だけがわからなくなっていることへの一つの仮定のはずだが、何かそれを越えて、例えば偶数章の語り手の南フランス行きとも関連される何かが語られているのかも。

Wの島

第二部(ここから今日分)…はガスパール・ヴァンクレールが向かったとされる?Wの島の話から始まる。これは語り手(偶数章でも奇数章でも語っている語り手(ペレックと言ってもいいじゃない?少なくとも作者としてのペレック(実際の私生活のペレックは不問))の子供の頃に書いた「作品」という触れ込み。そして、第一部の最後と第二部の最初がこの作品パートなので、通しでいうとこちらが偶数章?(章名がローマ数字なのでわかりにくいが)

さて、そのWという島。ウィルソンとかいう、オリンピックの理念には賛成だけど、それがいろいろな圧力や裏工作で歪められているのに腹を立て、このW島に「スポーツ」が国是のような社会を作った。南米大陸最南端フエゴ島近海の孤島らしいが、そんなところにも関わらず、この島には温暖で豊かな土地がある(何でこんな設定にしたのか)。とにかく、ユートピア、アンチユートピア物大好きな自分は興味津々…

 思い出とは、虚無からもぎ取られた人生の断片である。どんなもやい綱もない。それを繋ぎとめ、固定するものはなにもない。
(p98)


これは、思い出パート(これまでの偶数章)。逃れ去り、浮かんでは消えるこれら思い出をどうするのか。プルーストはお茶に浸したマドレーヌとかヴェネツィアの敷石とか感覚的なものを起点に縛りつけたけれど、ペレックは如何にするのか。
(2024 01/05)

理想とアンチユートピア

p148、ペレックの未刊の作品「傭兵隊長」という作品では、主人公がガスパール・ヴァンクレールなる名前の絵画の贋作者。彼はルネサンスのアントネッロ・ダ・メッシーナの「ある男の肖像」(通称「傭兵隊長」)のような絵をどうしても描くことはできなかった…という話らしい。この名前の人物をフエゴ島近海にさまよわせて、ペレックは何をするつもりだろう。

続いても思い出パート。疎開中の学校でのクリスマスの思い出。後年、ペレックはその学校に行ってみる。とその時は手すりと身長がほぼ同じだったのに、今は半分くらいしかない…

 その場面の全体がぼくの頭の中で凍結し、凝固してしまっているように思う。石になった、動かなくなってしまったイメージ。その肉体的な記憶をぼくは格子を掴んだ両手の感覚にいたるまで、手すりの桟に額が押しつけられたときの冷たい金属の感触にいたるまで保っている。
(p158)


自分には、そんな感触の記憶が思い浮かばないのだけど…しかしそれは、実物を見た時不意に訪れるものでもあるのだろう。

一方、W島パートは、最初は理想的スポーツの島かと思われていたものが、徐々にアンチユートピア化してくる。

 〈選手〉は確信できることなどなにもないことを弁えねばならない。あらゆる事態に、最良のものから最悪のものにまで備えなければならない。彼に関わる決定は、瑣末なものであれ決定的なものであれ、彼の外部で行われる。それらに関して彼はどんな主導権ももたない。
(p159)


勝者は栄光に浸れるが、敗者は最悪死を迎えることもある。観客がその主導権を持っている時もあれば、〈競技監督〉など役員の気まぐれや感情がルールそのものを突然変える時もある。それは〈選手〉にとっては外部のこと。外部には彼は手出しできない…
というと、少し宗教の一種に近くなってきたような気がする。〈選手〉は卑屈に怠惰になるのか、それとも一層競技に邁進するのか。
(2024 01/07)

ガスパール・ヴァンクレール、複製法

ペレック周辺図書館調査
ガスパール・ヴァンクレール…「傭兵隊長」(これもたぶん水声社で翻訳されてた)だけでなく、「人生、使用法」にも出てくる。「人生、使用法」ではジグソーパズルの制作者として偽物を依頼主に売りつけて復讐する、とのこと。でもジグソーパズルって本物とか偽物とかあるの?あと、今読んでいる「Wあるいは子供の頃の思い出」ではヴァンクレール表記だが、著者ペレックの発言とか聞くと「ヴィンクレール」に近いらしい。新たな翻訳ではその表記になっている(と思われる)。
この本知ったきっかけの「カンポ・サント」もちら見してみる。ゼーバルトはこの小説を「子供の記憶喪失」の物語として見ているらしく、並列で「カスパーハウザー」と同じだという。

喧騒と足音

小説本体に戻る。
まずはW島での14歳以下の少年たちの描写から。この時期はまだ、何も未来の予習や訓練など受けずに自由な生活を送っている。

 ときおり彼らは遠くに喧騒や爆音、トランペットの響きを耳にする。数千の彩り豊かな風船が、あるいは心ときめかせる鳩が空を飛んでいくのを目にすることがある。それらがいつの日にか彼らが受け入れられることになる雄大な祭典の徴であることを彼らは知っている。
(p188-189)


W島の物語越えて、例えばもう一つの物語で語られているような、戦争がすぐそばで行われている時の少年、戦争が長引けば彼らも戦場へ。そしてもっと一般的に子供とそれを待ち構えている大人の社会の寓話のように読める。

 極言すればそれらはぼくにほとんど歴史の役割を果たしてくれたのだと思う。すなわち汲めども尽きないある記憶の、ある繰り言の、ある確信の源泉なのだ。言葉はもとのところにあり、本は物語を語っていた。ついてゆけばよかった。読み返すことができ、そうして読み返すことで、再び見出せるという確信によって美化された、最初に感じた印象に再会することができた。
(p195)


思い出パート。「それら」はヴェルヌやデュマなどの小説。語り手(ペレック自身?)は、フランスからドイツ軍が去ったあと、1945年くらいからこれらの小説を読み始め、数は少ないけれど、何回も読み返しているという。
そして、この「Wあるいは子供の頃の思い出」はそうした物語を作っていく、努力の物語でもあるのか。
p207のシャルル・ド・フーコーって豊崎氏の「トゥアレグ」にも出てこなかったっけ。

…と読み進めていくと、南米最南端フエゴ島近海の孤島のスポーツ共同体は、突然強制収容所に通じていく。

 ある日〈砦〉に入ってゆく者が、初めにそこに見出すのは長い、灰色の、空き部屋の連続ばかりだろう。コンクリートの高い天井のもとで反響する彼の(足音)は恐怖を引き起こす
(p219-220 (足音の漢字は、実際は違うというかあしおとと読むのかもわからず))


フエゴ島付近(実際ピノチェト期のチリにもあったらしい)だろうが、アウシュヴィッツだろうが、光景は同じ。そしてそれらの施設は、たまにくる視察団の為にスポーツ競技を行なって目を欺いていたともいう。
思い出パートも行き着く先は同じ。実際作者ペレックの母は強制収容所で亡くなる。

 囚人のほとんどは労働しない。そしてこのことは、労働というものがどれほど過酷なものであろうとも、隠れ蓑の一つとみなされていることを意味する。
(p221 ダヴィッド・ルーセ「強制収容所の世界」より)


(2024 01/08)

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